16:察しのいい友人

「それで、なんだってあんなことに?」

「わたしが聞きたいくらいなんですけど……」


 エヴァンの問いに、シェリルは苦笑した。

 シェリルは何が起きたのかさっぱり分からぬまま、クライヴに庇われたおかげで水に濡れずに済んでいる。

 大中小三人組がシェリルに絡んでくる理由がクライヴなので、今回のようにクライヴに庇ってもらうと状況は悪化しそうな気もする。

(でもさっきは三人とも真っ青になっていたから、少しは大人しくなったりするかしら……)

 クライヴを巻き込むかもしれないとパティたちも認識すれば、今回ほどの嫌がらせはしなくなるかもしれない。小言くらいならいつものことだとシェリルも受け流せるし、物理的な被害はない。

「――ヴィヴィアン・ベックフォード絡み?」

「なっ……」

 んで、それを。

 と思わず声を上げてしまったシェリルは慌てて口を塞いだ。

「見ていればわかるでしょ。君に絡んでくるのはモリー・ジョンソン、パティ・ニコルソン、エイミー・タッカーの三人。その三人がヴィヴィアン・ベックフォードの取り巻きなのは誰もが知ってる。君は確かに女子生徒から煙たがられているけど、本来お嬢様方は触らぬ神に祟りなしってやつだからね。絡んでくるってことは理由があるってこと」

 両手で口を塞いだまま、シェリルはエヴァンを見上げる。好奇心旺盛そうな琥珀色の目がにやにやとシェリルを見ていた。

「彼女がクライヴに惚れてるみたいだってことは、クライヴとよくいる俺にしてみればバレバレだしねぇ」

 ――察しのいい人なら気づいているんじゃない? と言っていたリタの顔を思い出す。どうやらエヴァンは『察しのいい人』に分類されるらしい。

「クライヴにとって、君は特別みたいだから」

「従兄ってだけです」

 即座に声を出したシェリルに、エヴァンは笑った。

「クライヴのことなら話すんだね」

 エヴァンにそう言われてからシェリルはしまった、と顔を歪めた。リタにも指摘されたのに、どうにもクライヴのことになると口が緩む。

(だって特別だなんて言うから……)

 つい否定しなければ、という意識が強く出てきてしまう。

 エヴァンの言う特別とは、どう考えても『特別嫌い』や『特別目障り』という意味ではない。好意的な意味であるのなら、シェリルはそれを全力で否定する。

 クライヴにとってシェリルは、『特別好ましい』存在などではないのだから。

「今更だけど、シェリルと呼んでも?」

「……どうぞ、ガーランド様」

 本当に今更だ、と思いながらシェリルは頷いた。今どき、ファーストネームで呼んでいたところで恋仲だと疑われるようなことはない。学園内でも、知人や友人ならばごく普通にファーストネームで呼び合っている。

「家名は好きじゃないから、俺のこともエヴァンで頼むよ」

「それは……仮にも伯爵家の方ですし」

 シェリルは別にエヴァンと親しくなりたいわけでもないし、わざわざファーストネームで呼び合う必要もないと思う。今後こうして二人で話す機会があるのかさえ怪しいところだ。

「伯爵家と言っても三男ですし? 俺はたいていの女子に対してもこんなもんですから誰も気にしませんよ」

(……なるほど、博愛主義ってところかしら)

 どんな女子生徒相手にもこれなら、シェリルに対して馴れ馴れしいのも頷ける。

「ガーランド家といえば、優秀な騎士様を多く輩出していらっしゃいますよね」

 シェリルの記憶が確かなら、ガーランド家は王家からも暑い信頼を得ている騎士が多い。騎士となる者も多い家だから女性にはやさしく、なんて言い聞かされているのかもしれない。

「俺はすっかり放任されてますよ。三男坊なんて興味ないんでしょう」

「そうですか?」

 きょとん、とした目でシェリルはエヴァンを見上げた。

「興味がない、と無責任は別ですよ。あなたが自由な選択してもご両親はその責任を負うお覚悟があるということでしょう?」

 真っ直ぐすぎるくらいのシェリルの緑の瞳は、エヴァンを容赦なく突き刺す。

 エヴァンを見ていれば騎士を目指していないことはわかる。それなりに鍛えてはいるのだろうが、全体的に細身だ。

 騎士を多く輩出している家系で、それを許されたということはなかなか珍しい。継ぐ爵位や領地がなくても、騎士となれば給金も貰えるし次男や三男でも将来困るようなことにはならないはずだ。

「ご存知でしょうけど、わたしもこんなですから。随分と奔放に育ちましたけど、両親はわたしが何をしても責任を取る覚悟があって、こんな風に育てたんだなって。だから……」

 だからきっと、エヴァンだってそうだ。

 シェリルはそう思う。

 貴族として生まれれば、生まれた瞬間から責任を持つ。家を継ぐこと、領地を治めること、国に仕えること。けれど自由に生きられるのなら、そうさせてやりたいと思う親は少なくはないと、思うのだ。

