18:好きじゃないけど好ましい

「シェリルって、本気でパートナーを見つける気があるの?」


 長く続いた秋雨も落ち着いて、今日は久しぶりに晴れやかな青空が広がっている。

 生徒たちはすっかり涼しくなったと言いながら昼休みには多くが広場に出てきていた。みんな日差しが恋しかったのだろう。

「うん?」

 昼食のサンドウィッチを握りしめながらシェリルは首を傾げた。シェリルとリタも他の生徒たちと同様、久々の晴れ間を満喫するために広場で昼食をとっている。

「うん? じゃなくてさ。もう秋なんだけど、大丈夫?」

 リタの言っているパートナーとは、学年末のパーティーのパートナー……シェリルにとっては婚約者となる人、と言いたいのだろう。

 季節は秋。長袖で過ごしていても汗ばむようなことはなく、あと一ヶ月もすればカーディガンが必要になるかもしれない。

「……大丈夫では、ないのよねぇ……」

 頬を引き攣らせながらシェリルは笑う。笑うしかなかった。

 実のところ、出会いがまったくなかったわけではない。

 シェリル・ブライスは結婚相手としては魅力的だと感じる者も少なくないのだ。

 継ぐ爵位がない貴族の次男や三男、あるいは貴族との縁が欲しい商家の跡取りといった男性からすれば、シェリルは結婚することができれば自動的に爵位が手に入る女性だ。それがたとえ子爵家であっても、ないよりはあったほうがいいのだろう。

「寄ってくる男はろくなのがいないしね」

 サンドウィッチにかじりつきながらリタがため息を吐き出す。

 そうね、と誰に聞かれているかわからない以上、素直に同意することはできないのでシェリルは曖昧に笑った。

 シェリルに接触してきた男子生徒をふるいにかけてきたのは、何を隠そうリタだった。あの男は女癖が悪い、あの男は使用人に手を出したらしい、あの男はギャンブルにのめりこんでいる等々、彼女の情報メモがおおいに活躍した。

 シェリルはそういったことには疎いから、リタがいなければ悪い男にひっかかっていたかもしれない。

(今度リタに何かご馳走しないとね……)

 情報は商品だ、という彼女が情報メモを駆使するたびにシェリルは対価を支払うと言うのだが、リタが素直に受け取ったことは一度もない。


「ここに伯爵家の三男でやさしくてかっこいい優良物件の男が一人いますけど?」


 どこからシェリルとリタの会話を聞いていたのだろうか、にっこりと微笑みながら二人の会話に割り込んでくる男子生徒が一人。エヴァンだ。

(……夏季休暇のちょっと前くらいから、たまに話しかけてくるけど、どういうつもりかしら?)

 シェリルはサンドウィッチを飲み込んでエヴァンを見る。

 エヴァンとの接点はクライヴしかない。そのクライヴがいないところでも、エヴァンはシェリルを見つけると犬のように駆け寄ってくるようになった。

「エヴァン・ガーランドはどんな女の子にもいい顔するし一途とは言えないから浮気する可能性も高いしオススメしない」

「リタ、本人の前よ」

「そこで否定しないあたり、シェリルもシェリルだと思うけどなぁ」

 そういうエヴァンこそ、リタからの嫌味をさらりと受け流している。腹を立てたような様子もなく、にこにこと腹の底が分からない顔をしていた。

「それに、俺だって好きになった子には一途になるよ」

 シェリルの隣に腰を下ろして、エヴァンがとろけるように微笑む。きっと多くの女子生徒はこの笑顔にくらりときてしまうのだろうな、とシェリルは冷静に考えていた。

「それなら、エヴァンの好きな子にアピールするべきだと思うわ」

「……ここまで通じていないと清々しいくらいだな」

 リタが呆れた顔をして、エヴァンはまるで何かに負けたみたいに苦笑している。

「シェリルはけっこう鈍感だもんねぇ。あたし、先生にノート提出してくるから先行くね」

「うん、いってらっしゃいリタ」

 大急ぎでサンドウィッチを流し込んで教室に戻るリタを見送る。

「鈍感って言われているけど?」

「リタの勘違いじゃないかしら。だって、あなたはわたしのこと好きじゃないでしょう?」

 シェリルはきっぱりと、確信を得ているかのようにそう言った。

 エヴァンは目を丸くして、言葉を失う。シェリルの言う『好きじゃない』というのは、好意を否定するというよりも『嫌い』に近いニュアンスがあった。


 ――あなたはわたしのこと嫌いでしょう?


 そう言いたいところを、やんわりとオブラートに包んだに過ぎない。

「……女の子からそう言われたのは初めてかな」

「それはそうでしょう。だってあなたが好きじゃないのはわたしだもの」

 エヴァンが甘い顔をするその他の女の子たちとはまた違う。おそらくその女の子たちも、エヴァンにとってはどうでもいい存在なのかもしれないが。

 きっぱりと断言するシェリルに、エヴァンは笑いがこみあげてきた。

 どこでそう悟られたのか、嫌われているとわかっていてなぜ今もエヴァンの隣に座っているのか。先ほどリタと一緒に去ればエヴァンだって追いかけはしないのに。

「どうしてそう思う?」

「どうしてと言われても……」

 困ったようにシェリルは眉を下げる。

 確証があるわけではなかった。けれど今となっては、このエヴァンの反応こそが確たる証拠だと言えなくもない。

 物腰は柔らかく、偏見もなく、にこにこと微笑んで、時には甘い言葉を囁いて。それだけなら誰もが好意を寄せられていると感じてもおかしくはない。けれどシェリルにはずっと違和感があった。


(そう、しいて言うなら――)


「目が笑っていないんだもの」

 琥珀色の瞳が、かすかに揺れる。

 何かを慈しむとき、いとおしいと感じるとき、人はやさしい目をしている。それを、十六年間注がれてきたシェリルは誰よりもよく知っている。

 だからこそエヴァンの笑顔にそれがないことに最初から気づいていた。シェリルに好意があると装っているときも、変化はなかった。そこから導き出される答えは一つだけだ。

「あっははははは!」

 エヴァンはわずかな動揺のあとで、弾かれたように笑いだした。

 周囲の生徒たちが何事かとこちらに注目するほどの大爆笑だ。

(え、この人大丈夫……?)

 シェリルが困惑してエヴァンを見つめるなか、エヴァン本人はおかしくてたまらないといった風に笑い続け息を切らして涙目になっている。

「――ほんと、君って予想を裏切るのが得意な子だなぁ」

 眦から涙を拭い取り、エヴァンが笑う。

 その瞳には、今でもやさしい色など宿っていないけれど、今までと同じでもなかった。

「予想?」

「ただのじゃじゃ馬かと思ったらわりとマナーは身についているし、無茶はするようだけど無謀でもない。愛されてばかりの頭がお花畑な子かと思ったけど、意外と人をよく見ているし」

「……とりあえずろくな印象がなかったってことはわかったわ」

 その印象をエヴァンに植えつけたのは十中八九クライヴだろう。本人のいないところでどんな話をしているんだと今度会ったら詰め寄りたい。

「はは、でもそうだな、そういう君のほうが俺はどちらかというと好ましいかな」


 好き、ではなく。

 嫌いじゃない、でもなく。

 好ましい。


(……うまく言葉を濁す人だなぁ)

「それはどうも。わたしもそろそろ戻るわ」

 空になったバスケットを持ってシェリルは立ち上がる。たくさんあったサンドウィッチはシェリルとリタがすべて平らげた。

「じゃあ、また。シェリル」

 ひらひらと手を振るエヴァンに、変な人だとシェリルは首を傾げるのだった。

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