第8話
***
「やあどうも」
階段を下りたぼくと薫を出迎えたのは、秀二さんと悦子さんだった。二人は、階段を下りて左手にある、食堂の前に立っていた。
「こいつが眠れないっていうもんだから。仕方なく、早く降りてきたんだよ」秀二さんが言う。
「なにを恩着せがましく。あなただって、緊張でげーげー吐いてたじゃないの」
「余計なことを言うんじゃない!」
「なあに?その言い方。ええかっこしい。いい加減にしなさいよ」
「朝っぱらからみっともないまねはやめろ!人前だぞ!」
「そういうところがねえ――」
「マスオさんと、美紀さんは来てませんか?」
「ええ、来てないわねえ。無理もないんじゃないの?あんなことがあったんだし、寝込んでるのかもしれないわよ」
「あと、犬の女性もだ」
それから十分くらい待っただろうか。美紀とマスオさんが降りてこないので、今いるメンバーだけで料理をしようか、ということになったのだが、秀二さんと悦子さんには料理スキルがなかった。
「わたし、無理」早々に薫が言う。
「じゃあ、君はどうかね?」
「できるにはできますが、ご一緒できません」
「ん……?なぜだね?」
「皆さんが食事をしている間、別行動を取らせていただこうと思います」
「まあ、それはかまわないが……、いったい何のために?」
「昨日の事件のことで、確認しておきたいことがあります
「でも、あの男の人が犯人なのよね?」悦子さんがいう。
「そうだ。昨日の推理は鮮やかだった。なあ?薫さん」
「ありがとうございます」薫が言う。
「きみも、彼女を信じてあげたらどうだね」
「ぼくは……、自分の頭と目を信じます」
食堂を離れると、階段から下りてきた美紀とマスオさんに遭遇する。
「痛い……」美紀は額をおさえ、マスオさんに支えられている。
「頭痛?」
「……あれ?執一さん、どうしたんですか?」
「少し用事があってね」
「そうなんですか……、他の人たちって、朝食もう終わりました?」
「まだだ。作れる人が一人もいないんだ」
「あはは……、私が作るのかなあ……」
「それじゃあ」
ふたりと別れる。ぼくは二階にのぼっていく。
……ぼくは、薫の言っていた『戦争』という言葉を思い出し、考えていた。
薫は、自らの安全を第一に考え、行動している。そのために、疑わしい人間を徹底的に排除しようとしている。武広さんを捕まえた時のように、周りにいる人間の不安を利用し、思い通りに動かそうとしている。
殺人犯の脅威におびえる他の人々は、視野が狭くなっている。選択肢を与えればそれに飛びつきやすい状態にある。くわえて薫は彼らからの信任を得、自らを権威づけることに成功している。
きっと薫は、朝食を摂りながら人々を説得し、その足で、武広さんの部屋に向かうだろう。部屋の前には、四人がかりで組み上げられた、大げさなバリケードが存在している。縛られ身動きを封じられた武広さんが、部屋から出ることは不可能だろう。彼は、そのまま命を奪われるか、あるいは『もう一人』――例の殺人ビデオには、画面内で女性を殺した殺人犯の他に、カメラを動かした人物が存在していた——武広さんは、その『もう一人』に対する餌にされるかもしれない。
二階にやってくると、犬のビックを連れた江能さんがバリケードを眺めていた。ビックがぼくを見つけて一吠えする。
ふり返った江能さんは、「あ」と声を上げて、彼女は再び自室に引き返そうとする。
「待ってください」
江能さんは立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
「丁度良かった。江能さんに少し協力してもらおうと思っていたんです」
「きょ、協力ですか……?」
「ええ」ぼくはうなずく。
「あの、これってなんですか?」
「バリケードです——昨日なにがあったかご存じですか?」
「へ、部屋に……」と気まずそうにぼくを見てくる・
「そのこととは別件です」
「なら、ごめんなさい、わたしたちずっと部屋にいたので……」と江能さんは言う。
事件のことはどうやら知らないらしい。
「あの、執一さん、お一人ですか?」
「はい」
「あの、皆さんは、どこにいらっしゃるんでしょうか?」
「他の人たち……、オーナーの藤山さん以外は、朝食をとってますよ」
「もうすぐ、あそこは空くんですね?」
「そうでしょう」
「あー、よかった」と江能さんは胸をなで下ろす。
