21:栞のゆくえ(3)
『これ、おまえからシェリルに渡してくれないか』
クライヴがそう言いながらエヴァンに差し出したのは、クローバーの栞だった。
『渡すって……これはおまえの栞だろ?』
シェリルがなくしたという栞とそっくりな、クライヴが愛用する栞。問いただしたことはないが、おそらくシェリルが作ってクライヴにプレゼントしたものだ。
世界に二つしかない栞だ。
『シェリル、随分落ち込んでいるんだろ? 見つからないかもしれないし、それなら代わりでもないよりはマシだろうから』
『いやでも、おまえだって大事にしていただろ』
クライヴと親しくなってから二年以上。彼がその栞を使い続けていたことはエヴァンがよく知っている。
大事に大事に、まるで誰かの代わりみたいに、クライヴはその栞を肌身離さず持ち歩いては大切にしていた。
『……いいんだ』
クライヴは微笑んで、エヴァンに栞を託す。
いいのだと言いながら、その手は名残惜しむように栞からなかなか手が離れていかない。しかし一度細く息を吐き出すと、クライヴはエヴァンの手に栞をのせる。
『これはもともと、シェリルにあげたものだから』
懐かしむように微笑みながら、その顔はどこか寂しげだった。
クライヴと共にやって来たシェリルは、昼休みの様子とは打って変わってすっかり生き生きとしていた。
「シェリル! どこに行ったのかと思ったじゃない……! 探したよ」
リタがほっとしてシェリルに駆け寄る。今日一日、シェリルのあんな様子を目の当たりにしていたリタからすれば気が気じゃなかったはずだ。
「心配かけてごめんね、リタ」
いつものシェリルに戻っているということは、クライヴはシェリルに伝えたのだろうとエヴァンは気づきたくもないのに気づいてしまう。シェリルの栞が見つかったよ、というクライヴの嘘の話だ。
エヴァンが託された栞は、シェリルの栞ではない。だからこれは嘘だ。シェリルを思うばかりで自分勝手なクライヴの嘘。
シェリルの緑色の瞳が、エヴァンを見上げる。
シェリルからこんなにきらきらとした目で見られるのは初めてだった。愛されて大事にされてきたのだとわかる、まっすぐな目だ。
「図書室の棚の隙間に落ちてましたよ」
あらかじめ考えておいた発見場所を、嘘とも思えぬほどなめらかに口にしてエヴァンは栞を差し出した。
「ありがとうございます……!」
シェリルはエヴァンの手にあるクローバーの栞にパッと明るくなる。一瞬見るだけでは自分の栞とクライヴの栞の区別はつくはずもない。使った紙も、リボンも同じなのだから。
――しかし。
栞を受け取って、胸をなで下ろしたシェリルは違いに気づく。
(……この、栞)
シェリルだけが気づく、ほんのわずかな違いだ。
胸の中を嵐が駆け抜ける。たくさんの感情が溢れて、どんな顔をすればいいのかわからなかった。
「……シェリル?」
リタが不思議そうにシェリルの顔を覗き込んだ。黙り込んでしまったシェリルが、嬉しさのあまり泣き出したのかと思ったのだ。事実、その顔は泣き出す寸前にも見えた。
まだ持っていたの。
ずっと使っていてくれたの。
もしかしたら、大切にしていてくれた?
でもそれなら。
それなら、どうして。
湧き上がる言葉はシェリルの胸の中で竜巻のように暴れまわっている。目を閉じて、耳の奥から聞こえてきそうな自分の叫びが遠のくまで深呼吸をした。
「……ありがとうございます、でもこれは、わたしの栞じゃないみたい」
シェリルは胸に溢れる感情を抑えて、ようやく口を開く。涙は引っ込んだはずなのに、また泣きたくなった。悲しいのか悔しいのか、嬉しいのかも、まだわからない。
自分でもわからないくらい、頭も胸もぐちゃぐちゃだった。
驚いている。落胆している。喜んでいる。喜んでいることに、また驚いている。
涙は見せない。
ぐっと奥歯を噛んでシェリルは振り返ってクライヴを見た。
クライヴの青い瞳は困惑に揺れている。シェリルの栞でないということにすぐ気づいたのがそんなに意外だったのだろうか。
わかるに決まっている。この栞を作ったのはシェリルなんだから。
「わたしの栞はね、クローバーの葉っぱがほんの少し破けてるのよ」
そう言いながら、シェリルはクライヴの胸に栞を押し付ける。
綺麗に出来たほうを、クライヴにあげたかったから。だから、ちょっとだけ破けてしまったクローバーは自分の栞にしたのだ。
シェリルの言葉に、クライヴの瞳がさらに揺れる。わずかに唇を動かしたあと、結局何も言わずに、押し付けたままのシェリルの手をとって栞を握らせた。
「クライヴ」
これはあなたのでしょう、とシェリルが見上げながら抗議する。
シェリルが怒鳴りながら投げ付けたこの栞を、今まで大切に使っていてくれたのは嬉しい。けれどこれはシェリルの栞ではない。
どうして使い続けてくれたの、と問いたい気持ちもある。
わたしのこと、嫌いなんじゃないの? 嫌いな人の作ったものをずっと使っていたの?
ありえない話ではないかもしれない。クライヴはやさしい人だから。やさしいけれど不器用な人だから、迷惑を迷惑とは言えずに、無下にもできなかったのかもしれない。
(もしかしたら、そんなに深いことも考えていないかもしれないけど)
ありえそうな可能性を浮かべながらシェリルはクライヴを睨んだ。見上げるだけではシェリルの言いたいことは伝わらないらしい。
どうであれこれはクライヴの栞だから、シェリルが受け取るわけにはいかない。
「見つかるまで、持っていればいい。……幸運のお守りなんだろう?」
やさしい青い目がシェリルを見下ろしている。
大きくあたたかな手がシェリルの手を包んでいる。
昔からシェリルに注がれてきたものだ。そこにあるのは愛情だとシェリルは知っているけれど、だからこそわからない。
(それならどうして『絶対にごめん』なの?)
あの時怒るだけで終わりにしないで、ちゃんと話をするべきだったのだろうか。そうしたら、クライヴの考えていることはもっとわかったのかもしれない。
「いらない」
シェリルはクライヴの手を振り払うと、今度こそ強く栞を胸に押し付ける。すぐにシェリルが手を離せば、クライヴは栞が落ちないように受け取るしかなくなる。
「わたしはクライヴの幸せをわけてもらいたいわけじゃないもの!」
そう叫ぶと、シェリルは踵を返す。
頭の中では四年前と何も変わっていない自分に情けなくなるのに、これ以上一緒にいたら泣くか怒鳴り散らすかで状況は悪化するだけだ。
「ちょ、シェリル!」
すっかり置いていかれそうになったリタがシェリルを追いかけた。
二人の背中を見送ったエヴァンは、振り返ると友人の顔を見る。
「飼い主に見捨てられた犬みたいな顔してる」
「……もう少しマシなたとえをしてくれ」
女に捨てられたと言わなかったあたりはエヴァンなりの気遣いだったのだが、クライヴにはそんなことに気づく余裕もないようだ。
「なんつーか、おまえのやさしさってちょっとズレてるんだよな」
「……なんで」
憮然としてクライヴがエヴァンを見る。
シェリルに拒まれたら素直に落ち込むくせに、エヴァンに否定されるのは納得できないらしい。
「それがわからないからシェリルも怒ったんじゃないの?」
つまり自分で考えろということらしい。
エヴァンは男にはやさしくする気はないし、友人とはいえクライヴにヒントを与えるつもりはないようだった。
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