「……愛されて育ったんですねぇ、シェリル」

「……はい? ええ、そうですね」

 しみじみと呟かれたエヴァンの声に、シェリルは頷いた。否定するようなことではないし、シェリルは自分が家族から十分すぎるほど愛されていることを自覚している。

「ここまで来ればわかるでしょう? 俺はクライヴの様子見に戻りますから」

「あ、ありがとうございます」

 気がつけばシェリルが馴染んだあたりまで戻ってきていた。ここから迷うようなことはない。

 どういたしまして、とエヴァンは微笑みながら去って行った。




 エヴァンが医務室に戻ると、クライヴは医務室に置いてあったらしい替えのシャツを羽織っていた。上着はまだ濡れているらしい。

「おまえのお姫様はちゃーんと送り届けてきたよ」

「ああ、悪い。助かった」

 『おまえのお姫様』という言葉は否定しないらしい。戯言だと聞き流しているのか、それともクライヴ自身もそう思っているから否定しないのか。この友人は顔に出さないのでエヴァンにはわからない。

 過保護すぎるんじゃないの、という言葉は飲み込んでエヴァンは壁にもたれる。医務教諭はまだ戻ってきていないらしい。

「聞いていたとおりのじゃじゃ馬なのに、中身はけっこう箱入りのお嬢さんなんだな」

「シェリルは伯父さんたちに可愛がられているから」

「それだけじゃないだろ」

 両親から注がれた愛情がたっぷりあったとしても、あそこまで無邪気にはなれない。親に愛されて育っただけの令嬢ならこの学園にも山ほどいる。

「……甘やかしてる自覚はある」

「自覚があったことに驚いたわ」

「俺はさすがにそこまでバカじゃない」

 エヴァンの遠回しの指摘も、クライヴはしっかりと気づいている。シェリルを可愛がっているのはおまえもだろ、という指摘をクライヴはあっさりと飲み込んだ。

「それにしたって、少し前から傾向が強くなってないか? 入学したての頃はもう少し距離があったと思うけど?」

 エヴァンが無遠慮に問いかけると、クライヴはむ、と眉間に皺を寄せた。不機嫌なのではなく話すべきかどうか考えているのだ。考え込むときに彼はいつも眉間に皺を寄せている。

「……シェリルは、婚約者を見つけようとしているから」

「へぇ?……まぁ、珍しい話でもないだろ」

 たいていの令嬢たちは将来の伴侶を探している。商家の子どもなら今と未来の顧客を、貴族の子息なら成人後に使える縁を求めて、このラウントリー学園に来ている。

 そういった打算もなくただ学園に通いたくて、なんて考えている生徒はほとんどいないだろう。

「学年末まで、という期限を言い渡されているらしい。でもあのままだと婚約者どころの話じゃないだろ」

「それは確かに」

 季節は夏の盛りを迎えている。

 すぐに夏季休暇が始まるし、それが終わった頃には秋がやってくる。さらにその後、秋から冬にかけてはあっという間に過ぎて行く。

「俺に誰かを紹介されるのは嫌がるだろうから、せめて奇行だけでもどうにかできれば……」

「奇行だって認識していたことに俺は驚いてる」

 正直、目に入れても痛くないとかそういうレベルで盲目なのかと思っていた。

「奇行だろ。あいつ小さい頃にプラムが好きだからって、食べたプラムの種を隠れて庭に植えたりしていたんだぞ」

「それは食い意地がはっているというか……それ、芽は出た?」

「驚くことに芽が出たし今も庭の片隅に植わっている。さすがにまだ実はつかないだろうけど」

 芽が出て、小さな苗木になった頃に通いの庭師が気づいたそうだ。報告をうけたブライス夫妻は「あら、それならあのあたりに他のくだものも植えましょうか?」「それもいいね」などとのんびり話していたという。

「……でもさ、おまえそれでいいわけ?」

「何が?」

「いや、いいなら別に俺は何も言わないけどさ」

 クライヴはつまり、穏便にシェリルに婚約者ができるように陰ながら見守りたい……協力したいと言っているのだ。

 エヴァンから見ても、クライヴにとってシェリルが特別な女の子であることは明白なのに。

「そもそもさ、おまえが婚約者になればいいんじゃないのか? お似合いだろ」

「……シェリルは俺のこと嫌ってるから、無理だな」

 嫌っている相手だというのなら、自分のせいでびしょ濡れになったからといえ、医務室まで付き添うだろうか。

 エヴァンはため息を吐き出しながらそう思う。思ったところで口に出さなかったのは。ほんの少しの意地悪をしたい気分だったからだ。


「……世界中の誰も彼もが、愛されているわけじゃないんだよなぁ」


 エヴァンの自嘲的な呟きは、あまりに小さくクライヴの耳にすら届かない。

「何か言ったか?」

「――いいや、何も」

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