「どうかしましたか」
「あ、いえ、その……」江能さんは首を縮める。「せっかくだからドックフード以外のものも食べたいかなって」
「……まさか、ドックフードを食べてるんですか?」
「なんですか?」
「いえ、何でもありません……」
「それで、ええと、なんでしたっけ?――そう、お手伝いって」
「実は――」
ぼくは、江能さんに、絵美さんが殺されたことと、武広さんが部屋に拘束された上で閉じ込められたことを説明した。
「ひ、人が?殺されちゃったんですかっ?」
「そうです」
「そんな、怖い――ど、どうしよう、ビック」江能さんはひざまづいて、ビックの背中に耳をあてる。「そうだね、ビック。ビックがいるから安心だよね」
ビックは、江能さんを不思議そうに見上げている。
「……、江能さん以外の人たちはもちろん、知ってます。……昨日、江能さんにもお知らせしようとしたんですが」
「あ、ああ……、それじゃあ、仕方ないですね……、でも、そのなんでしたっけ?殺された女性の彼?が犯人なんですよね?」
「まだ、そう決まったわけではありません」ぼくは言う。
「でも、薫さんが言ったなら――」
「薫は、万能じゃありません」
「……」
「失礼」
「いえ。ん~……、でも、そういうことなら、私、そんなに頭良くないですよ?助けになるとは思えませんけど……」
「万一、犯人が別にいて、襲われた場合、単純に、一人でいるよりも、複数人でいた方が安全だろう、ということです」
「あー、なるほど。そういうことですかー」と江能さんは納得したように言う。「私にはビックがいるから大丈夫ですけど、執一さんは危ないですもんね」
彼女は笑う。ぼくも笑ってごまかす。
「それで……、えっと、執一さんと私は何をするんですか?」
「絵美さん殺害が、武広さんによるものでないことを証明するんです。現場を見て、一つ、犯行方法の仮説があるんです」
「はあ……」
「……?なにか、気になることでも?」
「あ、仮説って、難しいことばだなって」
「すみません」
「あの、ごめんなさい、私バカなので」
「いえ」
ぼくは、江能さんに、 犯人は屋上から刃物を落として、ベランダに出てきた絵美さんの首を刎ねた、という考えを説明しながら上の階へと行く。
「うーん……」江能さんの反応は芳しくなかった。「そんなこと、できるんでしょうか?――あ、いえ、わからないですけど」
「もちろん、難しいでしょうね」
「えっと……、ずっと、殺した人は、ベランダを見下ろして、絵美さんを狙ってたんですか?でも……」
……その『でも』の後に続く言葉は、絵美さんがいつベランダに出てくるかどうかはわからない、だろう。
「おそらく、人が顔を出すと自動的に作動する仕掛けのようなものがあったんだと思います。その証拠が見つかれば……」
「そんな大仕掛け、できるんでしょうか?こんな、なにも無い場所で」
「一人だけ、可能です」
「え?」
「ここのオーナーの、藤山さんです」
「――ああ、あの」
彼なら、建物に長期滞在し、仕掛けを作り設置する時間もたっぷりあっただろう。
……薫の推理は、武広さんには犯行が可能だった、ということしか説明していない。ベランダの欠けさせた装置、もしくはその痕跡が見つかれば、薫の推理を否定する強力な材料になる。
「あのぉ」
「……なんです?」
「ちなみに」
「はい」
「薫さんって、どういう人なんですか?」
「そうですね……、他人に興味のない奴です。そして、それを許すだけの能力を持っています。あとは――」
「あとは?」
「あとは、嫌われてますね……いろんな人の恨みを買っています」
「執一さんにとっては、どうなんでしょう?」
「……目障りな障害ですね」
ぼくたちは階段を上る。
「スヌーピー……」
「……『ピーナッツ』のですか?」
「はい――それと、チャーリー・ブラウンっていう男の子が出てくるじゃないですか?飼い主の」「ええ」
「お二人は、あの関係にそっくりですね」
「……、どういう意味です?」
「さあ……、ちょっとそう思っただけなので」
階段を二つ上ると、屋上に出るドアの前に到着した。灯りはなく、ドアの隙間からさしこむ日光が、紙のように薄く差し込んでいる。
「……」
「開けないんですか?」と江能さんがドアノブに手を伸ばし――
「――待って」ぼくは彼女の腕を掴んだ。
「えっ」江能さんが身を固くする。
