14:三人のたくらみ

 ――最近クライヴが鬱陶しい。


 学園でシェリルを見つけると必ず声をかけてくるようになった。ブライス家で一緒に夕食をとった日くらいからずっとだ。

(……きっとお父様に何か言われたんだわ)

 律儀に言うことなんて聞かなくてもいいのに、とシェリルはため息を吐く。夕食の席では今までと変わらなかったくせに、その翌日くらいからクライヴはあからさまにシェリルを気にかけるようになった。

(おかげでなんていうか……痛いのよね、視線が)

 シェリルがクライヴと一緒にいるところをパティたち三人組に目撃されると、ギリギリと睨んでくるのである。面と向かって文句を言ってくるようなことはないのだが、特にパティの眼力が強い。

 ヴィヴィアンの味方である彼女たちにしてみれば、シェリルは目の上のたんこぶ以上に目障りなのだろう。


「うげ」


 噂をすればというやつだろうか。シェリルの前方にクライヴがいる。向こうはまだ気がついていないようだ。

(このままだとまた話しかけられるんじゃ……よし、逃げよう)

 しかしシェリルがいる廊下は、ちょうどよく曲がれるようなところがない。シェリルは小柄だから物陰に隠れて気づかれずに済んでいるけれど時間の問題だ。

 ちらり、と窓を見る。幸い、ここは一階だ。

 クライヴがよそ見をしている隙に、とシェリルは窓を跨いで外へ出た。教師に見つかったら小言ではすまないだろう。

(このままクライヴが通り過ぎるまで大人しくしてよう……)

 窓のすぐ下でしゃがみこむ。奇っ怪な行動だが、植木が目隠しになっているので外を歩く生徒からもよく見えないはずだ。

 まるでかくれんぼしているみたいだ、とシェリルは小さく笑った。昔はよくクライヴとかくれんぼをして遊んだものだ。

(クライヴが鬼だとすぐに見つかっちゃうのよね。ほんと、悔しいくらい)

 悔しくて何度も勝負を挑んだけれど、クライヴは十分もしないうちにシェリルを見つけてしまうのだ。干し草の山の中とか、掃除用具入れの中とか、およそ女の子が隠れ場所として選ぶには意外性のある場所ばかりだったはずなのに。

 まるで初めから、シェリルがそこにいることを知っていたみたいに。


「シェリル」


 呆れるような声で名前を呼んで。

(そうそう、今みたいな感じで……って)

