第11話

***

「さてと、みんなそろったね」薫が言う。「見たよね、あれ」

「……」美紀は不安そうな顔でうなずく。

「あの、頬がべろんと――ああ……嫌だ嫌だ」気味悪そうに悦子さんは自分の腕を抱く。

「人間の皮をマスクのように被ってたよね?」

「……ああ」ぼくはうなずく。「剥がれた皮膚の下に、明らかになにか、シリコンの膜ようなものが見えた」

「そう――他の人たちも見ましたか?」

 秀二さんと悦子さんはうなずく。

「ほ、骨だったんじゃないか?」秀二さんが言う。

「骨なわけないじゃない、もう」悦子さんが言う。

「美紀ちゃんは?」

「え……、あの、何が何だか、わかんなくて……」

 薫が微笑む。

「どうやったかは不思議でしょうがないけれど、たぶん、そう、マスオさんは人間の顔の皮膚を、頭にかぶっていた。そう思うんだけど?」反応を確かめるように、薫がぼくらを見渡す。「私の頭がおかしいと思う人は?」

 客達は沈黙で答える。

「なし」薫が目をつむる。「それじゃあ、マスオさんの中身が別人――武広さんだったという可能性を否定できる人はいますか?」

「入れ替わっていたというのかね?」秀二さんが言う。

「そうです」

「それは……そうそう簡単にできるようなことではないぞ」

「では、マスオさんが、人間の皮をかぶっていた、というのも否定するんですね?」

「いや……、確かにあれは、人間の皮だった」

「あなた、なにが言いたいのよ」悦子さんが言う。

「そんなこと言ってもだな、やすやすと受け入れられることじゃないだろ。そんなことができるようになっていたなんて……私は知らん!」

 薫の目がこちらを向く。

「……」ぼくは黙って薫を見かえす。

 薫は微笑み、「技術的な問題は、私にもわかりません。ただ、人の皮を被っていた人を、実際に、私たちは別人と気づけなかったわけです」

「うう……」秀二さんは首の後を強く掻く。「ああ、私にはわからん!」

「それでは、ここからが本番ですが」薫が目を開ける。「もう一人、この中にいる『共犯者』を明らかにしましょう」

 その言葉に、ぼく以外の3人は驚愕し、顔を見合わせる。

「『共犯者』?そんなやつがいるのかね?」

「そうよ!私たちはずっといっしょにいたもの、だからあなたは大丈夫……よね?」

「おい!私まで疑ったら、ここにいる全員を疑うことになるぞ!」西村夫妻が言い合う。

「落ち着いてください」薫が言う。「共犯者はすでにわかっています」

 三人が静まって薫を見る。

「入れ替わっていたマスオさんを見て確信しました。共犯者は——美紀ちゃんです」

「——え!?」美紀が声を上げる。「ど、どうして?わたしっ……?」

西村夫妻が美紀から一歩離れる。

「なんで……なにかの間違いですよね?薫さん?」

「さあ?」と薫は肩をすくめる。「共犯者が美紀ちゃんだと考える理由を説明します。犯人が武広さんからマスオさんと入れ替わることができたのは、執一くんと江能さんをのぞいた全員が揃っていた朝食での以前です。つまり、夜から早朝の間に、武広さんの姿をした犯人は部屋を脱出、マスオさんの姿になりかわりました。その際に障害になることは2つ」薫は指を二本立て、「まず第1はわたしたちが犯人に施した縄の拘束。第2はマスオさんと同室の美紀ちゃんの存在です」

「……」美紀はどうして良いのかわからないようすで震えている。

「特に第2の障害は大きいですね。美紀ちゃんが同じ部屋にいるのに、犯人はどうやってマスオさんを殺害し、皮を剥ぎ、成り代わったのでしょう?——答えは簡単。マスオさんを殺したのは美紀ちゃんだったのです」

「ち……ちがう……!」美紀は半泣きで首を振る。「わたしは殺してなんて——」

 しかし、美紀を見る西村夫妻の視線はよそよそしい。

「第1の障害についても説明しておきましょうか。犯人——武広さんの部屋の窓は開け放たれたままになっていました。美紀ちゃんの部屋は犯人のいる部屋の隣です。美紀ちゃんはベランダから部屋の中へ、縄を切るのに必要な刃物と殺害したマスオさんの頭部あるいは顔を投げ込んだのです。椅子に縛り上げられているとはいえ、多少の移動は可能だからね」薫は手を叩き、「さて、美紀ちゃん?」

