ビスケット 1/2〈4〉

 明かり取りの窓が真夏の日差しに輝いている。バッグヤード内は相変わらず薄暗いが、目が慣れてくるとそれほど不自由を感じなかった。

 美久は悠貴と協力して棚をもとの場所に戻し、落ちた荷物を床に積み上げた。棚を固定できない状況で、荷物を戻すのは危険だ。割れた食器やガラスは、雪かき用のスコップで集めて、隅にまとめた。細かな破片は拾いきれなかったので、そのままだ。

 部屋の隅にカーテンを敷いてスペースを確保すると、ようやく人心地がついた。二人並んで座るのがやっとの広さだが、休むには充分だ。

 悠貴は「寝る」と言って、さっさと寝入ってしまった。することもないので体力を温存する意味でも妥当だろうが、この状況で寝られる神経はうらやましい。

 美久は眠れずに、まんぜんと室内を眺めて過ごした。

 日中とあって室内は蒸し暑い。じっとしているだけで汗が滲むようだ。

 あっ、そうだ。

 ふと思い出して、美久は悠貴を起こさないようにそっと立ち上がった。

 バックヤードは店の制服に着替える時に使うので、美久の荷物は私服と一緒にロッカーにある。バッグの中を手探りすると、探していた物はすぐに見つかった。

 買った五百ミリのスポーツドリンクだ。ペットボトルのまわりに水滴がついて中身はすっかりぬるくなっていたが、今は宝物を見つけた気分だった。

 箱の中から汚れていないグラスを二つ探して、その一方に注いで喉をうるおした。それからペットボトルと未使用のグラスを悠貴の横に置いた。目が覚めたら飲むだろう。

 美久はもとの場所に座ると、壁に背をつけてほっと息を吐いた。とりとめのないことを考えるうちに、うとうとして、気がつくと眠っていた。




 遠くから音が聞こえてきたのは四時間ほど過ぎた頃だった。

 ガラガラと音を立てながら、何かが店に近づいてくる。

 何の音だろう? おもちゃの三輪車みたいな、台車みたいな──


「そうだ、たくはい便びん!」


 美久ははっとして立ち上がった。

 真紘が夕方に荷物が届くと言っていた。きっと配送業者だ。

 大声を出せば、気づいてもらえるかもしれない。


「すいません、聞こえますか! すみませーん!」


 明かり取りの窓の下から叫んだが、配送業者が気づいた様子はない。もう一度呼びかけようと大きく息を吸い込んだ時、不意に肘を掴まれた。


「バカ、騒ぐな」

「あ、悠貴君。起こしちゃった?」


 美久はそう言ってから、悠貴に言われた言葉を考えて顔をしかめた。


「騒ぐなって、どうして?」

「よく耳を澄ませろ」


 言われた通りにしてみるが、聞こえるのは台車の音だけだった。おかしな音は何も聞こえない。

 何が問題なんだろう、と考えて、美久はあっと声を上げた。


「もしかしてみどりちゃんと同じパターン? 外の人は宅配便の人じゃないの?」

「違う、間違いなく配送業者だ」

「じゃあどうして」

「わからないのか?」


 悠貴は呆れたように言い、声を低くして続けた。


「あいつはどうして台車を押しているんだ? うちは本一冊しか注文してないんだから、台車なんて不要だろ。にも関わらず台車を使うということは、他にも荷物を運んでいるということだ。そんな奴に助けを求めたらどうなる? 店には鍵がかかってるんだ、鍵を壊す道具がいる、奴はそれをどこで入手する? 決まってる、当然じゆんがわかって配達の手間も省けるご近所だ!」


 えっ、と声を漏らす美久をしりに、悠貴はたたみかけた。


「一軒家の住人は高齢化が進んで戦力外、アパートやマンションの連中は日曜だいをする機会がなく工具を持っているのは少数、そんな奴らに下手に声をかければうまが増えるだけで、あまつさえ一一九番されてみろ! 安全やら大事を取ってとか言って救急車と消防車がセットでやってきて大騒ぎになる!」


 美久は目を白黒させた。今の推理を頭の中ではんすうし、恐る恐る訊いた。


「それって、つまり……、騒ぎになったら恥ずかしいなってこと?」


 悠貴は端整な顔に不敵な笑みを浮かべた。


「当然だ。俺みたいに顔が良くて頭も良いいつざいが自宅に閉じ込められるなんて、あってはならない事態だ」

「もう閉じ込められてるのに!?」

「まだ事件化してない」

「すごい見栄っ張り……!」

「フン、リモコンとスマホを取り違えて持ち歩くようなてんねん朗らかたん細胞のお前には俺の苦労がわからないだろうな。いまさら傷つくような社会的イメージもないし、デフォルトすぎて話の種にもならないんだろう、ある意味羨ましいよ」

「なっ!? 私の失敗は関係ないでしょ! 黙って聞いてればいっつも悠貴君は──!」


 ぎゃあぎゃあ言い合ううちに台車の音は遠ざかっていった。

 美久と悠貴はいがみ合い、ふん、と顔をそむけた。しかし休める場所はひとつしかないので、結局肩を並べて座るになる。


「せっかく助かるチャンスだったのに」


 美久がふくれて呟くと、悠貴は小ばかにしたように鼻で笑った。


「今四時だろ。真紘ならあと二時間十五分で帰って来る」


 結婚式の終了時刻や電車のルートから時間を割り出したのだろう。悠貴は自信たっぷりだ。




 そして、二時間十五分後──真紘は帰って来なかった。

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