第二話 コーヒーシュガー〈2〉
「へえ、すごいなあ!」
数十分後、テーブルに並んだ料理を見て真紘が声を上げた。
野菜は食材ごとに選り分けて、一部はオムレツに、大量のインゲンと残りの野菜は加熱して裏ごしし、牛乳で伸ばしてスープにした。淡いモスグリーンのスープは冷たく、目にも涼しげだ。
感心しきりの真紘に、美久は小さく笑った。本当なら客の自分がああやってはしゃいでいるはずなのに、すっかり立場が逆転している。
「これも小野寺さんが作ったんだよね」
真紘が指差した皿には、フレンチトーストで作った家が立っている。
昨日の残りという厚切りのパンがあったので、一枚は薄くスライスしてラスクにし、残りはフレンチトーストに作り直したのだ。
食べやすいサイズにカットしたそれを外壁に見立て、ラスクの屋根に粉砂糖をまぶして完成だ。簡単なものだが美久自身、なかなかの出来栄えだと思っていた。
「真紘さん、お菓子の家って知ってます?」
「グリム童話だね。確か……どの話だったかな」
「ヘンゼルとグレーテルです。
簡単にあらすじを説明して、美久は笑みを深めた。
「小学校の時、初めてその絵本を読んだんですけど、
美久が熱っぽく言うと、真紘が声を立てて笑った。
「本当に美味しそうだね」
「それはもう! だけど私、その絵本の出版社も作者さんの事も全然覚えてないんです。何度か本屋さんで探してみたんですけど、『ヘンゼルとグレーテル』っていう絵本はすごくたくさん出てて」
覚えているのは水彩の柔らかなタッチの表紙だけだ。白い小鳥と、その鳥に導かれるように歩く幼い兄妹。それから淡いピンク色のクリームを屋根に積もらせたお菓子の家……。
こんな手がかりだけで絵本を見つけ出せるはずもなかった。
「それなのに料理をしていて家の形にできそうだなって思うと、つい組み立てちゃうんですよね」
美久は笑いながらフレンチトーストとラスクを小皿に取り分け、バルサミコ酢を加えたイチゴジャムを横に添えた。
「甘さが足りなかったらジャムをつけてくださいね」
どうぞ、と皿を真紘に差し出した時だった。いきなり横から手が伸びてきて、フレンチトーストを
美久はぎょっと隣を振り仰ぎ、次にあっけに取られた。
「表面の焼き加減は悪くないが、中がいまいちだ。漬け込みが足りなかったんじゃないか? せめて後三十分置けばもう少しマシだったかもな」
いきなり現れて、頼みもしないのに批評するふてぶてしさ。そのくせ、フレンチトーストを頬張る顔すら絵になりそうなほど無駄に整った顔立ち。
あの生意気高校生──上倉悠貴が当然のように立っていた。
「なんで君がここにいるの!?」
驚いて美久が声を上げると、悠貴は鼻で笑ってフレンチトーストを口に運んだ。
「その台詞二回目だぞ。少しは自分の頭を使って考えろ」
「な……っ!」
「そう何でも人に尋ねるから知能が低下していくんだ。ついでに思いついた事をすぐ口にする癖もどうにかしろ、バカ丸出しだ。いやもう手遅れか? 顔からしてバカそうだもんなお前」
……なんで、ここにいる理由を訊いただけでここまで言われるの?
