第二話 コーヒーシュガー〈4〉

「で、何するんだ? まさかジャンケン並みの運任せでゲームする気じゃないよな」


 美久はぎくりとした。

 やると言ったものの、ゲームの内容まで考えていない。


「えっと……じゃあ悠貴君にコーヒーシュガーを取らせたら私の勝ち、とか?」


 苦し紛れに提案してみると、真紘が困惑した顔になった。


「小野寺さん、それだとさっきのゲームと同じだよ?」

「いや、違う」


 言ったのは悠貴だった。


「こいつが言ってるのは、あらゆる手段を使って俺がコーヒーシュガーを手にする状況に持ち込むって事だろ。嘘や状況を操作して、能動的に取らせようっていうんだ。面白いじゃないか」


 うええっ、そうなの!?

 美久は内心冷や汗をかきながら「そ、そうよ」と頷いた。

 適当に言っただけなのに、すごい解釈をされてしまった。

 でもマジシャンズセレクトなんてよくわからないし、それならくちはつちようで何とかする方がまだ勝てる見込みがある、かもしれない。


「よし、制限時間は十分でいいな。時間内に俺にコーヒーシュガーを取らせたらお前の勝ち、俺がコーヒーシュガーに触らなければ俺の勝ちだ。ルールはシンプルに〈約束した事は守る〉っていうのでどうだ? どちらかが提案して相手が了承したら、その内容は必ず守られる」


 なぜか悠貴はうきうきとしていた。

 もしかしたらこういう遊びが好きなのかもしれない。ルールも悠貴にしては驚くほどまともだ。裏があるのかと勘ぐらないでもなかったが、細かいルールを作ったところで美久の方がわからなくなりそうだった。

 美久は考えをまとめると、スマートフォンのアラームを十分後にセットした。


「じゃあ、今からスタートね」

「バカがどこまでやれるか見物だな」


 アラームのスタートボタンを押すと、ピッと小さな電子音がした。

 その音を最後に、辺りから音が消えた。静かに、緊張が深まっていく。

 最初の一言が重要だ。

 何を切り出すにしても相手の心を掴まなくてはいけない。

 言い方、言葉のチョイス、どれも細心の注意がいる。

 美久が考えを巡らす間、悠貴は出方を窺うように美久を見つめていた。顔には出さないが頭の中では無数のシミュレーションがされているはずだ。

 三分、四分。

 無言のまま互いの腹を探り合うような時間が過ぎた。そして、


「悠貴君」


 美久が呼びかけると、悠貴の瞳に真剣な光が宿った。

 美久は悠貴の目をひたとえ、言った。


「コーヒーシュガー取ってください!」

「チッ、このミジンコが」

「いっ……いいいまミジンコって言った!? しかもしたちした!?」

「あ? 聞き間違えだろ。ミジンコに失礼だ、このアメーバ脳が」


 なんかひどくなってる──!

 しかしつっこんでいる場合ではない。


「えっと、じゃあ……あっ、そうだ!」

「今から右手と左手のどっちかにコーヒーシュガーを持つから、どっちにあるか当ててね、なんて抜かしたらここにある砂糖を全部お前の鼻の穴に突っ込むからな」

「何でわかったの!? 悠貴君って……やっぱり超能力者!?」


 美久ががくぜんとして訊くと、悠貴は盛大に溜息を吐いた。


「もういい。一瞬でもお前に人類と同等の知能を期待したのが間違いだった。お前の頭にはヘリウムしか詰まってなかったもんな。ああ、ヘリウムっていうのは空気より軽い気体の事で風船とかに入ってるやつだ、あんな感じでお前の頭が空に飛んでいかないのは、その分厚いがいこつと愚鈍な感性のおかげだろう」

「ヘリウムくらい知ってます! ていうかやっぱり失礼なんだけど!」

「そのみみざわりな声もヘリウム効果だな」

「な……っ、あったま来た! 本当に何してもいいの、本気の私って恐いんだよ!」

「へえ、それはそれは」

「本当にどんな手でも使っちゃうよ、嘘だってついちゃうんだからね!」

「好きにしろ、お前にその知能があればな」


 生意気──!

 美久は目くじらを立て、テーブルのシュガーポットを取った。

 何も考えずに喚いていただけだったが、ポットに触れた瞬間、奇跡的にあるアイデアが閃いた。

 シンプルな方法だ。しかしこの方法ならおそらく悠貴に勝てる。


「どうした?」

「……悠貴君は嘘ついちゃだめだよ、それでもいい?」

「いいから早くしろ」

「じゃあ、今からティーカップに角砂糖とコーヒーシュガーを合わせて十個入れるから、その中から好きなのを手に取って。絶対に悠貴君が取るんだよ。勝手にお砂糖増やしたらだめだよ?」


