20:栞のゆくえ(2)
「おまえのその栞って、シェリルが持っているのと同じ栞?」
間もなく昼休みが終わるという頃、エヴァンがクライヴに声をかけてきた。
今は栞を出してもいないし、そんな話題でもなかった。クライヴは突然出てきたシェリルの名前に驚きながらエヴァンを見た。
「……なんだ突然」
今までそんなこと聞きもしなかったのに、どうしてエヴァンはいつもよりも真面目な顔でクライヴを見てくるのか。
少し前からエヴァンがシェリルによく話しかけるようになったことは知っている。女の子が好きなエヴァンのことだから、シェリルのようなタイプが物珍しいのだろうと思っていた。
「シェリルが大事にしていた栞をなくして、すっかり大人しくなっていたからさ。もうほんと、別人って感じで」
「……栞を?」
大事にしていた、栞を。
エヴァンは先ほどなんと問いかけてきたんだったか。クライヴの使う栞は、シェリルと同じものなのかどうかと。確かそんなことを聞いてきた。
「四葉のクローバーの栞。ちょうどおまえのと同じ、青いリボンのついたやつ。……前にちらっと見たけどそっくりだったから」
「……ああ、そうだろうな」
クライヴの使っている栞はシェリルからもらった……いや、投げつけられたものだ。クライヴが見つけてきたクローバーを、シェリル自ら栞にしたんだろうと思っていた。
栞に使われていたクローバーがひとつだけだったから、もしかしたらと思ったが、やはり同じ栞をシェリルが持っていたらしい。
「よほど大事なものだったんだろうな」
エヴァンの呟きに、クライヴはそれはどうだろう、と思う。
しかし四年前のあの日に捨ててしまっても良かったはずなのに、未だにクライヴが見つけたクローバーを持っていたというのなら、大事にしていたのは確かなのかもしれない。
四葉のクローバーを欲しがっていたから、クライヴが見つけたという点には目をつぶっていたのだろうか。
「……そんなに落ち込んでるのか」
「顔は真っ青だし寝てないって感じだし、話しかけても上の空。倒れるんじゃないかって思うくらいだよ」
シェリルがそんなに落ち込むなんて珍しい。珍しいどころじゃなく、初めてかもしれない。クライヴだってそんな様子は見たことがない。
「……そうか」
クライヴが小さくそう零すと、ちょうど授業開始を知らせるチャイムが鳴った。
その日の授業はほとんど頭に入ってこなかった。
シェリルはもう一度、落し物として届いてないか確認したが、教員棟にも事務室にも、もちろん図書室にもクローバーの栞は届いていないという。
(……どこで落としたんだろう)
小さな栞だ。落としても大きな音がするわけではない。以前落とした時だって、エヴァンが気づいてくれなければシェリルにはわからなかった。
学園に持ってくるんじゃなかった。
家の中でだけ使っていたのなら、たとえどこかで落としてもすぐに見つかっただろう。コニーをはじめ、多くの使用人たちはシェリルが大事にしている栞の存在を知っていた。知らない者でも、屋敷の中で拾ったものを迂闊に捨てる可能性は低い。
(でも、お守りだったんだもの)
ろくに知り合いもいない学園に通うことは、シェリルにとっては毎日が小さな冒険だった。リタという友人ができても、学園内での悩み事がすべて消えたわけではない。
勉強にはついていけるだろうか、穏便に過ごせるだろうか、婚約者となる人は見つけられるだろうか、不安はいつだって尽きなかった。
だからお守りが必要だった。しあわせを呼ぶ、四葉のクローバーが。
『ほら。欲しかったんだろ』
『……わたしがもらっていいの?』
『おまえにやるために見つけてきたんだよ』
今でも鮮明に思い出す。
たとえあの時に気づいた初恋が叶わないものであっても、それでも思い出だけは大事に抱えてきた。
クライヴになんと思われていようと、彼がシェリルのためにクローバーを見つけてくれたという事実は変わらないから。
(――あ、ダメだ)
じわりと滲んだ涙を、今度は飲み込めそうにない。
