第10話
***
「……どういうことだ」ぼくは言う。「なぜ、犯人の藤山さんが死んでるんですか」
「犯人?」と聞き返してくるメンバーに対して、ぼくは、藤山老人がホテルに殺人を目的とした罠を張っていたこと、それを日記に記していたこと、娘である江能さんとグルであったことを説明した。
「娘?犬の女性がかね?」
「そうです。これは彼女の犬に噛まれた傷で……、この藤山さんの日記によれば、これ以外にも十数個の殺人装置がこのホテルには仕掛けられているようです」
ぼくはあることに気がついた。武広さんを閉じ込めておくためのバリケードが崩され、部屋のドアが開いていた。
「武広さんは?」
「あの……私たちが来たときには、この状態で」美紀が言う。「今、そのおじいさんが亡くなる前にバリケードを崩したんじゃないかって、薫さんが――」
ぼくは薫の方を見やる。薫はぼくを見返す。改めて、頭部を半分失った藤山老人を見下ろす。
「……この藤山さんの日記は、トラップに関するページのほとんど破られていました。ひょっとすると、藤山さんは武広さんが、破られたページを所持していると考えて、取り返しに来たのかもしれません……」藤山老人と武広さんはつながっていたのか?武広さんが藤山老人の日記と殺人罠のことを知っていたというなら——
「そんなことより、執一くん、その腕の怪我を治療しないと」マスオさんがぼくに言う。「犬に噛まれたなら、消毒をしないと、まずいことになるかもしれない」
「武広さんは、どこに行ったんです?中にいるんですか?」ぼくは尋ねる。しかし、誰も明確な答えを返してはくれなかった。「藤山さんは、武広さんが殺したんですか?」
「そうなんじゃないか」秀二さんが答える。「私たちは全員、いっしょに朝食を摂った。そして、ここに上ってきた。私たち全員は、藤山オーナーを殺すことはできなかった。そうだろう?」秀二さんが皆に同意を求める。
「そうですね」マスオさんがうなずく。「きっと、私たちが朝食を摂っている間に、ここで藤山さんはバリケードを崩して、中にいた武広さんに返り討ちにあったんでしょう」
「……」ぼくは、江能さんと行動していたときのことを思い出してみる。屋上に上ったときも、下りてきたときも、バリケードはあんな風になってなかった。
「執一君、君は酷い傷だ。早く消毒した方が良いよ。ぼくの部屋に消毒液があるから、使ってくれ」マスオさんはしきりにぼくに傷の手当てを勧めてくる。
「そうですよ、執一さん――う、その、痛そうだし……」美紀がマスオさんに同調する。
「どうでもいいでしょう、ぼくの怪我なんて」舌打ちをする。「イライラするんですよ。どうしてそんなに危機感が無いんだ。武広さんが次に狙うのはあなたたちかも知れないんですよ?」
場が静まりかえる。
「……こうして、全員でかたまっている間くらいは、安全だろう?」秀二さんが言う。「気を張るのは大事だが、深刻になる前に、傷の手当てをしておくのは重要ではないかね?」
秀二さんが歩み寄ってきて、肩をたたく。
「大丈夫だ。これだけの人数がいるんだからな」
秀二さんに肩をつかまれて、部屋のドアの方を振り返ったそのときだった――
「ちょっと!」悦子さんが鋭く叫ぶ。
ぼくはそちらを返る。
マスオさんが銀のナイフを掲げている。
その視線が向いた先には――
「――くそっ!」
秀二さんを突き飛ばし、ぼくは二人の間に割って入る。右手を、ナイフを握った手に、伸ばす。
予期していたかのようにマスオさんの手が止まり、顔をこちらを向ける。
シュッ、と光が横一線に走った。
手に鋭い痛み。一つ間があって、ぼくの手から、小指と薬指と中指がボトボトボト、と絨毯の上に転がり落ちる。
「ぐうううっ――!」視界が真っ赤に染まる。
薫が、ぼくの前を横切る。
彼女は果物ナイフでマスオさんの頭を突く。
マスオさんは顔を背け、それを避ける――が、薫のナイフの切っ先は、マスオさんの頬肉を切り裂き——
「——」
場にいた人々は声を失う。
鼻の下から耳まで入った切れ込みから、マスオさんの頬肉がベロンとめくれる。その下にあったのは骨や肉ではなく、半透明の膜だった。
薫が果物ナイフを逆手に持ち、マスオさんの首を狙う。
ザク——肉を断つ音。
「な——」
マスオさんはナイフを腕で受けていた。薫の腹を足で突き飛ばす。
薫が背部を壁に強かにぶつける。
「薫……!」
突き刺さった果物ナイフを抜き捨て、マスオさんは、眼球を動かし、頬肉の裏面を見やる。
「しまったな」頬肉が剥がれて生じた穴、半透明な膜の下で、額関節と奥歯が上下に動く。「早急に『修理』しなければ」
そう言うと、マスオさんは、座り込んでいたぼくの目の前を横切り、向こうへと走り去っていった。
***
階段を下りていったマスオさんが、すぐさま再び姿を現すようすはなかった。
ぼくはマスオさんの部屋にあった救急箱で、負傷した腕と手の止血と消毒を受ける。
「……」包帯でぐるぐる巻きになった右手を見やる。無事なのは、親指と人差し指だけだった。あるべき部位が無い。指を動かしても、足りない。違和感があった。
「きみ」
顔を上げると、秀二さんが立っていた。彼はぼくに、ハンカチに乗せられた、三本の指を差し出す。それは、生まれた時からいつも目にしてきた、ぼくの指だった。関節のシワも。ツメの形も……ただ、色だけは、見たこともないものに変わっていた。
二度とそれらがこの手に戻ってくることはない……
唇を噛む。
「たかが指が数本、動揺してんじゃねえよ、凡人が……!」己にむけて言う。
ぼくは、ベッドから立ち上がる。
「……皆さんは?」
開いているドアの向こう、廊下に他の人々は集まっているようだった。ぼくは歩き出す。
「おい、座って休んでいても良いんだぞ」
「勝手にやらせるわけにはいきません」
「なんのことだね?」
「……」薫も、あの剥がれ落ちた頬を見て、思いついたはずだ。そして、彼女がこれからとるであろう行動も予想できる。
部屋を出ると、薫が待っていた。リラックスした表情。まるで、この先の展開を楽しみにしているかのような。
薫は、ぼくの右手を見て、微笑みを浮かべる。
「なめるなよ……」つぶやき、ぼくは、廊下で待つ人々の輪に加わった。
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