ウウウウと足下のビックが唸る。
ぼくは、手を放し、
「驚かせてしまってすみません」
江能さんは自分の身をかばっている。
「悪意はないんです。少し、気になることがあって」言って、ぼくは、暗闇を見渡す。江能さんのはいているスニーカーが目に入る。
「江能さん、靴をいったん脱いでもらえませんか?」
「え、ええっ?なんでですか!?」
「そんなに驚かなくても……、ぼくの靴は、底が革なので
「……」何が何だかわからない、といった様子で江能さんが靴を片方脱ぐ。
「もう片方もお願いします」
貸してもらった江能さんのスニーカーの中に、ぼくは両手を突っ込む。
「ちょっと!何してるんですかっ」
「いや、こうしないと――」
「やめてくださいぃ。恥ずかしい~」江能さんは手のひらで顔を覆う。よく分からない。そこまでのことだろうか。
スニーカーを両手に装着し、ドアノブに触れる。パンッ、と言う破裂音と共に、靴底に付着していたなにかが焦げて落ちた。
……まさかとは思っていたが、やはり。
ドアを開ける。屋上に足を踏み入れ、ドアの裏側を見やる。スタンガンに大きな箱――おそらくバッテリーだろう、を接続した装置がドアノブにくっつけられていた。
スニーカーつきの右手で、それを何度か殴ってドアから引きはがした。屋上の地面の上にそれは転がる。
「今のって……」
「すみません、少し焦げてしまったかもしれません」江能さんの足下に、スニーカーを並べて置く。「弁償します」
「あの、それはいいんですけど……、え?今の、触ってたら、ど、どうなってたんでしょう?」
「感電して……、おそらく大変なことになっていたでしょうね」
「……うわ、ほんとに……、そういうのがあるんですね、ここって」
「でも、これではっきりしました」ぼくは手をこする。「こういう罠を仕掛けた人間は確かにいる、ということです」ぼくは床にころがったスタンガンと、それが固定されていた跡の残るドアをスマートフォンで撮影する。
「他にもなにか——」
「――あっ!今臭い、嗅いだでしょ!」江能さんがぼくを指さす。
「え?あの――」
「やめてください!お願いします!どうか手を洗ってからにしてください!」江能さんは半泣きで言った。
「は、はあ……、了解しました」気を取り直して、屋上を見渡す。目立つ物は、貯水槽のタンクくらいしかない。
方角を確認して、ぼくらの泊まる部屋の、窓が並んでいる方に歩いて行く。端まで行くと、この島の3の字型の海岸線を見渡すことができた。その向こうには、青い海。海岸線自体は、黒い岩がほとんどで、ある一角だけ、おそらく人工的に作ったであろう、白い砂浜があった。
「綺麗ですねぇ、なんにも起こらなかったら良かったのに
「今回のことを解決すれば、存分に楽しめるでしょう」
「そうですねー」と言って、「それで、まずは何をするんでしょう?」
「とりあえず、事件の起こった辺りを調べましょう」
ぼくは、絵美さんと武広さんの部屋の真上にしゃがみ込み、下を見おろす。絵美さんの亡くなっていたベランダの手すりが見える。ここから刃物を落とせば、ベランダから身体を出した絵美さんの首を切断することは可能だ。
ぼくたち宿泊客が食事をとっている間、フリーだったのは藤山老人と江能さんだけだ。江能さんはぼくらと同じ宿泊客である以上、例のスタンガンなどを準備することはできないだろう。となると、やはり藤山老人が怪しい。
藤山老人はここに何らかの装置を設置した。そしてなにかの間違いで屋上にやってこられることを避けるために、人よけとして先ほどのスタンガンを設置しておいた。つじつまは通る。
問題は絵美さんをどうやってベランダに誘導したのか?ということだが……それも充分にやりようはあるだろう。例えばベランダの手すりに点滅する灯りを設置しておくなどすれば、気になった絵美さんか武広さんをベランダに出てくるように仕向けることができる。
あとは、証拠だ。凶器となった装置や誘導方法の証拠さえ得られれば、薫の推理を否定することができる。
「……」ぼくは立ち上がる。
「もう、終わったんですか?」江能さんが訊いてくる。
「ええ……」ここにはもう用はない。こうなれば藤山老人本人を問い詰めるまでだ。
ぼくと江能さんは屋上を離れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます