第3話

***

 ホテルは、一階が集団で利用する場所、二階が個別部屋、と、それぞれ割り当てられていた。一階には食堂や談話スペースなどが集まっていた。管理人である藤山老人の部屋も一階にあった。一階と二階を行き来する手段は、中央にある階段だけだった。二階は、客が泊まる部屋が計五部屋が並んでいた。ぼくと薫の部屋は、北東側の一番端の部屋だった。

 部屋は、ありがちなホテルの一室、といった感じだった。セミダブルのベッドが部屋の中央に二つ並べられていて、向かいには、デスクと、荷物が置ける棚があり、壁にはおそらく唯一の娯楽となるであろう液晶テレビが掛けられていた。部屋の奥には、開放的な大窓があり、先ほどぼくらが渡ってきた海を、見渡すことができた。

 薫が窓に近い方のベッドの前に立ち、

「おー、ちゃんとぱりっとしてる」とシーツをつまんで言う。

 たった五部屋とはいえ、一人でここまでしっかり掃除や手入れをしているのは感心する。期待していなかった分、嬉しい誤算である。

 薫は、ベッドの上に寝転がって、先ほど渡された地図を広げる。

 ぼくは、引きずってきた荷物をベッドのわきに置くと、ベッド上に『それ』を見つけた。なにか黒い箱のようなものが、白いシーツの膜にシワを作っている。

「なんだこれ」ぼくはそれを拾い上げる。ケースに入っていたので、取り出してみる。「……ビデオテープ?」

 ひどく古くさいものを発見してしまった。なんでまたこんなものが。ここに泊まった客の忘れ物だろうか?しかし、ここまで徹底して清掃されているのに、忘れ物をこんなふうに放置しておくだろうか?

「なに?」薫がこちらを振り返る。

「いや、ビデオテープがあって」ぼくは薫にそれを見せる。

「なんのビデオ?」

「……ラベルはないな」

 薫は、身体を起こすと、ぐ、と伸びをして、「エッチな奴?」

「違うだろ」

 眠っているんだか起きてるんだかわからない顔がこちらを向く。

「なんだよ」

「わかるんだ?」

「べつに……」

 薫が口の端を少し上げる。

「なんだよ……」

「んー、なにもー?」

……どうしてこんな、誰のものとも知れないビデオテープでコケにされなくちゃいけないんだ。

「気になるね」薫が言う。

「見られないだろう」

「エロビデオじゃないから興味ないの?」

「ビデオなんて再生できないだろ、って言っているんだ」

「あるじゃない」薫が液晶テレビの下の棚を指さす。

 そこには確かに、ビデオデッキが収まっていた。

「……マジか」現役のビデオデッキがあるなんて。

「再生再生」

「うん……」なんだか釈然としない気持ちで、ぼくは薫の言うとおりにビデオをデッキに挿入する。ビデオは中に吸い込まれ、ガチャリ、と装填された。

「……、あ、そうか」

 傍らに置かれていたリモコンで、液晶テレビの電源を入れる。入力切り替えボタンを押して、ビデオに合わせる。再生ボタンを、押す。テープが巻かれる音がする。ぼくはベッドのへりに腰掛けて、画面を見上げる。薫も同様。

 全面青い画面の表示。しばらくして、ちゃんとした映像が流れ始める。

 映し出された空間は、この部屋によく似ていた。ベッドが二つ並んでいるその映像は、視聴しているぼくらとは反対側、テレビの方から撮影されたものだということがわかる。

「この部屋?」

「どうだろう」きっと他の七部屋も同じ構成になっているだろうから、確かなことは言えない。

 ジー、とビデオテープの巻かれる音がする。 画質が悪く、映像がたびたび上下にぶれる……しばらく経っても、画面になにかが映ることはない。定点映像だろうか?リモコンで、早送りをしようとした、そのときだった。いきなり映像の視点がぐるりと回転し、女性が映し出された。赤いドレスを着た、長い髪の女性だった。女性は後ろ手に縛られた状態で椅子に座らされており、気を失っているのか、力なく頭を垂れている。女性がくくりつけられている椅子は、今ぼくの横にあるのものと同型だった。見れば見るほど、画面の中の場所は、ぼくらが今いるこの部屋であるようにしか思えない。

