19:栞のゆくえ(1)
学園に向かう馬車の中で本を読み終えると、シェリルはそっと閉じた。
馬車の小さな窓から見えるのは、秋の晴天。どうやら雨の気配もなさそうだ。
(この本を返したら、次の本は借りてこなくても済みそう)
読書もいいが、やはりシェリルとしては太陽の下をのんびり歩きまわるほうが好きだ。近頃は雨続きで読書がはかどっていたけれど、それもそろそろ飽きるというもの。
「今日は久々に散歩にでも行こうかな!」
馬車から下りたシェリルは、晴れ渡る秋空に気分が上がってしかたなかった。
しかしその明るい気分が保たれていたのも午前中だけだった。
「しとしととよく降るねぇ……」
教室の窓から外を見上げて、リタが呟く。
昼前から空は曇り始め、昼休みが始まる頃には霧雨が降り始めていた。音もない静かな雨は読書にはうってつけなのだが、それはもう飽き飽きとしている。
昼食を食べ終えたところで、外でのんびり日光浴もできない。
シェリルはため息を吐き出して、図書室で借りていた本を持ち上げた。
「本、返却しに行ってくるね」
「いってらっしゃい」
リタに見送られて教室を出る。
シェリルだけでなく、他の生徒たちも読書は飽きてきたのだろう。図書室はそれほど混んでいない。
(あれ? モリー? パティとは一緒じゃないのかな)
いつも三人一緒にいるイメージがあったが、たまには別行動もしているのだろう。モリーは一人で本を読んでいた。気弱な彼女は賑やかな場所より図書室のような静かな場所が落ち着くのかもしれない。
水かけ事件以来、三人の嫌がらせは鳴りを潜めている。ばったりと顔を合わせると嫌な顔をされるし、小言を言われることもあるが、わざわざシェリルを見つけてねちねち……としたものはなくなった。
(さすがに懲りたんでしょうね)
他人を巻き込んでしまったので少なからず反省しているのだ。クライヴだから
シェリルは苦笑して、新しい本を選び貸し出しの手続きを済ませる。この雨続きですっかり図書室の利用にも慣れた。
ちょうど図書室を出るときにパティとエイミーがやって来て、じろりと睨まれた。さすがのパティも図書室で大声を出すような真似はしないらしい。
異変に気づいたのは、その日シェリルが家に帰ってからだった。
「……あれ?」
夜も雨が降っていて、シェリルは眠る前に借りてきた本を読んでいた。このまま読みふけったしまうと明日の朝に寝坊してしまう、と本を閉じようとして、栞がないことに気づく。
四葉のクローバーの栞。シェリルのお守りでもあるそれは、いつも使っているし持ち歩いている。
(最後、どこに挟んでおいたんだっけ……)
いつもなら手帳に挟んでいるのだが、ここしばらくの雨続きで借りた本に挟んでいるのが当たり前になってきていた。
読み終えた本に挟んでおいて、新しく借りる本を決めたらそちらに移す。そんなことが続いていたので、もちろん手帳にはなかった。
「今日、返した本から栞をちゃんととっておいた……? もしかしてわたし、そのままにしてた……?」
それとも本から栞が落ちて鞄の中にあるのだろうか、とシェリルは鞄をひっくり返してみるが、やはり見つからない。
どうしよう、どうしよう。
ない。どこにもない。本にも、手帳にも、鞄にも、部屋の中にも。どこにも。
あれは、
「お守りなのに……」
クライヴが見つけてくれた、幸せを呼ぶ四葉のクローバー。
代わりになるものなんてない。たとえ、クライヴと疎遠になっても、それでもシェリルにとっては変わらず大事なお守りだった。
「……ない」
途方に暮れて、泣きたくなる。
じわりと滲みかけた涙を乱暴に拭って、シェリルは深呼吸した。
(大丈夫、きっと前に借りた本に挟んだままなんだわ。明日、学園に行ったらすぐに見に行けば大丈夫……)
だって他に心当たりはない。今どこを探してもないというのなら、栞を挟んだまま本を返却してしまったとしか考えられない。
