23:抜けない棘

 溢れ出た感情は、すべてひとつの言葉に結びつく。

 それはまるで川の流れが止まらずにいつか海にたどり着くみたいに当然に、シェリルの胸の奥で目を覚ました。

 クライヴからもらったクローバーを手に、シェリルは馬車に揺られて家に帰る。火照る頬を何度もおさえながら、どうにか平静さを取り戻そうと必死だった。

(だって、また好きになっちゃうなんて、それってどうなの!? というかなのかなのかすら今となってはわからないんだけど!!)

 これからどうすればいいのかとシェリルは唸る。

(だって、女の子らしいことをしようとして昔は失敗したし、今更な気もするし!)

 アピールしようとしても、何をアピールしろというのか。クライヴは、シェリルのことはほとんど知っているではないか。

(それに……)


『あんなじゃじゃ馬と結婚なんて絶対にごめんだよ!』


 どうやっても、あの日のクライヴの言葉はシェリルの中から消えてくれない。一度深く刺さってしまって棘は、そう簡単には抜けない。

 クライヴがやさしいのは昔からだ。シェリルのことを本気で妹か何かだと思っているんだろう。

「……バカだなぁ、わたしも」

 苦笑しながらシェリルは手のひらの上のクローバーに目を落とす。

(初恋って、叶わないものだっていうのにね)

 どうして同じことを繰り返してしまうんだろう。




 バカの一つ覚えかもしれないが、クライヴからもらったクローバーはまた押し花にしている。やはりこのまま枯らしてしまうよりは、と考えた末、それくらいしか方法がなかった。

 せっかくのもらった四葉のクローバーだが、一週間くらいは分厚い本に挟んだままだ。

 なくした栞は、見つかっていない。

 毎日もしかしたらと落し物として届いたかと確認しているが、さっぱりだった。三日も続くと事務員も教師も朝にシェリルの顔を見るだけで首を横に振って教えてくれる。そのたびにシェリルは申し訳なくなった。

 本当は、もう諦めるべきなのだろう。周りの人々はやさしいから同情的だが、所詮はたかがひとつの栞の話だ。


「シェリル、今日も図書室に行くの?」


 リタは荷物を片付けながら問いかけてくる。

授業が終わったので迎えの馬車を待つまでの間、シェリルは栞を探すために図書室へ向かう。やはり落とした可能性が一番高いのは図書室なのだ。

「うん、やっぱり見つけたいし……」

 クライヴはシェリルを慰めるために代わりのクローバーを見つけてくれたけれど、栞が大事なことには変わりない。思い出の詰まったものだ。簡単に割り切れるものじゃなかった。

「手伝えなくてごめん」

「いいよ、気にしないで。お店忙しいんでしょう?」

 このところ涼しくなってきて体調を崩す店員も多く、その上ベテランの店員が一人産休に入ってしまったらしく、コーベット商会はてんやわんやらしい。

 今日もリタは慌てて家に帰る。その姿を見送って、シェリルは図書室へ向かった。

(やっぱり間違って捨てられちゃったのかなぁ……)

 シェリルにとって特別な栞でも、見る人にとってはゴミのようにも見えたかもしれない。けっこうボロボロだったし、リボンだって色褪せている。

 気持ちが落ち着いてくると、現実も見えてくる。何日も探して見つからないのだから、最悪の可能性は頭に入れておくべきなのだろう。

 とぼとぼとシェリルが廊下を歩いていると、艶やかな金髪が見えた。

(あ、ヴィヴィアン・ベックフォード?)

 シェリルの金茶の髪と違ってヴィヴィアンの髪はとても輝かしい。羨ましいという本音を飲み込んでこの辺りにいるのは珍しいなと思った。近頃図書室にはよく来るシェリルだが、ヴィヴィアンを見たことはほとんどない。

「えっ」

 そのヴィヴィアンについていくように現れた人物にシェリルは思わず声を上げた。

(ク、クライヴ……!? なんで!?)

 リタが言うには、二人は特別親しいわけではない。それどころかほとんど接点はなく、ヴィヴィアンもクライヴに片思いしているようだけどアプローチをしているなどの様子はないらしい。

 二人はシェリルに気づいていない。ちようど曲がり角のそばで、向かい合いながら何か話をしている。

(ええー……このままだとわたし鉢合わせするんだけど、素知らぬ顔して通り過ぎるべき?)

