8:はじめての友達
人がいる場所を避けて歩いた結果、シェリルとリタは敷地内の林に辿り着いた。
「……ごめんなさい、強引に連れてきてしまって」
「はぁ、別にかまいませんけど」
思えばリタとは途中で別れても良かったのだが、手を離すタイミングを失ってしまってこのままずるずると連れてきてしまった。
振り返り謝っても、リタの表情は分厚い眼鏡のせいでわからない。おそらく怒ってはいないようだ。
「さっきも、さすがにちょっと腹が立ってつい……でも考えてみたらあなたにとっては迷惑だったかもしれないわよね」
いくらリタが取り巻き三人に小間使いのような扱いをされていたとしても、彼女自身がそうすると決めたのならシェリルの出る幕ではない。冷静さを欠いたつもりはなかったのに、結局リタのためにという大義名分を掲げて暴走してしまったようなものだ。
「いえ、それも別に。そろそろあの三人とは距離を置こうと思っていたところだったのでちょうどいいです」
「……そうなの?」
あまりにきっぱりと、そうするつもりだと決めていたかのような口ぶりだったのでシェリルはびっくりした。
「ええ。あのヴィヴィアン・ベックフォードとお近づきになれればウチの商品を売り込んで新規顧客を獲得できる上、うまいこといけばそれを真似て他のお嬢さんたちもウチで買い物してもらえるかなと思ったんですけど、あの三人、全然ヴィヴィアン・ベックフォードに紹介してくれないし。ウチの顧客にもなりそうにないし」
時間の無駄でした、と苦々しく呟くリタに、シェリルは思わず笑ってしまった。
「あ、あなたそういう性格だったの……!? 随分たくましいのね」
リタにもあの取り巻きたちの言いなりになる理由があるのかもしれないとは思っていたが、それがこんなに商魂たくましいものだとはさすがに規格外なシェリルでも思いつかなかった。
驚くシェリルに、リタは「何を言っているんだ」と言わんばかりの顔で胸を張った。
「商人があれしきのことでへこたれるわけないじゃないですか。全部損得考えた上での行動ですよ」
しれっと言い放つリタに、シェリルは我慢できずに声を上げて笑った。
「あっはは! それはきっとあの三人だって予想してないわ!」
それどころが学園中の生徒が騙されていたかもしれない。傍目からはどう見てもいびっている貴族出の三人と、三人からのねちねちとしたいびりに耐えている庶民の生徒だった。
しかしそんな周囲の目を、リタはまったく気にしていなかったのだ。誰にどう思われようとどうでもいいと、本気でそう思っていそうでシェリルにはそれが潔く見えた。
「貴族のお嬢さん方にとってウチみたいな成金が目障りなのは織り込み済みですよ。こちとらそれを覚悟の上で、卒業後に繋がる縁を作りに来ているんですから」
「わたしは、目障りなんて思わないけど。でもそうね、わたしも令嬢としては失格みたいだし」
参考にはならないわね、とシェリルは笑う。
リタは「ああ」と呟く。どうやらシェリルの評判はリタの耳にもしっかり届いているらしい。
「木登りしたってやつですか? そりゃ育ちのいいお嬢様なら木の下で困った顔してりゃ誰かが助けてくれるかもしれませんけどね」
「助けが来るのを待っているのなんて、時間の無駄だと思わない?」
「無駄ですね。時は金なりと言いますから」
気持ちいいくらいにきっぱりと同意してくれるリタに、シェリルは先ほどまでの不快感など忘れ去って清々しい気持ちだった。
「――自己紹介がまだだったわね。わたしはシェリル・ブライス」
「……リタ・コーベットです」
シェリルが差し出した手を、リタは一瞬の躊躇いを見せたあとでしっかりと握手する。お互い名前は既に知っているけれど、きちんと名乗っていなかった。
「リタと呼んでもいいかしら? わたしもシェリルでいいから」
「え……いや、その、あたし庶民ですよ?」
「それが何か問題ある?」
さすがに呼び捨てはどうかと難色を示したリタに、シェリルはにっこりと言い返した。
咄嗟に反論できずに言葉を詰まらせたリタを見つめたまま無言で微笑んでいると、やがてリタは根負けしたように破顔した。
