30:初恋も二度目なら
むすりと不機嫌そうにシェリルは馬車から下りる。しかしそのあとにクライヴは続かなかった。
「……うちに寄らないの?」
クライヴはブライス家に用があるのではないのか。この時間ならきっと夕食を食べて行くのだろうと思ったのだが、クライヴは馬車から下りる気がないらしい。
「用事はもう済んでる。帰るところだったんだよ」
帰るはずだったのにわざわざ街までシェリルを迎えに来て、ブライス家に送り届けたというのか。本当にお人好しにもほどがある。
「……そう。送ってくれてありがとう」
「たいしたことじゃない」
(たいしたことじゃなくても、面倒なことではあると思う……)
納得いかないという顔でクライヴを見ると、するりと伸びてきた手がシェリルの頭を撫でた。
「じゃあ、また
学園でな」
まるで気にするなと言いたげなその仕草に、シェリルは何も言えなくなった。動き出した馬車を見送って小さく唸る。
こんな些細なことにすら心臓が痛くなる。恋というものは呪いか何かじゃないのか、とシェリルは火照る頬を両手で包む。
まるでシェリルがエヴァンのことを好きなんじゃないかと言いたげなクライヴに腹が立ったのも確かなのに、触れられると途端に頭が真っ白になる。
(でもあんなこと言うってことは、やっぱり望み薄なんだろうなぁ……)
シェリルはきっと女の子として意識してもらえていないのだろう。妹分ではあるかもしれないが、そこまでだ。
けれど初恋も二度目なら。
もう簡単にシェリルの中から消えてはくれないのだろう。
年末の試験も終わる頃には雪がちらつき始めていた。
年末年始の休暇は夏期休暇よりも短く、王都の屋敷でのんびりと過ごしているうちにあっという間に終わりを告げる。
息を吐けば白くなるほど冷え込みが厳しくなり、馬車で通うシェリルも風邪をひかないようにとコートやマフラーで防寒している。
(いよいよパーティの日も近づいてきたなぁ……)
ここまできても何も言わない父に、シェリルの胃はきりきりと痛みを訴えてくる。
本来は社交の場では男性のエスコートを必要とするが、学園内のパーティなのでパートナーは必須ではない。
しかしシェリルにパートナーがいないということは、つまり婚約者となる人を自力で見つけられなかったということになる。
ドレスは先日無事に出来上がったし、合わせるアクセサリーも決まった。シェリルの準備は完璧なのだが、パートナーは見つからないままだ。
「どうしようかなぁ……」
はぁ、とため息を吐き出す。
足元は先日降った雪が残っていた。上の空で歩くと危ないと思いつつ、不安も多くてシェリルはぼんやりとしていた。
雪道なんて慣れっこのシェリルは本来なら滑って転ぶなんてこともないが、考え事をしていたのがいけなかったのだろう。地面が凍結して、雪の下に隠れていたことに気づかなかった。
「きゃっ」
ずるりとブーツが滑ったと気づいた時には、経験的にシェリルは転ぶと悟った。ぎゅっと目をつぶって身構えたところ、後ろから伸びてきた腕がシェリルの身体を支える。
「っと、危ない」
両脇に腕が差し込まれる。転びかけた姿勢のまま見上げると、琥珀色の瞳と目が合った。
「大丈夫?」
エヴァンがくすくすと笑いながらシェリルを見下ろしていた。
「……おかげさまで」
エヴァンの手をかりて体勢を直すと、シェリルはコートについた雪を手で払った。
「雪道は気をつけないとね。考え事でもしてた?」
「学年末のパーティのことを、ちょっとね」
シェリルは口に出してからしまったと思う。ここまでのことをエヴァンに話すつもりはなかったのに、まだ頭はぼんやりしているらしい。
性格の悪いエヴァンに、からかわれるような話題を提供することになってしまった。
「ああ、あれ。そういえばシェリルは婚約者は見つかったの?」
しれっと吐き出されたエヴァンからの問いに、シェリルは言葉を失った。
自分の記憶を掘り起こして考えてみるが、シェリルが父から決められた期限について話したのは友人であるリタにだけだ。ヴィヴィアンにすら結局話していない。
「……どうして知ってるの? わたし、あなたには話してないわよね?」
「ん? クライヴから聞いたよ」
(……やっぱりクライヴは知っていたのね)
父から聞いているかもしれないとは思ったが、やはり知っていたらしい。
今までのクライヴの反応がシェリルの事情を知っていたのだと考えると、自分の恋の道行きが絶望的なのだと思い知らされるようでシェリルは泣きたくなった。
「それなら知っているんじゃないの? 残念ながら婚約者は見つかっていないわ」
半ば投げやりに答えながらシェリルは雪道をつかつかと歩き始める。下手に慎重に歩くほうが雪の上では滑りやすいのだ。
「学年末のパーティのパートナーも?」
エヴァンは早足のシェリルと並びながら歩いて問いかけてくる。転べばいいのに、と思ったのにエヴァンも雪道には耐性があるらしい。
「そう言ったつもりなんだけど?」
じろりと睨みつけるシェリルを楽しげに見下ろしながら、エヴァンはシェリルの前に立ち塞がった。背の高いエヴァンが前に立つとシェリルには圧迫感しかない。
道を塞いでどういうつもりだ、とシェリルは苛立ちながらエヴァンを見上げる。
「俺がパートナーになってあげようか?」
見下ろしてくる瞳は、やけに輝いて見えた。
親切のように見えるそのセリフに、シェリルは訝しげに眉を顰める。
「……わたしのこと嫌いなんじゃないの?」
直接的な言葉に、エヴァンはくすりと笑う。好きじゃないとか嫌いじゃないという言葉で誤魔化してきたシェリルがはっきりと『嫌い』という単語を使ったことを面白がっているのだろう。言葉を選ぶ余裕がないと思われているに違いない。
実際に動揺してしまっていることは事実で、それがエヴァンに伝わってしまったことがシェリルは悔しい。
「協力してあげようかなというくらいには嫌いじゃないし、そのまま婚約して結婚してもいいかなと思うくらいには好きですよ」
対するエヴァンは濁してくるものだからまた腹立たしい。
(だいたい、なんなのよ。婚約して結婚してもいいって……)
「……うん?」
頭の中で文句を零したシェリルは、あやうく聞き流しかけた言葉に思考が停止した。
シェリルの事情を理解した上で協力してやってもいいと申し出ていて、いっそそのまま婚約して結婚までしましょうか、と。エヴァンはそう言っている。
言葉を濁しているようで、後半ははっきりと言っているではないか。
――好きですよ、と。
「……はい?」
思わず頬が引き攣ってしまった。素直に胸をときめかせるような間柄ではない。
(いったいなんの冗談? なにか企んでる?)
疑い深くエヴァンを観察していると、本人はそんな様子のシェリルに耐え切れずに笑い始めた。
「いくらなんでも素直すぎるでしょ、全部顔に出てるし」
「む」
顔に出ていると言われてシェリルは自分の頬に触れる。きっとシェリルは駆け引きとかには向いていないんだと思う。
「一番感情が出るのは目元だよ。別に何も企んでないから、安心して吟味してくれると嬉しいかな」
ちゃんと予定は開けておくから、と微笑んでエヴァンは去って行く。
何も企んでいないという言葉を信じる気にもなれないし、万が一本当に善意と好意でエヴァンが申し出たのだとしてもシェリルには受け入れがたい。
ドレスを着て、一番かわいく綺麗に見える姿で。
自分がクライヴ以外の他の誰かの隣に立つなんて――シェリルには想像もできなかった。
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