「窓から出入りするのはいけないことだって、基本中の基本すぎてマナーの授業ではやってなかったか?」

「……なんで」

 わかったの、とシェリルは呆然とクライヴを見上げる。窓から上半身を乗り出して、クライヴは首を傾げた。

「なんでって言われても」

 いつもそうだ。

 シェリルは込み上げてきた懐かしさに胸が締め付けられる。

 クライヴはいつもそうやって、簡単にシェリルを見つけてしまう。シェリルはあんなに一緒にいたのに、結局クライヴのことはほとんどわからないままなのに。




 結局、どんなにシェリルが避けたとしても、シェリルを見つける名人であるクライヴの前には無力だった。

「まったく、なんなんですのあの子は! ちょっと馴れ馴れしいんじゃございません!?」

 ぷんぷんと噴火しそうな勢いで怒りながらパティは今日もシェリルについての文句を言う。このところ毎日のようにシェリルがクライヴと一緒にいるところを目撃しているのだ。

 それはそれは仲睦まじく話しているものだから、生徒たちの間では二人はただならぬ関係なのでは? と考える者もいる。

 ヴィヴィアンにもその様子が耳に入ったら……と思うとパティたちも気が気でない。

「親戚らしいからある程度はしかたないのかも」

 もぐもぐとマシュマロを食べながらエイミーが答える。モリーは小さな声で「でも」と呟いた。

「親戚といってももう年頃の男女だもの、少しは控えるべきよね……」

「それも一理ある」

 うんうん、と頷きながら自分の意見などあってないような様子のエイミーをじろりとパティが睨んだ。

「エイミー、あなたいったい誰の味方なの」

「私はお菓子と自分の味方!」

 きっぱりと潔く断言しながら、エイミーはとてもいい笑顔をしている。パティは頭を抱えながらエイミーに怒鳴り散らした。

「そこは嘘でもヴィヴィアン様の味方だと言うところでしょう!?」

「自分に嘘をつくのはいけない」

 エイミーは真剣な顔で首を横に振る。彼女の優先順位の一位は常にお菓子なのだ。


「……ともかく! あれはどうにかすべきでしょう。ヴィヴィアン様のためにも!」


 エイミーにかまっていると本題からどんどん遠のいてしまう。脱線しかけた話題をパティは無理やり戻して、声を上げた。

「どうにかって、どうすれば……?」

「嫌がらせしているところを見られたら逆効果だと思う……」

 なんの案も浮かばずに眉を下げるモリーと、こんなときばかり真顔で意見してくるエイミー。

「い、嫌がらせなんて人聞きの悪い……! ただちょっと目に余る行動を注意しているだけですわ」

「パティ……目が泳いでると、やましいことがあるって言っているようなものだと思う」

 エイミーの声は聞こえないことにする。

 やましいことなんて、パティにはないのだ。だからもちろん、胸を張って言える。……声は少し、動揺して震えてしまうかもしれないが。

「クライヴ・ロートンもあの子がとんでもない子なんだと知れば離れて行くに違いないわ!」

 自信満々にパティが解決策を口にした。

「具体的にどうすればいいのかしら……」

「ここにバケツがあるでしょう! これに水をたっぷり入れて、あの子が通る場所をどろっどろのぬかるみにするのよ。靴は泥だらけになってみっともないことになるに違いないわ!」

 名案だと胸を張るパティに、モリーとエイミーはそっと顔を見合わせた。随分地味な案だと声に出さなかっただけでもエイミーとしては気を遣ったほうだ。

「でもバケツいっぱいの水を運ぶのは大変じゃないかしら……持てるか不安だわ」

 モリーは空のバケツを見下ろして小さく呟いた。学園での掃除当番があっても、彼女たちは水がたっぷり入ったバケツなど運んだことはまだない。

「それは交代でがんばるのよ、ヴィヴィアン様のためよ!」

「私は嫌。そんなことしてるとお腹がすいちゃう」

 ぐっと気合を入れようとするパティを食い気味でエイミーが拒絶する。いつもののんびりさなんてどこへ行ったのかと思うほどの素早い返答だった。

「あ、あなたが今食べているものはなんなの……。エイミー、手伝ってくれたらミシェル・ロランのクッキーをプレゼントするわ」

「やる!」

 エイミーの買収はとても簡単だ。こんなときのためにパティはいつもお菓子を用意してある。


 そして三人はバケツにたっぷりと水を入れ、よろよろとよろけながらも運んできた。

「ちょうどあの子が林の方に行くのが見えたの。あそこなら絶好のポイントでしょう?」

 広場などは煉瓦が敷かれているので水を零したところでぬかるみにはなりようがない。だがシェリルは学園内でも自然がある場所を好むことが多いようで、その足元は土である。

 シェリルほどずぼらな性格をしていたら靴が泥だらけになっても気にしないだろう。そのままの足でクライヴと会えば、泥だらけで汚い靴を晒すことになる。

 パティの誤算は、クライヴはそんなことでシェリルに幻滅するはずがないということを知らなかったことだろう。

 なんせ彼は犬を馬に見立てて跨ったりするシェリルも、窓からシーツでぶら下がっておきながらけろりとした顔をするシェリルも見てきたわけだから、今更靴に泥がついていることくらい気になるはずがないのだ。

「パティ、もうあの子が教室に戻るみたいだけど」

「というか……クライヴさんも一緒みたいね……?」

 エイミーがシェリルを見つけてパティに指摘する。遠目にシェリルとクライヴの姿を見つけたパティは目を剥いた。

「な、なんですって!? ほら! 早くなさいな!」

「無理よ……だって重いもの……」

「元気が余っているパティが持つべき……」

 バケツを持っているモリーはもうすっかりふらふらで、腕はぷるぷると震えていた。この状況で急ぐことなど無理だ。

「急がないとここまでの苦労が水の泡に――」

「待ってパティ……!」

 焦るパティをモリーが必死で追いかける。シェリルとクライヴの随分近くまでやって来たが今からパティの計画を実行する暇などない。

 どうするのか、とモリーが不安にかられた時だった。

 足がもつれ、身体が傾ぐ。手に持っていたはずのバケツは、大きく投げ出された。

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