7:取り巻き三人組

 エヴァンからの助言の通り、シェリルはしばらく大人しくしていようと決めた。出る杭は打たれるものだ。シェリルは自分が規格外の令嬢であることを十分に自覚していた。

 しかし助言も虚しく、初日にやらかしたシェリルの失態はすっかり広まってしまったらしい。入学から二週間経っても、シェリルには友人ができていなかった。


(貴族の令嬢って伝書鳩か何かなのかしら……あの場にいたのはそう多くなかったはずなのに、どうして新入生だけじゃなくて学園中に知れ渡っているのよ……)


 ふぅ、とため息を吐きながらシェリルは学園内の広場のベンチで昼食をとっていた。学食もあるのだが、上級生がたくさんいるので新入生にはなかなか足を運びにくい場所だ。

 幸いにもあれからクライヴからもエヴァンからも接触はない。そのことには心底ほっとしていた。


「そこをどいてくださるかしら! これからヴィヴィアン様が昼食をいただきますの。視界にみすぼらしい庶民がいたら気分を害されるでしょう?」


 穏やかな日差しの下で響いた大きな声に、思わずシェリルは顔を上げた。自分に向かって言われたのかと思ったが、庶民という単語にすぐ勘違いなのだと気づく。

 広場の中にあるたくさんあるベンチの中の、一角。ちょうど大きな樹のそばにあるので木漏れ日がキラキラと降り注ぐ場所だ。

 そんな心地いい場所には不釣り合いな光景が繰り広げられていた。

 特等席とも言えるベンチに座っていた女子生徒を相手に、声を上げた女子生徒を含む三人が取り囲んでいる。

 三人組は見事に大中小といった感じで、一人はひょろりと背が高く、真ん中に立つ少女は平均的な身長で、最後の一人はとても小さくぽっちゃりとしていた。小柄なシェリルより背が低いかもしれない。

(先にいたのはあの子なのに、なんで場所を譲らなきゃいけないのよ)

 三人組が邪魔でよく見えないが、座っているのはごく平凡な少女のようだ。三人の言うことを信じるのなら商家などの生まれである庶民なのだろう。

 学園内では身分に関係なく過ごすことになっているものの、そんな規則も結局は形だけのものになっている。特に女子生徒の中では公爵家や力のある伯爵家の令嬢に取り巻きがいるし、その取り巻きたちは令嬢のために『気遣い』を欠かさない。

 この三人組も、庶民など視界に入れたくないと言いながら特等席であるベンチを奪いたいだけなのだ。最も良い場所を自分たちが用意しておいたと令嬢に胸を張るために。

 正直シェリルはそんな場面を見るたびに胸がむかむかとして仕方なかった。けれど当事者でもないシェリルが波風をたてるのもどうかと思って黙っているのだ。大人しくしていると決めた以上、揉め事を起こすわけにはいかない。


「……はぁ、そうですか」


 当の本人である少女は怒ることもなく、食べかけの昼食を手に立ち上がる。ようやく垣間見えた顔は、大きな分厚い眼鏡のせいで結局シェリルからはよくわからなかった。

 少女はそのままどこかへ行ってしまった。視界に入れたくないと言うのだから広場の別のベンチへ移動することも躊躇われたのだろう。

 その後にやって来たのは、豊かな金髪のうつくしい少女だった。立ち居振る舞いからしてまさしく由緒正しい家柄の『ご令嬢』。

 取り巻きたちが確保していた場所になんの疑問を感じる様子もなく、優雅に「ありがとう」と微笑んで昼食タイムを過ごしている。

 ほんの少し考えてみれば、日当たりもよく適度に日陰があって過ごしやすい位置のベンチが、運良く空いているなんてことそうそうないことくらいわかるだろうに。

 それもわからない箱入り娘なのか、取り巻きたちが何をしたかをわかっていて黙認しているのか。後者なら性格が悪い。

(ヴィヴィアン様、だっけ?……んーと、ヴィヴィアンといったら確かベックフォード伯爵家だったかな……)

 一応同年代の貴族の子どもたちの名前ならいくつか覚えている。ヴィヴィアン・ベックフォードはそのうちのひとつだ。

 ベックフォード伯爵家は建国当初から続く、伯爵家のなかでは一、二を争う家柄だ。なるほど、それなら取り巻きがいるのも納得できる。

 その上ヴィヴィアン・ベックフォードといえばシェリルと同年代の令嬢のなかでも華やかで品がある評判の人だ。お近づきになっておいて損はない。

(ま、わたしはごめんだけど)

 令嬢のなかの令嬢だなんて言われる少女とシェリルの息が合うはずがない。




 関わらない、と決めたものの。

 ヴィヴィアンの大中小の取り巻きたちと眼鏡の少女のやり取りというのはやたらシェリルの目についた。

 眼鏡の少女――リタ・コーベットという名前なのだとあとからすぐにわかった。コーベット商会といえば近年有名だ。国内外から話題のものを集めては注目されている、王都でも人気の店である。

