22:再び目覚める
幸い、というべきだろうか。
クライヴへのぐちゃぐちゃになった感情に振り回されることで、栞をなくしてしまった悲しみはほんの少し落ち着いた。
探すことを諦めたわけではないが、帰宅したシェリルは朝とは打って変わって顔色も戻っていたし食欲もしっかりあった。泣いたし木登りもしたし疲れていたのか、夜も比較的早めに眠りについた。
翌朝は皮肉なくらいの晴天だ。
秋の晴れた空は澄んでいて、やさしい青い色をしている。学園に着いたシェリルが空を見上げながら同じ色の瞳の人を思い出して胸がむかむかとした。
(わたしが栞をなくしたからって、自分のを渡してくるってなんなの? 大切にしていてくれたのなら、ちゃんと自分で持ってなさいよ。なんのための四葉のクローバーなのよ)
クライヴにとっては思い出でもなんでもないのかもしれないが、シェリルにとってクローバーを見つけてくれたあの日のことは特別な思い出なのだ。
「今日は元気そうだね、シェリル」
先に来ていたリタが笑いながら「おはよう」と挨拶する。昨日のことを引っ張り出されるとシェリルも気まずい。
「おはよう、リタ……昨日は本当にごめんね」
「シェリルが復活したならいいけど。おもしろいものも見れたし」
おもしろいもの、がシェリルとクライヴのやり取りであることは間違いない。シェリルはますます小さくなった。
「……情報メモには書かないでおいてくれると嬉しいんだけど」
「書いても売る相手がいなさそうだしねぇ……あ、そうでもないか?」
「そうでもないの!? いるの!?」
昨日のシェリルとクライヴのやり取りなんて、ろくなものではない。情報として価値があるようなものではないと思うのだが。
「シェリルったら忘れたの? クライヴ・ロートンのことを気にする人はばっちりいるじゃない」
こっそりと小声で告げられ、シェリルは「あ」と一人の女子生徒を思い出す。
ヴィヴィアン・ベックフォード。クライヴに片思いしているらしい、麗しき令嬢。
確かに彼女にとっては、あるいは彼女の取り巻きである大中小の三人にとっては、どんな些細なことであれクライヴの情報は価値のあるものかもしれない。
「……え、えっと、売るの……?」
おずおずとシェリルが問うと、リタは半眼でシェリルを見た。
「シェリルのなかであたしってどれだけ守銭奴なの。友達を売るような輩に落ちぶれたつもりはないんだけど」
「それはそうだけど、リタにとってクライヴは友達ではないでしょう?」
「まぁそうなんだけど……この場合、シェリルとクライヴ・ロートンの情報ってセットなんだよなぁ……」
バラ売りしても価値ないし、とリタは呟いていて、シェリルは首を傾げる。
(昨日って正直、わたしが一人で落ち込んで一瞬浮かび上がってクライヴに怒った……だけなんだけど)
クライヴのことと言えば、栞をシェリルに渡そうとしたことくらいだ。シェリルが木登りしていたなんてことを知っているのはクライヴだけだからリタは知らないし、クライヴだけがシェリルの癖を知っていることも誰も知らない。
「クライヴのことでそんなに重要なことってあった?」
「それに気づいていないのがシェリルって感じ。鈍感ってことよ」
「わたし、リタが言うほど鈍感じゃないと思うけど……」
エヴァンのことだって、シェリルは気づいたくらいなのだ。ましてクライヴのことなら、たぶん女子生徒のなかでは一番理解していると思う。生徒全員となるとエヴァンには勝てない気がしてくるが。
「シェリルは局地的に鈍感かなぁ」
「局地的……?」
独特の言い回しにさらに首を傾げる。リタはくすくすと笑うばかりでそれ以上は詳しく話してくれなかった。
晴れた日は広場で昼食をとるのが当たり前になっていたが、近頃は少し寒いかもしれないと思うようになった。
