第2話

***

 スリ事件を解決したことにより、薫は人々から取り囲まれた。犬をつれた女性――江能みちる、が隣に座り、薫に訊く。

「いったい何やってる人なんですか?」

「ぷーちゃんです」

「ぷーちゃん?」

「フリーターなの」薫はほほえむ。薫は垂れ目なので、口元だけの変化だ。

「へ~」江能さんが大きくうなずく。まるで、なにか深遠なる理由があるに違いない、と確信している様子だった。

 薫に対し、次々に質問を浴びせる人々。

「……」ぼくはその輪から外れて、持参したビーフジャーキーをかじりながらその様子を横目で見る。奥歯でかみしめてもジャーキーはなかなかちぎれない。

「今回はどうしてこのツアーに?」

「……江能さんは?」

――さてはめんどくさくなったな。

「私?私は、この子――ビックっていうんだけど、この子を自由に遊ばせたくて。泊まるところ以外は無人だって聞いたから」江能さんは傍らで『お座り』をしているゴールデンレトリバーの下あごを撫でる。

「彼が、江能さんのパートナー?」

「そうなの。立派でしょう?なのに主催者の人ったら、人間じゃないとかいろいろ文句つけてくるんだから。酷いと思わない?」

「ええ、そうですね」薫が目を閉じ、うなずく。

「ねー?いざとなったら守ってくれるもんねー」江能さんは、ビックの両頬を手で挟みながら言う。

「しかし、こうして見ると、皆印象がバラバラだな」江能さんとは反対側、薫の隣に座っていた中年男性が割り込む。「ああ、私は、西村。西村秀次という、よろしく」

「……」

「ん?聞こえなかったか、私は――」

「聞こえてるに決まってるじゃないの」西村さんとペアの女性が西村さんの太ももを叩く。痩せぎすで化粧が濃い。名前は悦子さんというらしい。

 年の頃は二人とも五十くらいだろう。どちらもむやみに胸元が開いている服装をしている。胸毛や染みが嫌でも目に入る。ぼくは視線を移す。

 悦子さんの隣では、財布を取り戻した女子高生風の美紀と、サラリーマンか公務員だろう相手の男性――マスオさんがいる。美紀は不機嫌そうにスマートフォンをいじっていて、マスオさんがそれをなだめるという構図。年の差のあるこの二人を見ていると、思わず、後ろ暗いものを想像してしまう。

