4:四葉のクローバー

 クライヴがブライス邸にやってきた時、シェリルはすっかりいじけていた。

「四葉のクローバー? それでおまえそんなに機嫌悪いのか」

「だって全然見つからないの! 四葉のクローバーなんて本当にあるのか疑わしいくらい!」

 頬を膨らませているシェリルに、クライヴは笑いながら「リスみたいだ」と言った。


 四葉のクローバーを探すのもちょっと嫌になってきたシェリルは部屋で本を読んでいた。気分転換は大事だ。

 お腹がすいてきたなと顔をあげるとそろそろ昼食の時間で、その時ようやくクライヴが遊びに来ていたはずなのに一緒にいないことに気づいた。

「あれ? クライヴは?」

 ちょうど昼食ですよと呼びに来たメイドに聞いてみる。

「私たちは見てませんけど……お帰りにはなっていないはずですよ」

 メイドたちはてっきりシェリルと一緒だと思っていたらしい。シェリルと同じようにはて、と首を傾げていた。

「今日はオズワルド兄様も来ているのよね? もしかして二人で一緒にいるのかしら」

 クライヴには五歳上の兄がいる。オズワルドはラウントリー学園に通うようになってからは忙しく、シェリルもあまり会わなくなったが今日は母の誕生祝いの食事会ということでロートン一家がブライス家にやって来ている。

「オズワルド様は旦那様たちと一緒にいらっしゃいましたよ」

 つまりクライヴはその場にいないらしい。

 クライヴはよく遊びに来ているし、いつも自分の家同然で過ごしているから一人でどこかにいても不思議はないけれど、珍しい。クライヴはなんだかんだでいつもシェリルと一緒だったから。

「クライヴったら一人でかくれんぼでもしてるのかしら」

「そんな……お嬢様じゃないんですから」

 コニーから零れた苦笑に、シェリルはむぅと唇を尖らせる。

 確かにシェリルには前科がある。しかし、誰にも告げず勝手に始めたかくれんぼで屋敷の中が騒然としたのは三年も前の話だ。その時も結局クライヴがシェリルを見つけたのだった。


 ちょうど昼食の時間だ。お腹がすけばクライヴも戻ってくるだろうと楽観視していたのだが、ブライス家とロートン家が集まった賑やかな昼食の席にクライヴはいなかった。

「まったく、あいつはどこに行ったんだ?」

「外に遊びに行って時間を忘れているのかしら」

 ロートン夫妻はそんなことを言って、心配している様子はない。

「そうね、昔もよくあったものね。シェリルも一緒にいないから二人で遊びに夢中になっているんだろうって……あら?」

「あら? というのは失礼だと思うのお母様。わたしはいるわよ」

 その場にいる全員の視線がシェリルに集まる。

「あら? あらあら?」

「まぁ、まぁまぁどういうことかしら」

 母と叔母が目を丸くしてころころと笑う。そうしていると姉妹ということもあって本当にそっくりだ。

「クライヴと一緒じゃなかったのかい、シェリル」

 穏やかな笑みを浮かべてオズワルドが問いかけてきた。

「今日は一緒じゃないわ。わたしはずっと本を読んでいたの」

「一緒にいなかったなんて、珍しいね」

「自分で言うのも変だけど、とっても珍しいわ」

 小さな頃からシェリルはクライヴと一緒だった。同じ場所にいるのに別行動なんて、今まであっただろうかと考え込むほど珍しい。

「一人でどこかに行っているのかしら。あの子のことだから心配はいらないでしょうけど」

「そうね、クライヴ君はしっかりしてるものね」

 これがシェリルだったら皆は顔色を変えて探し始めるのだろう。なんせ目を離すと二階の窓からシーツを使ってぶら下がっているような女の子なので。

 クライヴだってシェリルと一緒になって遊んでいたのに、大人たちからの信頼度がこうも違うのがシェリルにとっては納得出来ないことのひとつだった。

「シェリルみたいにかくれんぼってことはないだろうから、外にいるんだろうね。……もしかしたら森まで行ってるのかな」

「え、ずるい」

 森なんてなかなか行けないのに、という本音がぽろりと零れて、大人たちはにっこりと微笑みながら「いけません、シェリル」という顔をしていた。口が滑ったとシェリルは両手で口をおさえる。

 ブライス子爵家の屋敷の裏庭からは領地の豊かな森へ行ける。むしろ裏庭が森の一部といっても過言ではない。

 森が大好きなシェリルだったが、行きたい時は両親から許可を得て、メイドを二人以上連れてでなければダメだときつく言われている。子どものシェリルにとって森の中は危険も多いし誘惑も多い。迷子になったら命にも関わる。

