第4話

***

 ぼくと薫は一階に降りると、階段の正面にある談話スペースに向かった。ソファーが、テーブルを囲むように並べられている。人が集まるとしたらここだろう。

 周りには、南国風の観葉植物の鉢と、ブラウン管のテレビと、ビデオデッキがあった。

「見せないほうが良いと思うなあ」

「隠しておいて、後で判明するのもまずいだろう?」

「優しいね、執一君は。ま、どっちでも同じかな、たぶん」薫は目をつむる。

……なにがどう、同じだというのだろうか。

 すると、二人の人間が、階段を下りてきた。

「私、帰る!」

「美紀ちゃぁん、無理だよ。帰りの船が来ないと帰れないんだから」

「だって、電波入らなかったら、友達に連絡できないじゃん!」

「ほかのことして楽しもうよ、ね?いっしょに水着買ったじゃないかぁ」マスオさんが美紀の肩に手を伸ばす。その手を美紀がはたき落とし、

「キモイ!」

 ずんずんこちらに歩いてくる美紀。マスオさんは手の甲をさすりながら、彼女に追いすがる。

「元気良いね」薫が、横を通り過ぎようとした美紀に声をかける。

「えっ、あ――薫さん……」美紀の顔から怒りが急速に埋め立てられる。

……いつの間に――いや、そうか、美紀にとって薫は財布を取り戻した恩人なのだった。

「海に行くの?」

「行かない」美紀が薫とぼくの向かいに腰を下ろす。マスオさんが美紀にくっつくようにして座る。美紀は横にずれる。

「あの……」美紀は薫を見てなにか言葉を探した後、隣のぼくに目を向けてくる。

「なに?」

「えっと……、薫さんの、彼氏さん、ですよね?」

「ぼくのこと?」

「うん――はい」

「違うよ。ぼくは、そういうんじゃない」

「え。そうなんですか?」意外そうな顔を向けられる。となりのマスオさんも同じ顔をしている。

「ふたりは、おつきあいしてるの?」薫が訊く。

「もちろん。ね?ぼくたち、恋人同士だもんね?」

「……」美紀は、隣のマスオさんを見、ため息をつく。「はーあ……」

「どうしたの?美紀ちゃん」

「ここ、なんにも無いじゃないですか。なんでこんな所に来ちゃったんだろって……」

「海に行けば楽しくなるよ!ね!」マスオさんが言う。

「さっきからそればっかじゃん、糞オヤジ!うっせえんだよ!」豹変して美紀がマスオさんを罵倒する。「あっ――えっと、ごめんなさい……」

「ううん、気にしないで?慣れない場所に来ると、イライラするもんね?」

「あ……、あはは、そうですよね!」美紀が安心したように笑う。

「友達と連絡できないの、困るよねえ」

「そうなんです。もー最悪」

「……」薫は少しの間美紀を見て、「紛らわしにしかならないかも知れないけど、私、美紀ちゃんの話し相手になれないかな?」

「薫さんが?――あ……、でも、その、なんというか、薫さんそういうの、嫌じゃないんですか?」

 ひょっとすると、美紀は、先ほど薫が江能さんを追い払ったのを見ていたのかも知れない。

「こういう旅の醍醐味って、知らない人と話せることでしょ?そう思わない?」

「あ……そうですよね!」

「……」ぼくの記憶が確かなら、その台詞を口にしたのは、ぼくだったような気がする。そして、そんなことは、カケラも考えていないのが喜多見薫という人間だ。いったいどういうつもりなのか……