 と、そこで、ぼくの向かいの席に誰かが座る。目を向けると、最後の二人――さっきからずっと大人しくしていたカップルがいた。

「よろしいですか」

「どうぞ」二人は、ぼくの向かいに腰を下ろす。どことなく疲れているという印象を受ける二人だった。

「すごいですね、彼女」女性の方が言う。

「まあ、そうですね」

「二人とも、ずっと上にいらっしゃったので、なかなか話しかけられませんでした」

「それは、もうしわけありません」

「村田絵美と言います。彼は、武広」

 武広さんは、頭を下げる。

「彼、無口なんです」

「かまいません。少なくともおしゃべりよりは好ましいです」

 武広さんはほほえむ。

 無口だが、決して無愛想というわけではないようだ。

「もうすぐ、着くみたいですね」恵美さんが時計を見ていう。「あっちに行ったら、私たち以外、誰もいないんですよね」

「主催者の方は、いるみたいですが」

「あ、そっか――食事とか、どうするんでしょう?」

「こちらで用意することになるみたいですよ」

「そうなんですか」

「原材料はあって――まあ、キャンプみたいなものですね」

「それも悪く無いかも、ね?」絵美さんが武広さんを見あげて言う。武広さんがうなずく。二人の仲むつまじさが伝わってくるようだった。

「ひょっとして、飛び入り参加だったんですか?」ぼくは尋ねる。

「そうなんです。ちょっと前に、妹から教えてもらって……」「ふうん。なんでしょうね。ぼくらもそうですけど、皆さん、誰かに紹介されて来ているようですね」

「そうなんですか?奇遇……?ですね」絵美さんは笑う。

 やがて、船のエンジン音が止む。着いたようだ。

「到着っす」先ほどスリを行った若者が、階段の上からぼくらに言う。悪びれていないように見えるのは、大したものだと思う。

「それじゃあ、あちらに着いたら、よろしくお願いします

「こちらこそ」頭を下げ合う。

 そしてぼくらは船を下り、その無人島の港に降り立った。


***

 ぼくらが参加したのは、ある男性が主宰する、無人島の宿泊ツアーだった。参加条件は、男女ペアの二人組であること。あとは、格安の参加料金を支払えばよかった。

 無人島は、九州南部の沖合にあって、ひょうたん型の、端から端が見通せるほど狭く小さなものだった。主催者はこの島を買い取り、ホテルのようなものを建て、今回のツアーを企画したというわけだった。はっきりいって、金を儲けるのは難しいだろう。無人島を売りにしてるのに、生活インフラは整えられ、しかも、他の参加者までいるのである。もはや、単に不便で、周りになにも無い田舎に宿泊するのに等しかった。これならリゾート地にでも行った方が良い、とふつうの人なら考えるに違いない。まあ、そんな半端な企画だったから、ぼくらのような者に話が巡ってきたのだろう。

 積み下ろされた中から自分の荷物を選び出していると、薫がこちらにやってきた。

「執一ブーちゃん」

「なんだよ、その呼び方」

「私、ぷー太郎のぷーちゃん。で、さっきブーたれてたから、ブーちゃん」

「誰がブーたれているというのか」

「執一君」

「ブーたれてない」

「ぶー」薫がぼくの頬を両手で挟み込んでくる。

ぼくは払いのけて、

「やめなさい!」

「ふふ……」

「ったく……」

「お二人とも、仲がよろしいんですね」と江能さんが犬のビックを連れてやってくる。

「あー……ごめん。なつかれちゃった」

「だから指さすなってのに、本人を」ぼくは薫に人さし指を下ろさせる。「それで、なにかご用ですか?」

「あの……、良かったら、一緒にホテルまで――」

「一人で行って。疲れるから」

「え?」江能さんはぎょっとする。

「一人で行ってちょうだい、ってお願いしたんだけど?」

「あ……、えっと、はい、ごめんなさいっ」江能さんは、逃げるように、ビックと共にホテルの方に去っていった。

「……」ぼくの視線に応じて、薫は、

「あーいう寂しい人って、いくらでもつけあがるから。適切に調節しておかないと」

……もう少しやり方があるとは思うが、仕方がない。薫はこういう奴だ。

 ぼくら参加者九名と一匹は島唯一の建物に向かった。それは、意外に高級感のある、真っ白なコンクリート造の、二階建てだった。へえ、やるぅ、と隣で薫がつぶやく。

 観音開きの門の前に、一人の老人が立っていた。禿頭で年齢から来る紫斑がだぶついた頬に沢山浮かんでいる。今回の主催者だろう。

 主催者である老人は、藤山留二と名乗った。丸眼鏡をかけた彼は、目の乾きが気になるのか、絶えず目を閉じては開ける。

「本日は、このような場所にはるばるお越しいただき、誠にありがとうございます」藤山老人は、部屋番号が記された鍵と、島の地図をぼくらに配った。「当ホテルは、私一人で運営しておりますので、誠に恐縮ではございますが、お荷物は各自、お運びいただけますよう、よろしくお願いいたします」と、言葉を切る藤山老人。

 ぼくたち参加者は、互いに目を見合わせる。

 運営をしているのが目の前にいる小さな老人一人であること、渡された地図の粗末さに、不安を覚える。

 ぼくは、気になったことを藤山老人に訊くため、手を上げる。

「はい、なんでしょうか?」

「ここと、本土を行き来する船は、どのくらいの頻度で?」

「三日ごとに来ることになっております。天候次第で、後にずれこむこともございますが」

「なるほど」

 元々ぼくらは二泊三日の予定だったから、ツアーが終わるまではどうあがこうとも抜け出すことはできない、ということだ。誰にも邪魔をされない、とも言えるが。

「ビーチはどこにあるんですか」マスオさんが訊く。

「このホテルの裏、すぐにございます。」

「そうですか。良かった」

 彼の隣では、美紀が顔をしかめて彼をにらんでいる。

 彼女を見て、ぼくは訊くべきことを思い出す。

「ここは、携帯の電波が入らないようですけど、本土との連絡手段は」

「私の部屋に、設備がございます。必要なときにはお声がけください……よろしいですか?」

 ぼくらはうなずく。

「では、ようこそ、私のホテルへ――」


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