ぐっと奥歯を噛んでシェリルは早足で外に出る。今朝も雨は降っていたけれど、昼過ぎには止んで夕方の今は晴れていた。
まだ空は赤く染まっていないが、秋の日暮れは早い。一時間もしないうちに夕焼けが見えるだろう。
泣き顔は誰にも見られたくない。みっともないし、ぐしゃぐしゃになった顔は可愛くないに違いない。
シェリルは外に出ると全速力で走った。
林の中の木々は少し気が早いのか色づき始めているものもあるが、常緑樹を選んでシェリルは迷いなく枝を掴んで登り始めた。
木には登り慣れている。登ったことがない木であろうと、どこに足をかければいいのかは感覚でわかるし、どの木が登りやすいかは既にチェック済みだ。
そこそこの高さに登ると、緑の葉に紛れてシェリルの姿は周囲かり見えなくなる。これならどんな顔で泣いても誰かに見られたりしない。
ようやくシェリルは、堪えていた涙を零し始めた。
大声で泣くと誰かに気づかれてしまうから、小さな嗚咽を漏らしながらシェリルはぼろぼろと泣いた。
「どうしよう……みつからない……みつからないよぅ……」
大事にしていたのに。お守りだったのに。
我慢していた分、涙はとめどなく溢れてくる。
一人娘のシェリルは、家の中にいる限り一人になるようなことはなかった。
たいてい使用人の誰かが近くにいるし、シェリルの泣き声が聞こえたのなら必ず誰かが駆けつけてくる。
幼い頃はそれでも良かったけれど、シェリルも物心がついた頃には泣き顔を見られることが嫌で嫌で仕方なかった。
泣きたくなったときにどうしたら一人で泣けるだろう。そう考えた末、シェリルは木の上で泣くことにしたのだ。
「……やっぱりここか」
どれだけ泣いたかわからない。シェリルの頬はすっかり濡れてしまっていて、無理に声を堪えた喉はわずかな痛みを訴えてきていた。
木の下から声がする。
涙で潤んだ瞳でシェリルは見下ろした。こちらを見上げてくる青い瞳。
確かめなくてもわかっていた。シェリルが木の上で泣くなんてことを知っているのはクライヴだけだ。
「友達が探していたぞ。……いい子だから降りてこい」
やさしく諭すような声に、なおさら泣きたくなる。
昔のようにクライヴも登ってくるわけにはいかないのだろう。背も高くなったクライヴが登ってきたら枝が折れてしまうかもしれない。
(……リタが探してくれているんだわ)
友達といえるのはリタしかいない。きっと教室に荷物を置いたまま消えたシェリルを心配してくれているのだろう。シェリルを探している
リタをたまたま見つけたクライヴが、こうしてシェリルを見つけに来たに違いない。
「……エヴァンが」
素直に降りるべきだとわかっているがまだ涙は引かない。悩んでいるシェリルを見上げて、クライヴが口を開いた。なぜかクライヴにも躊躇うような響きがあった。
「おまえが探していた落し物、見つけたらしいから」
――落し物。
その言葉にシェリルは目を見開いた。
「ほんとう!?」
光を失っていたはずの緑色の瞳は、きらきらと輝いて喜びに満ちている。
「ああ。……だから、早く降りてこい」
現金にも涙は引っ込んで、シェリルはするすると慣れた仕草で木を降りていく。とん、と着地すると背を向けていたクライヴは振り返って苦笑した。
「葉っぱ」
ふわふわのシェリルの髪についた葉をとると、クライヴはそのままシェリルの頬に残る涙のあとを消し去るように指で拭う。
「……子どもじゃないんだから」
相変わらずクライヴは世話焼きで、シェリルを小さな子どもみたいに扱う。シェリルの文句などおかまいなしにぐいぐいと頬を拭われる。
ちょっと、とシェリルが見上げると、クライヴは少し寂しげな顔をしていた。
(……なんでそんな顔してるの)
問おうとシェリルが口を開きかけると、クライヴはシェリルの頬から手を離し、「行くぞ」と背を向ける。
気のせいだったのだろうかと思いながら、シェリルはその背を追いかけた。
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