 美紀は、何度も首を振り、「違う……違う……」

「どういうことなのっ?」悦子さんが言う。「あなた、どういうつもりなの?」

「知らない!」美紀が首を振る。「私、何も知らない!」

「ち、近寄るな!」秀二さんが悦子さんをかばう。

「知らないもん!ほんとに知らない、何も知らないの!あの日だって、ずっと眠ってて……あいつに起こされて、朝ご飯に行っただけ!」

「美紀ちゃん」

 美紀が振り返る。薫がほほえんで立っていた。

「薫さん、私――」

 薫はポケットからナイフを取り出す。マスオさんの顔の皮膚を切り裂いた、あのナイフだ。

「ひ――」

「美紀ちゃんは危険な『共犯者』。だから、いっしょに欲しくないの。わかるでしょう?」

 美紀は、カチカチと歯を鳴らしながら、

「薫……さん?」

「じゃあ——」

「――待てよ」ぼくは言う。「その子は……美紀は『共犯者』じゃない」

 ナイフを構えたまま薫がこちらを向く。

「黙って聞いていれば、ずいぶんとずさんな推理だ。きみらしくもない」

「そう?」薫は微笑み、ナイフを下ろす。「それじゃあ執一くんの推理を聞きましょう」

「まず、美紀にはバリケードを崩すことはできない。不可能だ。なぜならぼくと江能さんが屋上に行くときに、美紀とマスオさんはぼくらとすれ違い、あいさつした」

「した!あいさつした!頭が、痛いって……」

 美紀がぼくに何度もうなずく

 ぼくも美紀にうなずき、

「そのときには、バリケードは維持されていた。そしてぼくが江能さんと屋上の調査を終え、階段を降りてくるときにも無事だった。よって朝食に合流してきみたちといっしょにいた美紀に、バリケードを崩すことはできない。藤山さんを殺すことも不可能だ」

 美紀はぼくをじっと見つめ、西村夫妻はぼくと薫を見比べる。

「それじゃあ共犯者はだれ?」薫が尋ねてくる。

「ぼくと江能さんが藤山さんの部屋にいて、他の全員が食堂にいたというなら、答えは一つだ」ぼくは言う。「共犯者はこの中の誰でもない。べつに潜伏している人間が、もう一人存在する」

「ふーん」薫は微笑んだままだ。

「……フリーの人間がいたならば、藤山老人殺害もバリケード破壊のタイミングも説明がつく。きみたちが食堂にいて、ぼくと江能さんが藤山さんの部屋にいたときだ」

「わたしたちの他にもう一人潜伏していたとしても、問題が残ってるよ?」薫は言う。「武広さんの姿をしていた犯人は、どうやってマスオさんを殺害して入れ替わったの?部屋の中には美紀ちゃんがいるのに」

「それこそ、簡単な話だ。マスオさんはずっとマスオさんであり、犯人だったんだ。犯人は入れ替わってなんかいない。武広さんは無実だ」ぼくは絵美さんと武広さんの仲睦まじい姿を思い出す。「拘束されていた武広さんは、部屋に侵入してきた共犯者によって、なすすべもなく殺害されたんだ」

 ぼくは一つ呼吸をして、

「すべてはきみのあやまりだ」ぼくは言う。「美紀を殺す必要はない。彼女は無実だ」

 美紀が、安堵のため息を漏らし、笑顔になる。

――が。

「……やっぱり、薫さんが正しいんじゃないか?」

 ぼくは、秀二さんをふり返る。

「きみは……ええと、名前はなんといったかな?しゅう……?」

「……執一です」

「ああ、そうだったそうだった。執一くん、きみの考えはちょっとばかり、現実離れしているように、わたしは思われるがね」

「どこがです?」

「我々が縛り上げた彼がが無実だというのなら、あの首を刎ねられた女性はどうやって殺害されたのかね?」

「藤山さんの設置した殺人装置です」

「だが、この日記にはその装置の記述はなかったんだろう?」

「それは、破られたページの中に——」

「きみが破ったんだろ」秀二さんが言う。

「なっ——」

 言葉を失うぼくを見て、ほら見ろ、と秀二さんが指さしてくる。「やっぱりな。思った通りだ。きっと君の眼鏡にかなう装置が見つからなかったから、ページを破いて真実を闇に葬ったんだな?あとで自分に都合良く利用するために」