万が一、どこかに落としてしまったのかもしれない……なんて、そんなことは考えなかった。考えたくない。古びた栞だ。落し物として届けられていたらいいけれど、ゴミだと思われて捨てられてしまっているかもしれない。
だから、万が一の可能性は考えない。そうでなければ、シェリルは今にも泣き出してしまいそうだった。
いつもより少し早めに家を出る。
結局、昨夜はよく眠れなかった。コニーは顔色の悪いシェリルを見て「今日は休まれたほうがいいのではないですか……?」と言われたし、朝食をあまり食べすに落ち込むシェリルを両親はどうしたんだと心配してくれたが、休むなんて選択肢はない。
寝不足ですっきりしない頭のまま馬車に揺られる。
大丈夫、大丈夫、と何度も自分に言い聞かせながら祈るように到着を待った。こんなに通学時間が長く感じのは初めてだ。
まだ生徒がまばらにしかいないことをいいことに、シェリルは廊下を走った。朝早くでも自習している生徒のために図書室は解放されている。
図書室が近づくとシェリルは速度を落として、早足になる。不安で心臓がどくどくといつも以上に音をたてていた。
そっと扉を開けると、二、三人の生徒が勉強していたり読書に集中していたりしている。
朝は貸し出しはしていない。司書教諭がいないからだ。
昨日返却した本は既に棚に戻されていて、シェリルは迷いなく棚から抜き取った。
(きっとこの本のなかに挟まっているはず……!)
表紙をあけてすぐのページを確認する。ない。
次いで、今度は一番最後のページを見る。ない。
パラパラとページをめくる。……ない。
表紙を見て本を間違えていないか確認した。間違っていないし、同じ本はない。シェリルが読んだのはこの本で間違いなかった。
(どうして……!?)
心当たりはこれしかない。あとは既に探してあるのに、どこにもない。
もしかしたら落としたのかもしれない、という可能性を認めて、届けられていないか教師に確認したが、やはり栞は落し物として届いていないそうだ。
「シェリル……? どうしたの? すごい顔だよ?」
教室の席で項垂れているシェリルを、登校してきたリタは心配そうに見た。コニーといい、今日のシェリルはよほどひどい顔をしているらしい。
「……うん」
大丈夫だとはもう思えなかったし、言えなかった。
せめてこれ以上心配をかけないように、とシェリルは小さく「気にしないで」と言ったが、もちろんリタがそんなことで誤魔化されるはずもない。
ゆっくりと促され、ぽつりぽつりとリタに栞をなくしたのだと話し終えたところで、今日の授業が始まる。
「……どうしたんですか、アレ」
昼休み、広場で昼食をとっていたシェリルとリタのもとにやってきたエヴァンは、サンドウィッチを握ったままぼんやりとするシェリルを見てリタに問いかけた。
「大事にしていた栞をなくしちゃったみたいなんですよ」
「……栞?」
エヴァンが繰り返して確認する。リタはしっかりと頷いた。
「四葉のクローバーの栞です。青いリボンのついた。……あなた、顔は広いでしょうしもしも見つけたら教えてあげてください」
珍しくリタがエヴァンに対して饒舌なのはそれが理由らしい。リタはさっぱりとした性格だから誤解されるかもしれないが、とても友人思いの子である。
「……朝からずっとああなんですよ」
シェリルはまるで、魂が抜け落ちてしまったみたいだった。
リタがどんなに話しかけても、シェリルの反応は芳しくない。
「……クローバーの栞、ね。見つけたら教えますよ」
エヴァンはそう答えると、シェリルにはろくに話しかけずに去って行った。
きっと今のシェリルはエヴァンが来ていたことにすら気づいていないに違いない。
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