ビスケット 1/2〈6〉

 ロッカーからバッグを取って戻り、小さなラッピング袋を取った。中には大きなビスケットが一枚入っている。

 お茶に添えて出すスイーツの試作品だ。試作品なので大きめに焼いたが、コストを考えると半分くらいのサイズでの販売になるだろう。

 味はコーヒーや紅茶に合うように甘さを控え、サクサクとした食感が出るようにグラニュー糖を混ぜるなど工夫をした。卵は使わずにシナモンとはちみつで味を調え、表面に岩塩をまぶして、こんがり硬めに焼いた自信作だ。


「はい、どうぞ」


 ビスケットを半分に割って差し出すと、悠貴は黙って受け取って口に放り込んだ。しばらくして、悠貴がぽつりと言った。


「まずくない」

「それって、おいしいってこと?」


 いつもダメ出しする悠貴がそれ以上言わないので、美久は目を輝かせた。認められたのが嬉しくて、残り半分のビスケットもあげたくなる。しかし。


「いいや、まずくはない、だ」


 きっぱりと言われ、美久はしおれた。

 ……やっぱり意地悪だ。

 少ししゆしようかと思えば、もういつもの悠貴だ。でも今はそれが嬉しい。


「じゃあ、残りはあげない。また今度、次はおいしいって言わせるから!」


 美久はそう宣言してビスケットにかじりついた。サクッと音がして口いっぱいに甘さが広がる。ほんのり香るシナモンが良いアクセントになっている。サクサクした食感をいかすには、もう少しはくりきの配分を増やした方がいいかもしれない。

 そんなことを考えていると、悠貴が言うのが聞こえた。


「それにしても喉が渇くな」

「あ、スポーツドリンク置いたよ、悠貴君の方」


 置いた場所を示そうと床に手をついたとたん、指に鋭い痛みが走った。


「いたっ」


 慌てて手を引くと、生ぬるいものが手を伝った。指先にぶつを感じる。

 目を凝らして見ると、ガラスの破片が刺さっていた。棚が倒れた時に割れたグラスか何かの欠片かけらだろう。


「どうかしたか?」

「ううん、なんでもない!」


 とっさに返すと、盛大な溜息が聞こえた。


「もう少しまわりの状況に気をつけろ。──それから」


 突然悠貴に手を取られたかと思うと、まばゆい光が美久の目に飛び込んできた。


「嘘を吐くならもっと上手く吐け」


 いつの間にか悠貴の手にライトが握られていた。青白い光に血のしたたる美久の手が照らし出される。美久はばつが悪くなり、唇をとがらせた。


「今のは結構うまかったと思うけど」

「全然だな」


 悠貴は笑った。よく見ると、その手にあるのは携帯電話だった。少し厚みのある、ネイビーブルーの携帯電話だ。

 美久の視線に気づいてか、悠貴が先回りするように言った。


「言っておくが、このケータイは解約してるから電話もメールもできないぞ」

「えっ、だけど」


 あさくさでそのケータイを耳に当ててたよね。

 すんでのところで美久はその問いかけを呑み込んだ。以前、携帯電話やストラップについて訊かないと悠貴と約束した。

 悠貴は急に黙り込んだ美久を不審がる様子もなく、携帯電話を床に置いてポケットからハンカチを出した。


「あっ、汚れるからいいよ」


 美久がをした手を隠そうとすると、悠貴はその手を掴んで、ぐいっと自分の方へ引き寄せた。


「洗って返せ」


 言うが早いか、ハンカチを美久の手に当てる。荒っぽく手を引いたくせに、その手つきは優しい。


「……ありがとう」


 美久が言うと、悠貴は「ああ」と顔も上げずに返した。ガラス片が残っていないか確かめながら、丁寧に美久の指先を拭う。

 その様子を眺めるうちに、美久の視線は携帯電話に吸い寄せられていた。型はかなり古そうだった。ストラップには小さなクマのぬいぐるみがついていて、ゆるい笑みを浮かべている──

 美久ははっと我に返り、慌てて視線をらした。

 経緯はわからないが、悠貴にとって携帯電話やストラップは特別なもののようだった。それこそ、話題にするのも嫌がるほどに。それをじろじろ見るなんて。

 申し訳ない気持ちになってうつむいていると、悠貴がぽつりと言った。


「お前みたいなやつは初めてだな」


 言葉の意味がわからず顔を上げると、悠貴は少し困ったような顔をした。


「ケータイを見たぐらいでどうこう思わない。そうしゆくされる方が気になる」

「え……?」

「考えてることが筒抜けなんだよ。お前、全部顔に出てるぞ」


 一連の様子を見られていたと知り、美久は顔が熱くなるのを感じた。しかも口に出していないことまで見透かされている。


「いろんな人間と知り合ったが、ここまでわかりやすい奴は初めてだな。こんなに知能すうが低い奴が俺の近くにいたなんて驚きだ」

「あ、またひどいこと言って……!」

「感心してるんだ。よく今までや変な宗教に引っかからずに生きてこられたな」

「絶対褒めてないよね!」

「まあな」

「本当、性格悪いんだから!」


 美久がそっぽを向くと、悠貴は笑った。いつもはこれで話が終わるが、今回は違った。

 悠貴は美久の指先にハンカチを巻きつけながら、静かに言った。


でんを聞いていたんだ」


 不意の言葉に美久は目を瞬いた。何の話だろう、と首をひねりかけ、はっとした。

 浅草でのことを言っているのだ。先ほど訊こうとして呑み込んだ質問の答えだ。

 なぜ話してくれたのかわからないが、悠貴は淡々と続けた。


「あのメッセージは俺の最初の事件だ。……未解決のな」


 そう言って悠貴は顔を上げた。

 その時見た表情を何と表現していいかわからない。暗い、怒りに似た色。決意を秘めた眼差しは、いつか見た日と同じ静かに燃える青い炎を思わせた。それなのに、とても悲しげで、泣いているように見えた。



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