「んー」薫は腕時計を見る。「そろそろご飯の時間だね」

「晩ご飯?」

「そう、たしか、自分たちで準備するんでしょう?」薫がぼくを見やる。

「……白いご飯くらいは出るかも知れないけどな」

「ならさ、美紀ちゃん、いっしょにご飯用意しない?二人ずつよりも、四人の方が効率良いでしょう?」

「ほんとですか?わー、ありがとうございますー」女性二人によって、勝手に話が進んでいく。

 向かいを見ると、同じように会話に混じれないでいるマスオさんと目があった。どうも、どうも、とぼくらは頭を下げ合った。


***

 談話スペースから食堂に行き、食堂奥にあるキッチンに向かうと、ぼくらより先に、一組の男女がいた。船で最初に会話したカップル――絵美さんと武広さんだった。

「こんばんは」三角巾とエプロンを着用した絵美さんは、果物包丁でジャガイモを剥きながら挨拶した。こんばんは、とぼくは挨拶を返し、ボウルに重ねられた材料を見やる。

「カレーですか」

「ええ、ルーがあったし、こういうときって、カレーかなって」絵美さんがほほえむ。普通にしているはずなのに、影を感じてしまうのは、気のせいだろうか。

 武広さんはというと、火にかけられた鍋を、腕を組み、じっと見つめている。おそらくご飯を炊いているのだと思われる。

「材料はこの中に?」ぼくは左手にある、業務用の大きな冷蔵庫二つを見上げる。

「ええ、冷凍食品みたいなものもありましたよ」

 なるほど。料理ができなくても安心ということか。キッチンは広い一つのシステムキッチンで、流しが二つ、コンロが四口横に並んでいた。少なくとも十人未満しか居ないこの状況なら困ることはなさそうである。

「すごーい、めっちゃ詰まってる!」美紀が冷蔵庫のふたを開けて声を上げる。見やると、ぎっしりと肉・野菜から練り物のパックのようなものまでそろっている。自分で作らせる分、量には困らないように、という配慮なのだろうか。

 薫はというと、そんな美紀の後で、ニコニコしている。「それで、美紀ちゃん、何作るの?」

「パスタです!」

「もしかして、美紀ちゃん、料理得意?」

「パスタくらい誰だって作れますよ~」

「そうなんだ」

「薫さんは?」

「私、料理しないの。全部外食」

「えー、すごーい」

「だから、作り方教えてね?」

「ゆでるだけですよー」

 相変わらず、ぼくとマスオさんはそろって蚊帳の外である。向こうを見やると、腕を組んで、火加減を見ている武広さんと目があった。一応作業に携わってはいるものの、彼もぼくらと同じような立場に違いない。シンパシーを感じる。

 薫と美紀は宣言通り、パスタを作り始めた。チーズと卵と牛乳を使うタイプのパスタだった。ぼくとマスオさんは二人に言われるがまま、ベーコンを切り、そしてまた手持ちぶさたになった。

「執一君」薫がぼくを手招きする。

「なに」

「ベーコン」

「はい」ぼくは皿を渡す。

 薫は隣でフライパンをかき混ぜてソースを作っている美紀にそれを渡す。伝言ゲームのようだ。ぼくらのチームで実質活躍しているのは一人だけだった。

「執一君は、マスオさんとお話しててね」

「……」マスオさんを振り返ると、困った顔を向けられる。

「へー、美味しそうだねえ」薫がフライパンをのぞき込む。傍らにあったスプーンを手に取ると、中身をすくい、「ほら、美紀ちゃん、味見しないと」

「え?はい」

美紀の口に運ぶ。

「どう?」

「まずますですね。やっぱりコショウを入れないと」

「そうなんだ、へー」薫の視線は美紀の横顔に注がれている。「――そうだ。絵美さん、カレー味見して良いですか?」

「ええ、もちろん」絵美さんが鍋のふたを開ける。薫はまたその中身をスプーンですくい取ると、となりの美紀の口元に持っていき、

「ほらほら、お隣さんのカレーだよ」

「私が食べるんですか?」

「おいしそうだよ」薫は美紀の口の中にそれを流しこむ。

「……」

――なるほど。それを見て、薫のしたいことがやっとわかった。毒味だ。

 パスタがゆであがるのと、カレーのご飯が炊きあがるのはほとんど同時だった。そこから自然な流れで、ぼくらはカレーとパスタを分け合って食すことになった。ぼくと薫はテーブルに並んでついた。周りが食事にありつくのを見てから、薫とぼくはそれに箸をつけた。そういえば、とぼくはあの殺人ビデオのことを思い出す。しかし、周りには、楽しそうに談笑している人たちがいる。食事中にあれのことを話すのははばかられる。それに、今あれを見せたら、薫がふたりに毒味をさせたのに勘づかれるかも知れない。

 となりに目をやると、薫が、ぼくのことを見ていた。

 ぼくがビデオのことを考えているのを、わかっている顔だった。「ビデオのことを教えない方が良い、って言った意味、わかった?」と言っているようにも見え。つまり、無知な人間を一方的に利用できるのは有利だ、と言いたいのだろう。それは、一理ある。しかし、すっきりはしない。

 自分は、正義漢というわけではないが、何も知らず奈落に落ちようとしている人間をみすみす放っておけるほど、薄情にはなりきれない……、……いや、違うのか?ぼくが薫の考えに反感を持つのは、別の理由ではないのか……?

