互い咎の処方

ソワノ

第1話

***

 海は穏やかだった。風もほとんど吹いていなかった。船が進むことで生じるそよ風を感じながら、ぼくは船の手すりに寄りかかり、青緑色の海を見下ろしていた。サンドイッチをかじる。もしこのパンくずを投げ入れれば、なにかが海面下から出てきそうな……そんなことを思わせる深さだ。

「つまんないねぇ……」隣で同じく海を眺めていた薫が言う。

「海上でそんな面白いことが起きるわけ無いだろ」ぼくは言う。

「なんか面白いことをしてよ」

「言い出しっぺがやれば良いだろ」

「あーあ……、執一君ったら」薫は海に背を向けると、手すりに寄りかかり、耳の横のカールした金髪を手のひらに乗せるようにしていじる。

「君が行きたいって言ったんじゃなかったか」

「いやぁ」薫は首をかしげる。「なんか熱心に誘われちゃったんだよねぇ」

「君にそんな殊勝な友達がいたとはね」

「まーね」

 普段から緩い感じの薫ではあるが、緩み方もここに極まれり、といった感じである。

「退屈なら他の客と絡んで来いよ」

「やーだ、めんどくさいよ」

「こういうツアーの楽しみっていったら、知らない人と話すことだろ」

「あ~、ああぁ……」座り込む。「焼けるー……お日様休んでてぇ」

「下の部屋に行けば良いだろ。エアコンも効いてる」

「オヤジは脂ぎってるし、犬は臭いし……」

「……そういえば、どうして犬がいるんだ?」

「知らない」

 たしか、今回のツアーの参加条件は『男女ペア』ということだった。あの大型犬の飼い主らしき女性は、パートナーがいるようには見えなかったが……

 そのとき、客室に降りる階段から、大きな声が聞こえてきた。

——財布がないっ!私の財布!

ぼくは手すりから離れる。

「行く?」しゃがみ込んでいた薫がぼくを見上げてくる。「よっこいしょ……」立ち上がり、「ふぅ……、もう疲れちゃった」

「どっかから漏れてるんじゃないか?」そんな会話をして、ぼくたちは、客室へと降りていった。


***

 客室は、キャラメル色のソファーが壁に沿うように設置されていて、中央のテーブルを囲んでいた。そこにいたのは、七人の乗客と船員が一人――騒いでいるのは、高校生くらいの女の子だった。

「ない!財布がない!」耳にキンキンくる声だ。小型犬を思わせる。

「美紀ちゃん、落ち着いて」美紀をなだめているのは、三十半ばから四十くらいの男性である。

「だって、財布!」

「どこかで落としたのかな?」

「そんな――戻ってよ港!」

「あぁ……、美紀ちゃん、そんなこと言わないで。財布くらい――」

「お気に入りだったんだもん!」キャンキャンわめく美紀という女の子に、客室にいる人々は困っているようだった。

 ぼくは、階段の近くにいた、犬をなだめている女性に声をかける。

「あの子の財布がなくなったんですか」

「そうみたい。こんなところでなくすわけも無いから、たぶん来る前に落としたんじゃないかなぁ」

「バッグは探したんですか」

「ええ――」

「探したに決まってんじゃん!」美紀が噛みついてくる。「ばっかじゃないの!」

「み、美紀ちゃん……、落ち着いて……ね?」美紀の相方らしい男性がびくつきながら彼女をなだめる。

 この様子なら、他の場所も探したのだろう。

「どんな財布なんです?」

 ピンク色の二枚折りの財布、と美紀は答えた。足下も、当然探したのだろう。

「では、誰かに盗られたとか?」

 ぼくがそう言った途端、皆の視線がぼくに集まる。

「そういう可能性もあるかな、と」

「誰!?誰が盗ったの、返して!」

 とりあえず、ぼくは手荷物検査を提案した。皆、大きな荷物は貨物室に預けていたため、何も持ち込んでない人も多かった。次に、美紀によるボディチェックが行われた。しかし、これも、誰も引っかからなかった。「やっぱり落としたんじゃ……」誰ともなく、そういう空気が発せられ、美紀は屈辱から顔を赤くする。

「……」船に乗る前に落としたのではなく、今財布を身につけている人がいないとなると、誰かがこの船室内に隠したという可能性がある。ぼくがそれを指摘しようとすると

「帽子被ってる人でしょ」ぼくの後にいた薫が言う。

「え」と船室にいる人間は、薫を見て、彼女に指名された、キャップを被った筋骨隆々の男を振り返る。

「……」キャップを被った男は、腕組みをしていた。彼は、客ではなく、地元の人間で、荷物運びや、船の操縦の補助を行う船員だった。

「俺っすか?」男は薫をにらみつける。

「でしょう?わかりやすすぎるね」

「だが、彼は財布を持っていなかったぞ。ボディチェックも受けた」

「お尻上げて。その下のシート剥がしてみて」漁師の若者は、視線をそらし、テーブルを見つめる。

 ほら、立つんだ、と隣に居た中年男性が、若者を立たせる。男性が若者の座っていたシートを剥がすと、ピンクの財布が出てきた。

「あった!」美紀が声を上げる。

「どうしてわかったんですか」犬の女性が薫に訊く。

「なくしてない、所持してないってことは、隠したってこと。船に隠したなら、帰りもこの船に乗ってる人じゃないと回収は難しい。ピンクだし、目立つでしょう?見られたら、おしまいだもの」

 なるほど、と客室にいた人々のほとんどが唸る。唸らなかったのは、犯人の若者と、ぼくだけだった。

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