「……いいえ。あなたがそれでいいのなら。よろしく、シェリル」
その時眼鏡の隙間から垣間見れたリタは、確かに綻ぶように微笑んでいた。
かくして、シェリルはリタという友人を得ることができたわけだが。
「学年末のパーティまでに婚約者を……ねぇ」
空き時間をリタと過ごすようになって数日、シェリルはかいつまんで自分の事情を話すことにした。
主にクライヴとの関係は伏せたまま、『学年末のパーティまでに婚約者を見つけなければならない』ということと、その婚約者の条件である。
兎にも角にも、ブライス家に婿入りしてくれる人でなければならない。学園の生徒となれば年齢は必然的に限定されるので、気にする必要はない。……身分については父は何も言っていなかった。ラウントリー学園に入学できるほどの家であるのなら庶民でもかまわないということなのかもしれない。
しかし貴族という身分欲しさの男は、おそらく父は認めない。もとよりシェリルも、それだけの男を夫にするつもりはないが。
「シェリルにも一応好みとかあるんじゃないの?」
「好み?」
「そう、好み」
こてんと首を傾げたシェリルを若干呆れたように見つめながらリタが繰り返す。
「多少あるでしょ? 男らしい人が好きだとか、綺麗な顔立ちがいいとか」
なるほど、条件にはそういうものも含まれて当然なのか。
「……やさしい人がいいかな?」
「……それ、特に何も考えていなかったのをうまく誤魔化してるつもりなの?」
リタにはシェリルの考えていることなどバレバレだった。気が合う友人というのも困りもので、誤魔化そうにもけっこう筒抜けだ。
(好みって言われても、今まで好きになった人ってクライヴしかいないし……)
ならばクライヴと似ている人を好きになるのかと問われると、違うと思う。
シェリルはクライヴが不器用で、やさしくて、一緒にいるのがとても楽しくて――そういうところを幼い頃から見てきて、それらがいつの間にか恋になっていたのに気づいただけだ。
「……特に好みがないなら、ウチの兄を紹介しようか? 貴族じゃないけど、そこそこ真面目だし顔は悪くない方だと思うし、条件としては問題ないはず」
「リタのお兄様? リタって兄弟は何人いるの?」
シェリルは一人っ子だから、兄弟というものに憧れがある。オズワルドをずっと兄と呼んできているものの、彼は従兄であって兄ではない。兄のように慕っているけれど。
「一人だけよ。その兄だけ」
「え? でもそれなら紹介してもらうわけにはいかないんじゃ……」
兄が一人ということは、それはコーベット家の長男ということになるだろう。
シェリルの婚約者としての第一の条件は、ブライス家に婿入りが可能であることだ。継ぐべき家のある長男では話にならない。
「大丈夫。ウチの家はあたしが継ぐから。コーベット商会をもっと大きくするのがあたしの夢だし」
「そうなの? ……それなら会ってみるだけ、お願いしようかな」
毎朝毎晩、食事のときに顔を合わせる父は急がせるようなことは言ってこないものの、シェリル自身には焦りが生まれてくる。そろそろ少しでも前進しているという実感がほしいところだった。
「ちょうど、来月にあるお母様の誕生日祝いを買いに行きたかったの。リタのお店で良いものはないかしら?」
「別に気を遣わなくてもいいんだけど……」
「やだ、わたしがそういう気を遣うと思うの?」
商家出身の友人のために、その実家を特別贔屓にするなんてシェリルはしない。コーベット商会はそんなことを抜きにしても有名だし、良い品があると思ったのだ。
「それもそうね。わかった、じゃあいくつか良さそうなものを探しておくよ」
「本当? ありがとう」
それじゃあ日程はあとで決めよう、と言いながら別れる。
(リタのお兄さんかぁ……)
どんな人だろう、と思いながらシェリルは頭の片隅に浮かんだ人の顔を消し去るように首を横に振るのだった。
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