流れるように出てくる悠貴の暴言に、何か恨まれる事でもしたかと胸に手を当てて考え込みたくなる。
「二階が自宅なんだよ」
呆然とする美久に真紘が言った。
「悠貴は人手が足りない時に厨房を手伝ってくれるんだ。接客はしてくれないんだけどね。笑顔を振り撒くと顔の筋肉が攣るんだって」
「当然だ。俺ほど見た目が良いと一日中注目が集まって疲れるんだよ」
てらいもなく真顔で言い切るあたり、相当面の皮が厚い。
何を食べたらあんなにふてぶてしくなれるんだろう、と美久が半ば本気で考えていると、「ああ、そうだ」と真紘が声を上げた。
「これ橋爪さんから届いたよ」
真紘がウエストエプロンのポケットから取り出した物を見て美久は目を疑った。
「黒っ!? 何ですかそれ!」
出てきたのは真っ黒な封筒だった。形こそ普通だが色が異様すぎる。
「早かったな」
しかし悠貴は指についたパン屑を
美久はそっと真紘の方へ体を傾け、小声で訊いた。
「真紘さん、何ですかあれ? なんであんなに黒いんですか?」
「ん? ああ、悠貴は黒が好きだから」
「色の好みなんて訊いてませんけど!?」
ぎょっとして言い返したとたん、小ばかにしたような失笑が聞こえた。
「真紘、のんきにお茶するのはいいけど客は選んだ方がいいぞ。特に自分の訊きたい事も正確に伝えられないバカと一緒にいると、バカが伝染するからな」
「ちょっとそれ私のこと!?」
「なんだ自覚はあるのか。まあ、自覚があってもバカはバカだよな。牡羊座は暴飲暴食に注意しろと言われてるのに、こんな大量に料理を作って、お菓子の家まで建てるとはな。脳味噌がないとしか思えない行動だ」
聞き覚えのあるフレーズに美久は目を瞬いた。
「今のって……水鏡マーヤさんの十二星座占い? 悠貴君、星占い好きなの?」
意外だなあ、と思い、ふと首を捻った。
「でも悠貴君、どうして私が牡羊座って知ってるの?」
「『今月は何をやってもうまくいかないと感じるかも? ストレスで暴飲暴食気味に。特に甘い物にはご注意を──』」
悠貴が無表情に小さな紙切れを読み上げるのを見て、美久は目を丸めた。
「ああーっ! それ!?」
服のポケットというポケットを探るが、肌身離さず持っていたはずのラッキーアイテム、雑誌の切り抜きがなくなっている。
「そこに落ちてたぞ。ずいぶんファンシーな内容だな。しかもラッキーアイテムが雑誌の切り抜きって何だ? お前、本当にこんな物で運だの何だのが変化すると思ってるのか? その上占いの記事自体を切り抜くとは手抜きにもほどがあるだろ」
「いいでしょ、別に!」
美久も本気で占いを信じているわけではない。占いの結果なんて夜まで覚えていないし、中間的な順位の時は見たそばから忘れている。
それでも良い事が書いてあったら嬉しいし、悪い事が書かれていたら落ち込む。まして、探し続けていたものが見つかる──就職先が見つかるかもしれないと言われては、少しでも
だが、悠貴は
「単純に考えて世界人口の十二分の一がお前と同じ運勢にあるんだぞ。考えるまでもなく当たるわけがないだろ。占いなんてそうであって欲しいという欲求が『当たった』と
「他の人のことまで悪く言わないでよ!」
美久はどのくらいの確率で占いが当たるかなんて考えた事もなかったが、この際当たるかどうかはどうでもいい、と思った。占いを見ると元気になれる。今日は良い一日だよと言われたら嬉しいし、好きな人と
占いには人を幸せにする力がある。大事なのはそこだ。
「悠貴君、ちょっと頭がいいからって何を言っても良いわけじゃないんだよ。それによく知らない人のこと悪く言っちゃだめ! この記事の水鏡マーヤ先生って本当にすごい人なんだから。いろんな
「へえ、そりゃすごいな」
「あっ、信じてない! 本当だよ、マーヤさんには人の心がわかっちゃうんだから! この前もテレビでタレントさんの過去を言い当てたり、適当にトランプを選んでもらったのに、それがどのカードなのか前もって予言して当てちゃったり!」
「そんな事、俺でもできるね」
「できるわけないでしょ、君は普通の人なんだから」
「──じゃあ俺にその占い師と同じ事ができたら、お前は一週間ここでタダ働きだ」
「はあ!?」
「俺にはその占い師と同じ事ができないんだろ? だったら
どうやら『普通の人』呼ばわりされたのが相当気に入らなかったらしい。
挑発的な物言いに美久は口をへの字にした。
本当に、どうしてこんなに生意気なのかな!
この前の幽霊の事件だって依頼を受けた時は何もわかってなかったのに、えらそーにして。いつまでもこんなハッタリが通じると思ったら大間違いだ。
「いいよ。でも私が勝ったら、マーヤ先生を疑ったこと謝ってよね。それから私のこと尊敬を込めて小野寺さんって言って。ううん、小野寺先輩って呼びなさい!」
悠貴は薄く微笑むと、椅子を引いた。
「真紘、コーヒー。あとティーカップと皿もだ」
【次回更新は、2019年8月2日(金)予定!】
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