「ぼくは——」

「まあまあ、女性に負けて悔しい気持ちは男としてよくわかるがね。今は大事な場面なんだよ」と肩に手を置いてくる。

「……ふざけるなよ!」ぼくは秀二さんにつかみかかる。「どこまでぼくをバカにしたら気が済むんだ!人の命がかかってるのに、そんなごまかしなんてするものか!」

——ドン、と秀二さんはぼくを両手で突き放して、乱れた襟を直す。

「……くだらないプライドなんて捨ててだね、立派な彼女に従う度量を見せたらどうだね?男なら」

「そうよね」悦子さんが同意する。「あなた、美紀ちゃんとマスオさんとすれ違って、犬の人と一緒に屋上に行ったって言ってたけど、あの人、藤山さんの娘だったんでしょう?犬の人はどうして屋上で襲ってこなかったの?」

「ぼくは、屋上に行きました。証拠だってあります」スマートフォンを取り出し、屋上で撮影した写真を見せる。「これが、屋上にあった藤山さんの作った罠です。日付や時刻を見てください。あなた方が食堂に集まっていた時刻のはずだ」

「……」西村夫妻はぼくのスマートフォンをのぞき込む。

「ああ、わかった。わかったぞ」秀二さんがうなずきながら、「これは、コピーだ。複製なら時間を後ろにずらすことができる」

「後ろに?前じゃなくて?」悦子さんが尋ねる。

「ほら、彼はずっと殺人装置にこだわっていただろう?その理由がわかった。要するに、ここに到着してすぐに、彼は屋上に行き、このスタンガンを見つけたんだ。それでこのホテルに殺人装置が設置されていると知った。だから首を刎ねられた女性の死体を見て、殺害方法も殺人装置に違いない、と思い込んでしまったんだな」

「あら……鋭いじゃない、あなた」

「はっはっは。私も推理小説は好きでよく読むんだよ」秀二さんはしたり顔でピースしてみせる。

 怒りのあまり、なにを言えば良いのかわからなかった。

――こいつらはいったい……なにを言ってる?

「……、……」視線に気がついて、ぼくは横を見る。

 薫は、肩をすくめて、

「そういうことらしいよ?」

「な……なんでっ?」美紀が声を震わせる。「どうしてそうなるのっ?あたし、悪くないって、この人が間違ってるってわかったじゃん!」

 しかし、美紀を見る西村夫妻の目は、忌むべきものを見るそれだった。

「私は悪くない!」美紀はぼくを振り返り、すがりついてくる。「ねえ、お願い。執一さん、助けて!」

「ぼくは……」

 ぼくを見る美紀の目じりに涙が浮かぶ。

「——さて、そろそろ準備は良い?」涼やかな声で薫がいう。「さようなら美紀ちゃん」

「ひっ——」美紀は恐怖のあまりその場にへたり込んでしまう。

「——っ」ぼくは動き出そうとする——が。秀二さんと悦子さんがぼくに組み付いてくる。

「くっ!?どういうつもりだ!」

「黙って見てるんだ!」

「そうよ!薫さんは正しいんだから!」

「ぐ……この……!」秀二さんが背後から首を、悦子さんが前からぼくの胴体をつかまえてくる。「……か、お、る!」

「……」薫がぼくを見る。「しょうがないなあ」薫がナイフを鞘にしまう。

「……」尻餅をついた状態の美紀は、薫の握っているナイフを見、顔を見上げる。

「私はどっちでも良いんだけど、執一君は嫌みたい。だから選ばせてあげるね?」優しげに、幼子にするようにかがみ込んで、「ここで死ぬか、あっちに行くか、どっちが良い?」