 由緒正しい貴族は嫌うことの多い、いわゆる成金だ。そういった家の生徒に対しては金でなんでもできると思っている、という陰口を残念ながらよく耳にする。


「ちょっと! このベンチ汚れているじゃない! きちんと掃除しておいてちょうだい!」

「ごめんなさいね……その、掃除用具の場所なんてわからないものだから……」

「ついでに購買でおやつを買ってきてほしい」


 そして今日も三人の取り巻きたちの声がシェリルの耳まで届く。

 ベンチが汚れているのは広場の掃除を担当しているクラスの生徒が手を抜いたか、あるいは前にその場所を使った者のマナーが悪いのかが原因であって、決してリタ・コーベットが汚したわけではない。

 学園の生徒は身分に関わらず掃除当番も割り振られているので、掃除用具の場所を知らないのは説明を聞いていなかったのか忘れたかのどちらかだ。

 ついでにおやつが欲しいなら自分で買いに行けばいいと思うし、その手にあるのはおやつではないのだろうか。食べ歩くのはマナーとしてもどうかと思う。

 シェリルが頭の中で『大中小』と呼んでいる取り巻きはわかりやすいほどそれぞれの性格が違う。

 名前も覚えた。大中小の順でモリー、パティ、エイミー。

 気弱でおどおどしている背の高いモリー、いつもキャンキャン吠えるように文句を言っているのがパティ、小さくて丸いのがエイミーだ。ちなみにエイミーはいつもヴィヴィアンからも間食をやめなさいと注意されているが頑なにおやつを手放さない。普段はのんびり屋なのに、おやつのことになるとなかなか頑固そうだ。

「はぁ……かしこまりました」

 リタ・コーベットはいつもやる気のない返事をして三人の言うことを聞いている。掃除用具を持ってきて手早くベンチの汚れを拭き取ってしまうし、エイミーにはクッキーを渡していた。

「終わったのならさっさと行ってちょうだい、ヴィヴィアン様がいらっしゃるでしょう!」

「はぁ」

「返事ははいでしょう、なんなのその歯切れの悪い返事は!」

 パティの声は甲高くて耳障りだ。小心者ゆえに大きな声を出して虚勢を張っている。

 シェリル以外の生徒だってリタ・コーベットが小間使いのような扱いをされていることは気づいているが、おそらくそれを問題視している者は少数だろう。

 庶民なのだから貴族に尽くすのは当たり前だ、と思っている者が大半で、昼下がりのこんなやり取りもまるで見えていないかのように各々好きに過ごしている。


「だいたいあなたがいると気分が悪くなるのよ! 薄汚い庶民の匂いなど学園に撒き散らさないでほしいものだわ!」


 そろそろ立ち去ろうとしていたシェリルが、パティの声に動きを止める。

 リタ・コーベットは相変わらず生返事をしていた。しかしシェリルは気づいてしまった。分厚い眼鏡に隠れて瞳は見えないが、一瞬、彼女の口元がぎゅっと何かに耐えるように引き結ばれたのを。

 紳士たれといわれる男子生徒は見て見ぬふりをし、淑女たれといわれる女子生徒はくすくすと笑いながら関わらないようにしている者がほとんどだ。おそらくシェリルのように腹を立てている者は少ない。

 なにが正解なのかシェリルにはわからなかったが、大人しくしているという助言はもう頭の中から吹き飛んでいた。


「人の気分を悪くしてるのはどっちなのよ」


 シェリルの声は予想以上に広場に大きく響いた。

 突然割り込んできたシェリルにパティは驚いて目を丸くしている。しかし相手がシェリルだと気づくと見下すように笑った。

「どなたかと思えばあなたなの、シェリル・ブライス様? 入学早々に木登りなんて田舎者だと大声で言いまわっているようなものよね! 近寄らないでくださる? 同類と思われたくないもの!」

「同類と思われたくないのはわたしも同じよ。あなたの頭は学園では身分に囚われず勉学に励むべきだという高尚な考えが理解できていないようだから」

 最も理解できていないのはパティだけではないようだが、それをここで言及して敵を増やすほどシェリルも馬鹿ではない。

「な、なんですって!?」

 顔を真っ赤にしてさらに甲高い声を上げるパティに、シェリルは思わず耳を塞ぎたくなった。

「偉いのはあなたではないでしょうってことよ。行きましょう、昼休みが終わってしまうわ」

 頭の中は静かな怒りでいっぱいだったが、ここで大騒ぎを起こすつもりはない。

 シェリルはリタ・コーベットの腕を掴むと足早にその場を去った。


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