 ガチャ、とドアノブをひねる音がした。反射的に横を振り返るが、それは、画面の中の音だった。

 絨毯を踏みしめる音。画面の端から、黒い人間が現れる。性別は不明。細い矮躯には、真っ黒なビニール状の衣装を張り付かせ、頭には、目出し帽を被っている。その隙間から見える目は、異様に見開かれて、こちら側にいるぼくらをまっすぐに捉える。黒づくめの人間は、こちらをじっと見つめたまま女性とカメラの間に立つ。赤い血管が散らばった眼球が二個、黒い影の中、浮遊しているように見える。黒い人間は、かがみ込むと、腰元から銀色のナイフを取り出し、カメラに見せつけるように刃を翻す。

 黒い人間は、こちらに背を向け、女性に向かい合う。

 ナイフが上に掲げられる。

——まさか。

 ナイフが、振り下ろされる。肌色のパーツがゴト、と床に落ちる。それは、女性の左腕。遅れて鮮血が噴き出す。瞬間、女性の身体が跳ね上がる。生きていた。異常な痛みによって覚醒させられたのだ。

 黒づくめは、そんな女性の首を掴む。

 おご、おご、と女性が舌を飛び出させる。首の肉に、黒い指がめり込んでいく。女性の右手が、黒づくめの人間に触れると同時に——首がL字に折れた。

 反射的に画面のスイッチを切る。気がつくと、ぼくの息は上がり、手は震えていた。

「へえ」あぐらを掻いた薫が、頬杖を突いてつぶやく。無感動に、画面を見あげている。「怖いね」

「お前……、いや、今のって」

「うん、たぶんこの部屋。私たちのいるこの部屋だろうね」

 ぼくは口元をおさえる。「……ここで、殺人があったっていうのか」

「そうじゃない?」

「いつ……、いや、そんなことより――」

「宣戦布告みたいなもの?」

「?」

「どうして、これを私たちに見せたんだろう?」薫は独り言のようにつぶやく。「わからないなぁ」

 ぼくは、呼吸を落ち着かせながら、薫にいう。「そんなことより、身の危険を感じろよ」

「別に、執一君がこれをやったわけじゃないでしょう?」薫が笑う。

 言われた意味が一瞬わからなかった。

「当たり前だろ!」

「なら、今は大丈夫じゃない?でも、ドアノブには注意しなくちゃね」

 ぼくはぎょっとして振り返る。だが、誰かが入ってくるようなことはなかった。

「ふふ……」

……どうしてこいつはこんなに余裕なんだ。ぼくはため息をついてから、ビデオをデッキから取り出す。これは、他の客にも見せる必要があるだろう。明らかに、悪意があり、脅威となり得る。注意を喚起する必要がある。

「見せてもどうにかなるとは思えないけど」薫は言う。

「そんなことは無いだろ?」

「こうして逃げようのない場所に来た時点で、私たちの負けだよ」

「負け?」

「たとえばさ――ばーん」薫は人差し指で、銃を撃つまねをする。「はい、死んだ。百万円」と手を差し出してくる

「……何が言いたいんだ?」

「殺そうと思ったら、殺せるってこと。殺すだけなら、こんなの見せないでいきなりやった方が良いに決まってる。なのに、こんなビデオを見せてくるってことは、『遊び』が入ってるんじゃない?」

「人を殺しておいて、『遊び』?」

「仮説仮説。混乱してる私たちを見たいのかな?んー……

 薫は、顔を上げ、目を細める。ほのかに笑っているようにも見える。

「……」いったい、何を見て、何を考えているのか。ぼくには追従できない。

「あ――そっか」薫がこちらを向く。「他の人たちと合流しよ?」

「唐突だな」犯人の行動理由を考えていると思っていたが、違うようだ。

「私、抜けてた。まず、自分が殺されないようにしないとね」横髪をなでて、薫が笑った。

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