13:騎士の権利

 ブライス子爵の書斎はこじんまりとしているが、掃除が行き届いているし整理整頓がしっかりされていると一目でわかる。

 ロートン伯爵家の父の荒れた書斎を思い出しながらクライヴは伯父を見た。


「婚約おめでとう、オズワルド」

「ありがとうございます」


 にこにこと穏やかに微笑みながら形式的な報告と、そこあとの私的な雑談を楽しむ二人を見ながらクライヴは自分の場違い感にいたたまれなくなっていた。

 しかしながら、今日ブライス子爵から呼ばれたのはクライヴだった。オズワルドが婚約の報告に来たのはそのついでである。

 わざわざ呼び出されるようなことをしただろうか、とずっと考えていたのだがクライヴにはまったく検討がつかなかった。……とはいえブライス子爵の用件といったら、十中八九、シェリルのことだろう。


「学園でのシェリルはどうかな、クライヴ」


 やっぱり、と思いながらクライヴは口を開いた。

「頻繁に会うわけではないので、俺も詳しく知っているわけではありませんが」

 釘を刺しておくことは忘れない。もちろんそれは一片の偽りもなく、クライヴが学園内でシェリルを見かけることはそう多くない。

 見かけても、特に問題がないのならクライヴから避けることもある。

「友人も出来たようですし、彼女らしく学園生活を楽しんでいるみたいですよ」

「友達が出来たことはシェリルも言っていたよ」

 にこにこと微笑みながらブライス子爵は言う。

 その笑顔に言いようのない圧力を感じながら、クライヴは重々しく続けた。『彼女らしく』と言葉を濁したことはバレバレのようだ。

「ただまぁ……シェリルはあの性格ですから、女子生徒のなかでは少し浮いているみたいで……まれに絡まれているようなこともあったようです」

 子爵が知りたかったのはここだろう。

 シェリル本人は絶対に父には言わない、けれど親としては気になるところのはずだ。

 穏やかな表情が少し悲しげな色を宿す。しかし子爵自身も予想していたのだろう、驚くような様子はなかった。

「シェリルだからねぇ……やはりそうなるか」

 ここで『シェリルだから』という感想が出てくるあたり、彼女の令嬢としての異質さを物語っている気がする。親ですらそう思うのだから、他人などなおさらだ。

「シェリルはあまり気にしていないようですけど。絡まれているといっても、大袈裟なことにはなっていないみたいですし」

 ねちねちとした地味な嫌がらせだと言えなくもないが、物事は白黒はっきりさせたがるシェリルには多少なりともストレスになっているだろう。だが学園生活が嫌だと癇癪を起こすほどのことでもないらしい。

 もう少し誰かに頼ればいいのに、と思って、シェリルが学園内で頼る先なんて自分くらいしかいないだろうとクライヴは自分自身に指摘する。

 シェリル自身は知り合いがあまりいない。幼い頃からクライヴと一緒に過ごすことが多かったし、同年代の女の子とはあまり気が合わなかった。

 これでもブライス子爵は女友達も作っておくべきだとあれこれ努力してシェリルに引き合わせたのだが、あの破天荒なシェリルは出会って初日に相手に嫌われてしまうのがお決まりのオチだった。

「シェリルを頼むね、クライヴ」

 本人が頼ってこないから、過保護な親からこうしてクライヴに話がくる。

 なんで俺が、と思ったのが顔に出ていたのかもしれない。子爵はくすくすと笑いながら続けて告げる。


「君はシェリルの騎士ナイトだろう?」


 それは。

 反射的に否定しかけて、理性でクライヴは胸の奥底に押し留めた。

 その権利はとうの昔に消え去っている。クライヴはもう無条件にシェリルを守ることが許されない。

 それもこれも、自分の不用意な発言のせいだ。一度放ってしまった言葉はどうやっても取り戻せない。取り戻せないから、シェリルとクライヴも元には戻らない。

「……俺のできる範囲で、気にかけておきます」

 もともとそのつもりだった。

 初日のあれを目の当たりにして、なおさら気にかけておかなければとも思った。まさか入学早々、枝をしっかりと掴みながら木に足をかける幼なじみを目撃するなんて誰も思わないだろう。