 美紀が、後ずさる。

「おかしいよ……、この人、絶対おかしい……」

 美紀は、周りの人間に同意を求めるように見やり、改めて、薫を見やる。

「……」薫はナイフをぶら下げたまま、ただ美紀を見おろしている。柔和に垂れた目じり。彼女は、その奥の瞳が、一切笑ってなどいないことに、初めて気がついた。

「……は、はは、私……、馬鹿だ」自嘲気味に笑って、美紀が立ち上がり、向こうへと歩き始める。

「行くな!美紀!」ぼくは叫ぶ。「行かなくて良い!きみは犯人なんかじゃない!」

 美紀は廊下の途中でこちらをふり返ったが、ぼくに背を向ける。

「美紀!」 

――ギャギャギャギャ

 どこからともなくそんな音がせり上がってくる。

「――え?」

 美紀が階段の方を振り返る。その瞬間、美紀は下から飛び出してきた『それ』を腹に受け、下半身を吹き飛ばされる。一瞬遅れて、宙に浮かんだ美紀の上半身が、頭から床にぶつかった。

 ぼくらの視界を高速で横切ったそれは、階段の正面の壁にぶつかり、唸りながら正面の部屋のドアを削り、半分めり込む。

 『それ』は、除雪車の雪をかきだす部分だけを取り出し、走行するためのタイヤを両端にくっつけたような装置だった。螺旋状にぐるぐると、唸りながら回るその刃は、遠目に見ても鋭く研がれていて、何より、巨大だった。

 えんじ色の絨毯の上に広がる美紀の下半身の残骸は、車に潰されたミミズによく似ていた。

 分離した上半身は、うつぶせになって動かない。

 一瞬。

 一瞬にして、一人の人間の生命が失われた。

 数秒経って、隣にいた悦子さんが悲鳴を上げた。彼女は、秀二さんと共に、自分の部屋の中に飛び込んでいく。

 呆然と廊下の真ん中に立っていたぼくの肩を薫がたたく。

 振り返ると、薫は、ぼくの腕を掴んで、開け放たれたドアの影まで引っぱっていく。

 正気に返るのに、数秒を要した。あの殺人装置が壁にぶつかる音が聞こえている。ぼくの隣では、薫がドアの影に隠れて、向こうの様子を覗いている。

「薫……」

「しー」薫は人差し指を口に当てる。そして、手で、向こうを見るように指示してくる。

「……」ぼくは、薫の隣にしゃがみ、向こうを見やる。

 しばらくは、何も起こらなかった。一度、美紀の死体が痙攣しただけだった。一分くらい経っただろうか。階段の下から、マスオさんが上ってきた。彼は周りを見渡し、誰もいないことを確認すると、美紀の死体のそばにしゃがむ。彼は小脇に抱えていた白っぽい、半透明の壺のような物を、美紀の頭に被せる。

 ツボの内部が唸る、続けて、シュー……と空気が抜けていく音がした。

 マスオさんは、ゆっくり半透明の壺を美紀の頭から抜き取る。

 壺の中から、現れた美紀の顔面は、頭蓋骨だけになっていた。残された目玉がぼとりとこぼれ落ちる。

 マスオさんは半透明の壺を灯りにかざす。その内側には、人間の皮膚で作られたマスクが、完全に原形を保ち、張り付いていた。

 それは、まさに、ぼくにすがってきた美紀の顔そのもので――

「うっ——」ぼくは腹を折る。その拍子に、思わずドアを押してしまう。

 キーイ……と、ドアは音を立てる。

 マスオさんがぐるっとこちらを向く。

「くっ……!」ぼくは跳ねるように立ち上がり、左手で薫の腕を掴み、一番奥の部屋――ぼくと薫の部屋に飛び込む。

 引きずられ、もたもたと部屋に入った薫は、横からぼくを見上げる。

 ぼくは、部屋の窓を開けはなつ。

「どうするの?」薫がぼくに尋ねる。

「飛び降りるに決まってるだろ!」

「だよねー」

 ベランダを見下ろす。下は柔らかい草の生えた土の地面だ。死ぬことはないだろう。

「……」——待てよ?

 ある考えが脳裏をよぎる。

「行かないなら、先に行くからね――よいしょ」薫がベランダの手すりの上によじ登る。「じゃ」

 彼女はぼくより先に飛び降りた。下を覗くと、薫が腰を押さえて、よろよろと立ち上がっているのが見えた。土のついた尻を払うと、彼女は上を向いて、ぼくを見る。

 背後、ドアの向こうから人間の足音が近づいてくる。

 ぼくは生きていた美紀を、泣きながらぼくを頼ってきた彼女を思い出した。

 そして、ぼくは――

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