25:悪趣味な友人
ヴィヴィアンと別れたあと、クライヴは荷物を取りに教室に戻った。
外はすっかり日が暮れて暗くなっている。廊下を歩いていても生徒とすれ違うことはなく、学園はしんと静まり返っていた。
こんな時間まで学園に残っている生徒はよほど真面目なのか物好きなのかのどちらかなのだが、物好きのほうと遭遇してしまった。
誰もいなくなった教室で、一人佇んでいたエヴァンはクライヴの顔を見るなり呆れるように笑った。
「随分とまぁ、締まりのない顔してんなぁ」
クライヴに対してそんなことを言うのはエヴァンくらいだろう。
外が暗くなってきたので窓は鏡のようにクライヴの顔が映し出しているが、窓に映る自分を見ても、クライヴには普段の顔と変わりないように見える。
「なんかいいことあった? シェリル関連で」
「なんでシェリルのことだって決めつけてくるんだ」
きっぱりと言い切るエヴァンに、クライヴは首を傾げる。まるで先ほどまでのやりとりをどこかで見てきたような口ぶりだ。
「おまえが自分のことでそんなにやにやするわけないから」
「……してないだろ」
にやにやなんて、そんな怪しい笑い方はしていないし、今までだってエヴァンの前でにやにやと笑ったことはないはずだ。
「いや、わかりにくいけどにやにやしてる。俺にはわかる」
断言されてクライヴも反応に困る。実際、クライヴの機嫌は良いし、それはシェリルの栞が無事に見つかったからなので、エヴァンの言っていることは見事に当たっていた。
クライヴの顔を見てエヴァンは「んー……」と考え込む。あまりにまじまじと見てくるので自分の頬にでも頭で考えていることが書いてあるのかと思えてくる。
「……シェリルの栞が見つかったとか?」
無言を貫いていたクライヴに、エヴァンが勘で正解を言い当ててしまう。
わずかに目を大きく見開いたクライヴに、エヴァンは自分の発言が的を射抜いたのだと知った。
「なんだ、見つかったのかぁ」
「……なんで残念そうなんだよ」
ため息混じりに呟くエヴァンに、クライヴは眉を寄せる。シェリルがどれほどあの栞を探していたかエヴァンだって知っているし、シェリルの落胆ぶりも見たはずだ。
見つかったのかと喜んで祝福することはあっても、残念そうにため息を吐くなんて妙な反応だと思う。
「シェリルみたいな子がしょぼーんと萎れているのって珍しいから、もうちょっと見てみたかったかな。まぁ、それも誰かさんのおかげで復活していたけどさ」
クライヴにはエヴァンの琥珀色の瞳が、まるで猫の目のように見えた。獲物を見つけて目を輝かせる獣だ。獲物は捕まったら最後、オモチャにされてボロボロにされる。
シェリルを慰めようと、代わりになればとクローバーを探したことがエヴァンにとっては余計なことだったらしい。
「悪趣味だぞ」
人の不幸は蜜の味というけれど、エヴァンの態度ではそれを楽しんでいるのだと公言しているようなものだ。
誰にだってそういう一面はあるのだろうけれど、それは本来表に出すべきものではない。
「悪趣味ですよ?」
間髪入れずエヴァンは認める。
怪訝そうな顔を見てエヴァンは楽しそうに笑みを深めた。この友人がクライヴはときどき何を考えているかわからないし、今まさに謎すぎて困っている。
「……シェリルってけっこう頑固だよな。ぐしゃぐしゃに泣いた顔とか見てみたいし、泣かせてみたいんだけど」
堂々と開き直った上に、その口から吐き出されたエヴァンの言葉にクライヴの眉間の皺はますます深くなった。
エヴァンの獲物がシェリルともなれば、クライヴも黙っていることはできない。シェリルが傷つけられるかもしれない可能性をクライヴは欠片だって残す訳にはいかないのだ。
「……エヴァン、おまえシェリルに近づくな」
クライヴの声は凍りつきそうなほどに低い。
しかしそれにエヴァンが怯むような様子はまったくなかった。
「えー? 交遊関係にまで口出すわけ? 過保護すぎるんじゃないの? お兄ちゃん」
にやにやと笑う友人に、クライヴの顔も険しくなった。お兄ちゃん、とわざとらしいくらいに強調された言葉に苛立って声を低くする。
「俺はシェリルの兄じゃない」
今まで一度も、シェリルに兄と呼ばれたことはない。実際、従兄であっても兄ではない。
「どの口が言うんだよ。散々兄貴分だって顔して庇護してきたくせに」
咄嗟に否定できなかった。
クライヴにはもうシェリルの騎士の資格はない。幼なじみという立ち位置すら危うい。ただ確実なのは従兄という血の繋がりだけで、けれどそれはクライヴが求めるものにはほんの少し遠いから。
だから、兄のようなものだと言い続ける。それしか、今のクライヴには残っていない。
けれど兄ではない。
兄などではない。
クライヴは、オズワルドのようにお兄様と呼ばれても笑顔で応えることなどできないだろうから。
仏頂面のクライヴにエヴァンが声を出して笑った。
「おまえ、そんなんでシェリルが誰かを選ぶのを見届けられんの?」
黙り込むクライヴに、エヴァンが追い打ちをかける。
シェリルは婚約者を選ぶために日々あれこれと頑張っている。近頃は特に動きはない気がするけれど、彼女がクライヴ以外の誰かを婚約者にすることは決まっていた。
「……シェリルを大切にする男ならかまわないよ」
「じゃあ俺でもいいじゃん?」
「バカ言うな。おまえは絶対にダメだ」
先ほどからの会話で、どうしてそんなに自信満々に自分を売り込んでこれるのか、エヴァンの神経を疑う。
「泣かせたいと思うのも愛ゆえなんだけど?」
愛かどうかわからないが、エヴァンがやけにシェリルに対して興味を持っていることはわかる。他の女子生徒との態度があまりにも違う。
本来エヴァンは付かず離れず、適切な距離を保ち場合によってはのらりくらりと女子生徒からの追撃を躱す。
たった一人には決して捕まらない男だとクライヴは思っていた。
まさかそのたった一人の候補がシェリルになるなんて予想できただろうか。
「特殊な性癖は隠しておけ」
「特殊でもないだろぉ?」
大きな声で笑いながらエヴァンがクライヴに詰め寄った。
「おまえだって、シェリルの泣き顔を見ることが許されてるって特権を誰にもやりたくないくせに」
猫のように細められる琥珀色の瞳。
躊躇いなく突き出された言葉に、クライヴは声を失った。
そんなわけあるかとすぐに怒ることができたらよかったのだろう。クライヴはシェリルを泣かせたいわけでも、その泣き顔を見たいと望んだわけでもない。
けれど。
木の上で泣きじゃくるシェリルを見つけるのはクライヴの役目だった。
その濡れた頬を拭ってやるのはクライヴの使命だった。
潤んだ緑色の瞳が見あげる先にあるのは、いつだってクライヴだけだった。
それらを、他の誰かに譲れと言われてできるのか。
――答えは否だった。
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