 シェリルの騎士ではなくなったけど、きっともう幼なじみと名乗ることもはばかられるだろうけど、それでも兄のようなものだからと思っていた。

 それも先日、シェリル本人から否定されてしまったわけだけど。

「シェリルはね」

 口を開いた子爵に、まだ何かあるのだろうかとクライヴは首を傾げる。

「学年末のパーティーまでに、婚約者を見つけてくることになってるんだ」

「……は?」

 思わず間抜けた顔で聞き返してしまう。黙って見守っていたオズワルドが、クライヴの反応に笑いそうになって必死で堪えていた。

「でも今の様子では、なかなか難しそうだね」

 難しいも何も、現状シェリルは異性との出会いなんてない。少なくともクライヴが知る限りでは、彼女はようやくリタ・コーベットという友人を得ただけだ。

 もう夏も本番だというのに。あと季節がふたつ過ぎ去って、年が明けたあとの――春を待ちわびる頃までとは言っても、生涯の伴侶を決める期間としてはあまりにも短いのではないか。

 何をしてるんだあのバカは、と口には出さないがクライヴは呆れ怒っていた。

「……決まらなかったときは、君がシェリルと婚約してくれるかな」

 獲物を逃がさないと言わんばかりの子爵の目に、クライヴは悟る。なるほど、今日クライヴを呼び出したのはこれが本題だったのだ。

「……シェリルが嫌がりますよ」

 なんせ、「クライヴなんかお断り」なんだそうだから。




『クライヴはシェリルの騎士ナイトだね』


 幼い頃、シェリルのそばについて何かと彼女を危険から守ろうとするクライヴを誰かがそう言った。兄のオズワルドだったかもしれないし、両親だったかもしれないし、伯父のブライス子爵だったかもしれない。あるいは、その全員か。


 ……召使いの間違いじゃないのか。


 正直その時のクライヴはそう思った。騎士なんてかっこいいものじゃないし、ましてシェリルは騎士に守られる姫君プリンセスなんてガラじゃなかった。

 けれど騎士だろうが召使いだろうが、シェリルを守るのは自分の役目だとクライヴは思っていた。二つ下の幼なじみは危なかっしくて目が離せないし、無計画に無茶をするから誰かが止めなければならない。

 もとは幼心に植え付けられた使命感だったのかもしれない。けれどそれは根強くクライヴの心で育っていたし、今も枯れずに残っている。


 ――クライヴも、いつかシェリルと結婚するだろうと思っていた。

 だってあんなに破天荒であんなにじゃじゃ馬なシェリルと結婚したいなんて物好きなやつはそうそういないと思ったから。だから、しかたないから俺が結婚してやるしかないだろうと思っていた。

 けれどまだ少年だったクライヴは、それを素直に認めることは出来なかった。

 もっともっと幼ければ、無邪気に認めることができたのだろうか。そうだね、シェリルは将来俺のお嫁さんになるんだろうね、と。兄のように穏やかな笑顔でそう言えたんだろうか。

 照れ隠しに放った言葉が、まさか本人に聞かれているなんて思わなかったし、撤回する暇もなくシェリルが走り去るとも思わなかった。

 いっそ掴みかかってきて「じゃじゃ馬ってどういうことよ!」といつもみたいな喧嘩になるほうがずっとマシだった。

 泣きそうな顔で怒鳴って、そのくせその後、いつもシェリルが泣くときに登る木の上にはいなかった。クライヴの慰めも言い訳もシェリルは拒んだ。


 ああ、なるほど。自分はシェリルからとんでもなく嫌われていたらしい。

 それを認めたクライヴはシェリルと距離を置くようになった。そばにいると、つい反射で彼女の世話を焼いてしまいそうになるから。


 ――あれから四年。

 クライヴもあの頃より大人になった。

 ならばもう少しうまく立ち回れるだろうか。シェリルに悟られず、せめて兄のような存在として、彼女を手助けすることくらいは許されるだろうか。

 それが罪滅ぼしになるなんて思わないけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る