 それもちょっと変ではないだろうか。むしろシェリルに気づいたクライヴが声をかけてくる可能性もある。

 ……それに、ほんのちょっとだけシェリルも気になる。だってシェリルはもう、クライヴのことを無視なんてできない。


「ごめんなさい、図書室で騒がしくするわけにもいかないから」

「それは別にかまわないけど……」


 どうやらヴィヴィアンは図書室にいたクライヴを廊下に連れ出したらしい。わざわざそこまでして話したいことがあったのだろう。

(ま、まさか告白とかじゃないよね……? そうだったらどうしよう……)

 ヴィヴィアンはとても綺麗な子だ。シェリルのようなじゃじゃ馬などではなく、きちんとしたお嬢様だし、スタイルもいいし成績も優秀で、文句のつけようがない。

 ――クライヴだって、こんな子に好かれて悪い気はしないんじゃないの? 

 そんな気持ちが膨れてきて、シェリルは足を止めた。二人の様子を見るのも怖いくせに、その場を去ることも出来ずに立ち尽くす。これでは盗み聞きだと思いながら、足は凍りついたみたいに動かなかった。

「その……この栞、あなたのものじゃないかしら?」

 ヴィヴィアンが緊張した様子でそう告げた。平静を装っているけれど、語尾がわずかに震えている。

「え?」

(え!? 栞!?)

 シェリルの驚きはきっと誰よりも大きかった。だがクライヴもきっと同じくらい驚いているに違いない。

 だって、栞といえば――。


「ヴィヴィアン様、もっと! もっとです! もっとここで強くアピールしておかなくては……!」

「パティ、あんまり騒ぐと隠れて見てるのがバレちゃうわ……」

「もうバレていると思う」


 栞という単語に思わず食いついたシェリルの耳に届いたのは、ごちゃごちゃと騒ぐ大中小の三人組の声だ。

 声のするほうを見て見ると、三人が廊下の陰から顔だけを出して力強くヴィヴィアンを見守っている。

「だって、せっかくのチャンスなのよ!? たまたま図書室に落ちているのを見つけたのは神様がこれを活用しなさいとおっしゃったのよ!」

「見つけたのは私よ、パティ……」

 困ったようにため息を吐きながらモリーが言う。

「人の手柄を横取りするのは関心しない」

「横取りなんてしていないでしょう!?」

 エイミーが苦い顔をしているが、パティは顔を真っ赤にして否定していた。それにしても声が大きい。隠れている自覚がなさすぎる。

(……全部クライヴたちにも聞こえていると思う……)

 そういえばシェリルが栞をなくした日、モリーが図書室にいた。そのあとパティたちともすれ違ったではないか。

(もしかして、あの時か……)


「……廊下で騒がしくするものではないわよ、パティ、モリー、エイミー」


 ヴィヴィアンが少し声を低くしていた。盗み見ていたことを怒っているのだろう。

 おそるおそる、シェリルもちらりとヴィヴィアンを見る。美しい顔は無表情のまま三人を見ていた。明らかに怒っているのに、表情がないのでより怖い。

「ヴィヴィアン様、違うんですこれは見守っていたのであって……!」

「静かになさい、いくら放課後で人が少ないといっても迷惑になるわ」

「も、申し訳ございません……!」

 ヴィヴィアンは容赦なくパティの弁解もばっさりと切り捨てる。

 シェリルも積極的に盗み聞きするつもりはなかったのだが、結果としてそうなってしまった。どうしようかと思っていると、クライヴがシェリルに気づいてしまう。

「シェリル?」

(……まぁ、クライヴから隠れ切れるわけないわよね……)

 なんせ彼はシェリルを見つける天才だから。

クライヴの声でヴィヴィアンやパティたちもシェリルに気づいたらしい。パティからものすごく睨まれていたたまれなくなってきた。

「どうした?」

「……図書室に行くところだったのよ。栞を探そうと、思って……」

「栞?」

 シェリルのセリフに、ヴィヴィアンはクライヴに渡した栞を見る。ちょうど話題の中心になっていた栞のことを思い出したのだ。

「ああ、そうだった。……拾ってくれて良かった。でもこれは俺のじゃないんだ」

「え?」

 ヴィヴィアンは目を丸くする。きっと彼女も、クライヴが栞を使っているところを見たことがあるのだろう。だって、そうでもなければその栞がクライヴのものだなんて勘違いをするはずがない。

「ほら、シェリル」

 それは胸の奥からじんとあたたかくなるようなやさしい声だった。

 クライヴが差し出す栞を見る。クローバーの葉っぱが、ほんの少しだけ破けてしまっていて、それを誤魔化そうとしたせいで、ちょっと出来の悪い栞。


 ――シェリルの栞だった。

 シェリルの、四葉のクローバーだった。

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