「――いて!」ぼくは眉間をおさえてのけぞった。「なんだよ!」

「シワ寄せて、まずそーに食べてるから」薫はカレーを一口。「おいしい。こういう味好き」

「ありがとう」

「パスタも本格的だねシェフみたい」

 絵美さんと美紀が笑う。

 薫が持ち上げられ、相対的にぼくが下がるというこの状況に、理不尽なものを感じる。

「ほら、執一君も食べよ」

「……わかったよ」

 ぼくはカレーとパスタに集中する。食べる。飲み込む。食べる。飲み込む……

「……おい」

「なあに?」

「増やすな!」ぼくの皿の食べ物は、薫によそわれたせいで山のようになっていた。

「え?食べたいかなと思って」と自分の皿からパスタをぼくの皿によそう。

「言ってるそばから盛るんじゃない!」

「食べれるときには、食べておいた方が良いよ」薫が笑いながら言う。冗談めかして言っているが、おそらく本心であろう。

「……、君だって、食べておかないとまずいだろう」

「まーね」肩をすくめる。

 しかし結局、カレーとパスタの山はぼくの前に残された。薫は悠々と水を飲んでいる。

「そういえば、他の人たちはどうしたんだろう」マスオさんが久々に口を開く。

「犬を連れた方は、外に出て行きました。お散歩じゃないでしょうか」絵美さんが答える。「一緒にどうですか、って言おうとしたんですけど、さっさと行っちゃって」

「なんか、あとおばさんと、おじさんいたじゃん、あれは?」美紀が訊く。

「見てないけど……」と絵美さんが口にしたとき、件の二人が降りてきた。そして、二人の格好は、食卓に静寂をもたらした。あまりにも、露出度が高い。

「やあ、皆の衆、おそろいですな」秀二さんが手を上げる。

「あら、カレーライスにカルボナーラ?おいしそうね」やせぎすの悦子さんがニ、とヤニの付着した歯を見せて笑う。

「え、あの……どうかしたんですか?その……」と美紀が2人を見る。

「リゾート地なんだからこのくらいの格好は普通だろう」胸毛のおじさんが笑う。彼は、美紀のとなりの席に座る

「あらあなた、沢山食べるのね」そういって、おばさんの方がぼくの隣に座る。なぜぼくのとなりにと視線を向けたが、座る彼女の横頬のシミと、肩のエレキバンを目にしたせいで、気勢がそがれる。

ともかく、これで全宿泊客が一堂に会した。

「……みなさんのお部屋はどうでしたか」

「思ったより立派でびっくりしました」絵美さんが言う。

「ベッドは一つの方が良かったんじゃないかな。こうやって皆さんパートナーの方といらっしゃってるわけですし」ねえ?と笑うマスオさんに美紀が舌打ちをする。

絵美さんと武広さん、美紀とマスオさんの4人の部屋にはビデオはなかったのだろうか。

「……」向かいの秀二さんがじっと真剣な顔でぼくの隣を見つめている。

「……?」視線を追うと、悦子さんの顔が目の前にあった。

「……なにか?」

「あなた、すごく肌が綺麗ね」

「そうですか?」

「こんな綺麗な男の肌、もうずっと見たこと無い……」はあ、とため息がぼくの顔にかかる。

「……」

「おい、近づき過ぎじゃないか」秀二さんがフォークを向けて言う。

「ほんと、おいしそう……」悦子さんはぼくを凝視しながらぼくの皿からパスタを一本つまみ、下の端から出したベロの上にのせて食べてみせる。

「……」

「若い男を誘惑するのはやめないか、みっともないぞ、人前で」

「ふん、なにをどうしようとわたしの勝手でしょうよ」悦子さんは鼻を鳴らし、「どーお?」

「そうですね……」ぼくは席を立ちながら、「おふたりの分のグラスをとってきます」

「じゃあわたしも——」

「大丈夫です。おふたりはそのまま」

ぼくは席を立ち、そのまま自室に帰った。


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