まだカーディガンを羽織るほどではないけれど、寒くなってきたらどこでお昼にしようかとリタと話していると、慌てた様子でエヴァンが駆け寄ってきた。
「シェリル、クライヴを見なかった?」
「……クライヴを? 今日は見ていないけど」
もともと学年も性別も違うクライヴと一番よく遭遇するのは昼休みや移動中だ。今日は一度も会っていないし、昨日の一件もあるのでシェリルとしてはほっとしていた。
「どこ行ったんだか……朝からいないんだ」
「お休みなんじゃないの?」
「荷物はあるから、学園には来てるよ。俺もまだ一度も会ってない」
「医務室は?」
「そんなん真っ先に確認してるよ」
学園に来ているのに、授業には出ていない。具合が悪くて医務室で休んでいるわけでもない。
(……どこで何してるのかしら)
クライヴは真面目な人だ。無断欠席はもちろん今までなかっただろうし、なんの説明もなく授業をサボるなんて珍しい。
「昨日のことで落ち込んでんのかなぁ……シェリル、心当たりとかない?」
「心当たりなんて……」
それにクライヴが落ち込む理由なんてないはずだ、と思いながらシェリルはどこか既視感を覚えた。
こんなやり取りが、以前にもあった気がする。
『シェリル、あの子が行きそうなところに心当たりはある?』
姿を見せないクライヴ。やりかけの刺繍と、赤く染まり始めた空。心配そうに眉を下げる叔母の顔。
(……まさか)
そんなわけないと思いながらも、あの日に状況がよく似ていた。
あの時はクライヴの行き先に心当たりなんてなくて、シェリルも困って何も言えなかったけれど。
今は。
「……もしかしたら」
秋となって少しずつ寂しくなってきたものの、学園の林の中にも草花は生えている。
普通の令嬢なら目もくれない雑草ばかりだが、シェリルには馴染みのあるものも多い。アザミやヤマユリがひっそりとした林の中に彩を与えている。
足元には、クローバーが群生していた。
春や夏に比べるとその数は少ない。鮮やかな緑色も、心なしか少し落ち着いているようにも見える。
その中に、臙脂色の制服を見つけてシェリルは胸が痛くなった。
「……クライヴ」
聞こえるかどうかもわからないほど小さな声で名前を呼んだのに、クライヴは顔をあげた。シェリルを見ると、小さな男の子みたいに破顔する。
「今回は見つかるの早かったな」
そう言いながら立ち上がり、制服についた土を払う。
リタとエヴァンは驚きながらも、クライヴの手にあるものに気づくと少し呆れているようだった。
「ほら。欲しかったんだろ」
クライヴはわざとあの日と同じことを言いながら、手にあるものを差し出した。
四葉のクローバー。
今回は、ひとつだけだったけれど。
「さすがにクローバーもそんなに生えてなくて、さっきようやくひとつ見つかったとこだったんだ」
「……なんで」
声が震える。
差し出されたクローバーを、シェリルは無邪気に受け取ることなんてできなかった。
「なんで、ここまでしてくれるの」
前のときだってそうだ。
クライヴは別に、四葉のクローバーなんて興味ないはずだ。欲しいわけでもないし、探すのが楽しいわけでもない。
それなのに、どうしてここまでして探してくれるのだろう。長い時間をかけてようやく見つけたのに、どうしてそれを惜しげもなくシェリルに渡せるのだろう。
「だって、シェリルが泣くだろ」
今だって泣きたいくらいだ。
奥歯を噛み締めて、それを必死に堪えている。
おずおずと伸ばしたシェリルの手に、クライヴはクローバーをのせた。
緑色の、四枚の葉。幸せのクローバー。
(ああ、わたし)
目を閉じて、息を吐き出す。
熱のこもった吐息がなくなってようやく、シェリルは深く息が出来たような気がした。
(やっぱり、この人のことが好きなのかもしれない)
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