「一応昼食のあとで少し見に行ってみるよ」

「わたしも行きたい!」

 オズワルドに便乗してシェリルが目を輝かせるが、母がそれを許さなかった。

「シェリルはダメよ。エイムズ夫人から出された課題を終わらせていないでしょう?」

「う」

 エイムズ夫人というのはシェリルの家庭教師の女性のことだ。少し前から刺繍を教わっているのだが、これがまたシェリルの性格には合わない。こういう地道な作業は苦手なのだ。

(それじゃあ、今日はもうクローバーを探しに行けないわ)

 見つからなくてイライラしていたとはいえ、四葉のクローバーを手に入れることを諦めたわけではない。むしろこんなに見つからないものを実際に見てみたいと思うのは当然の心理だろう。


 午後は刺繍が得意だという叔母に見てもらいながら、シェリルはちくちくと針を刺し続けていた。

 地味な作業に音を上げそうになりながらも、どうにか花らしき刺繍が出来上がる頃に、叔母は「え?」と声を上げた。窓の外は夕焼けで赤く染まり始めている。

「クライヴ、まだ帰ってきていないの?」

 その声にシェリルの中の不安がじわじわと膨らんでくる。窓の外を再び見た。夕日。クライヴの姿をほぼ半日、誰も見ていない。

 何かあったのかもしれない。だって、森は危険もたくさんあるから。クライヴはしっかりしているけれど、万が一ということもある。

「オズワルドは? ……そう、まだ戻ってきてないのね」

 叔母とメイドの会話に耳をすませながら、シェリルはふくれあがってきた不安で針を持つ手をとめる。

(オズワルド兄様も戻ってきてない……?)

「シェリル、あの子が行きそうなところに心当たりはある?」

 問いかけてくる叔母に、シェリルは困惑した。

 クライヴが行きそうな場所。

 不思議なことにまったく思い浮かばなかった。

 クライヴは簡単にシェリルを見つけるのに、シェリルはクライヴを見つけることができない。思えばシェリルがいつも見つけられる側で、その逆はなかった。

「え、と……」

 言葉を詰まらせていると、玄関ホールのあたりが騒々しくなる。その声のなかに「クライヴ」という名前が聞こえて、シェリルは叔母と顔を見合わせた。

「帰ってきたみたいね」

 まったくあの子は、と言いながら安堵を滲ませて、叔母は胸につかえていた息を吐き出した。


 玄関ホールでは既にクライヴは叔父やシェリルの両親に囲まれていた。隣にいるオズワルドが苦笑しているから、彼が見つけて連れ戻したのかもしれない。

「クライヴ、一言の伝言もなく、今までいったい何をしていたの」

 叔母は声を荒らげるわけでもなく、静かに問いかける。クライヴは既に似たような詰問を受けたからか、聞き飽きたというように眉を寄せた。

「こんなに時間がかかる予定じゃなかったんだ」

 はぁ、とため息を吐き出すクライヴの返答に叔母は首を傾げたが、叔父はやわらかい表情でクライヴを見守っている。

「シェリル」

 なんとなくクライヴを取り囲む輪に入ることができなくて少し離れて見つめていたシェリルに、クライヴは声をかけた。

 クライヴの青い目がまっすぐにシェリルを射抜く。なぜかシェリルの足は床に張り付いたみたいに動かなくて、彼を見つめ返すしかできなかった。

 輪の中心からクライヴがこちらにやって来る。見ると、彼の服の袖や裾には土汚れがついていた。


「ほら。欲しかったんだろ」


 そう言って差し出されたのは、クローバーだった。

 その葉は四枚。四葉だった。

「これ……」

 クライヴの手には四葉のクローバーがふたつ。それを見つけるのがどれほど困難かということは、シェリルが嫌というほど知っている。

「本当はもっとたくさん見つけるつもりだったんだけど」

 兄貴が呼びに来るから、とクライヴは言い訳をしている。もっとたくさんなんて、これだけでも十分すぎるくらいなのに。

「……わたしがもらっていいの?」

 怖くもないのに声が震えた。

 クライヴは何を言っているんだという顔で笑う。

「おまえにやるために見つけてきたんだよ」

 だって、幸運のお守りなのに。

 見つけたのはクライヴなのに。

 それを惜しげもなく渡していいの?

 胸が苦しい。たくさん吸い込んだ空気が、そのままシェリルの胸の奥にとどまってしまっているのかもしれない。つま先から痺れるみたいな電気が走って、わけもなく走り出したくなる。

(ああ、わたし)

 これは、苦しいんじゃない。

 きっと、満たされている、と言うべきなのだ。だってシェリルは、こんなに幸せだから。


(クライヴのことが好きなのかもしれない)


 クローバーを握るクライヴの手を、小さなシェリルの手が包み込む。

「ありがとう、クライヴ。とってもうれしい」

 ふんわりと微笑むシェリルに、クライヴは照れたようにクローバーを押しつける。

 そんな二人を、家族たちはやさしく見守っていた。

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