 はいはい、と完全にやる気をなくした悠貴に、美久は「約束だよ」と念を押してカップを差し出した。

 悠貴が横目でティーカップを確認した。とたんに、その眼差しが険しくなった。

 カップには約束通り十個の砂糖が入っている。だが、その色は茶色い。当然だ、全部コーヒーシュガーなのだから。角砂糖など一つも入れなかった。


「この中から取るって、約束したよね?」


 嘘を吐いて良いと言ったのは悠貴だ。

 悠貴もその事を忘れていないはずだが、美久に足をすくわれた衝撃からかにもつかない事を呟いた。


「……この中に角砂糖があるのか?」

「あるよ」

「どこに、何個」

「あるって絶対! よく探してみたら?」


 請け合ったところで角砂糖が見つかるはずがない。

 コーヒーシュガーに触れれば、その瞬間悠貴の負けとなる。しかし悠貴はもうそうするしかないのだ。


〈ティーカップにある十個の砂糖から、好きな物を悠貴が取る〉


 悠貴はこの条件を呑んだ。

 嘘を吐かないと約束した以上、茶色い物を白いとは言えないし、砂糖の数を変える事もできない。どうやってもティーカップからコーヒーシュガーを手に取るしかないのだ。

 しかし美久は緊張したおもちで悠貴を見た。

 抜け道はないはずだが相手は悠貴だ。絶対にコーヒーシュガーに触らずに済む方法を言い出すはずだ。それこそ煙に巻いたり、どさくさに紛れて状況をごまかそうとするに違いない。

 ──だが。

 悠貴は無言でティーカップから砂糖を一つ摘み上げると、飲みかけのコーヒーの中に落とした。

 あまりにあっさりと、勝敗が決した瞬間だった。


「うそ、悠貴君がコーヒーシュガーに触った……」


 美久は目にしたものが信じられず、まじまじとコーヒーカップを見つめた。

 濃い飴色の液体の表面に波紋が揺れている。それを眺めるうちにじわじわと実感が湧いてきて、美久は勢いよく真紘を振り返った。


「真紘さん見ました!? すごい私、悠貴君に勝っちゃった!」

「バカ言うな、俺の勝ちだ」


 素直に負けを認めない悠貴に、美久はにやりとした。


「負け惜しみ? そんなこと言っても悠貴君がカップからお砂糖取るのちゃんと見たよ。それに残ったお砂糖の数を数えればわかるしね」

「へえ。じゃあカップには何個砂糖が残ってるんだ?」

「九個だよ。悠貴君が一個取ったから」

「色は?」

「全部茶色」

「よく聞こえないな」

「だから、全部コーヒーシュガー! そんなこと悠貴君だってわかってるでしょ、だって最初からティーカップには」

「つまり俺が取ったのが角砂糖だったんだな」

「…………はい?」

「ティーカップの中に角砂糖とコーヒーシュガーが合わせて十個ある。ちゃんと探せばある。お前、そう言ったよな」


 美久は目を瞬いた。

 確かに言った。

 もちろんあれは火を見るよりも明らかな嘘だったが。


「十個の砂糖の中に必ず角砂糖がある。ならば自明だ。十引く一。今ティーカップの中に残ってる砂糖が九個で全てコーヒーシュガーなら、俺が取った一つが角砂糖だったという事だ。お前、俺が何色の砂糖をカップに落としたか証明できるか? 砂糖はコーヒーに溶けてもう確かめようがないぞ」


 美久はコーヒーカップを見た。

 たっぷり三分かけて頭の中でチンッ、と音がする。


「あっ、あれ!?」


 ようやく自分が吐いた嘘を利用されたと気づいた時、スマートフォンのアラームがゲーム終了を告げた。


「俺を負かそうなんて数十億年早いんだよ」


 悠貴は不敵に笑い、椅子から腰を上げた。


「その砂糖、責任持って全部食えよな。客に出せないから」


 じゃ、明日からバイトよろしく。

 そう言い置いて悠貴が店から出ていこうとした時、「悠貴」と真紘が呼び止めた。悠貴はうるさそうに真紘を振り返った。


「何だよ、まだそのバカをようする気か?」

「そうじゃなくて、小野寺さんに料理のお礼。ご馳走様は?」


 ぴくりと悠貴の眉が震えた。

 何でそんな事言わなきゃいけないんだ。そう言いたげな顔をしたのも一瞬、次の瞬間、その端正な顔にとろけるように甘い微笑が広がった。


「ご馳走様です、とても美味しかったです」


 だが、眼鏡の奥の瞳は完全にばかにしている。

 うわ、絶対誉めてない──!

 絶対バカにしてる!

 美久の予想に違わず、悠貴はフン、と鼻で笑うのも忘れずに店を出て行った。


「しょうがないなあ、悠貴は」


 真紘はカウンターから出てくると、淹れたてのコーヒーを美久の前に置いた。


「小野寺さんもどうぞ。ゲーム、惜しかったね」

「うう……いいんですっ! 悠貴君、やっぱり間違ってるから!」


『ストレスで暴飲暴食気味に。特に甘い物にはご注意を──』


 雑誌に出ていた、今月の牡羊座の運勢。

 水鏡マーヤの占いはちゃんと当たっている。


 美久はティーカップのコーヒーシュガーを取り、思い切りかじりついた。


【次回更新は、2019年8月9日(金)予定!】

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