第二話 コーヒーシュガー

第二話 コーヒーシュガー〈1〉




 みずかがみマーヤの十二星座占い


 最下位 ひつじ

 今月は何をやってもうまくいかないと感じるかも?

 ストレスで暴飲暴食気味に。特に甘い物にはご注意を。

 恋愛運と仕事運は上昇のきざし。

 探し続けていたものが見つかる暗示が出ていますので、今月中、遅くとも来月の頭までに、がんばってきた人には変化が訪れるでしょう。

 さらにその探しものが縁を結び、貴方は運命の人と出会っている事に気づきます。

 今は運気の底ですが、幸せを知るための試練の時だと考えてみてください。


 今月のラッキーアイテム 雑誌の切り抜き





    1


 かしらおん公園といえば、桜の名所として有名だ。池の周りにぐるりと植えられた桜に、動物園、ボート乗り場、フリーマーケットと見所も多い。しかし、ここが井の頭恩賜公園のほんの一角である事はあまり知られていない。

 井の頭恩賜公園は武蔵むさしの南東からたか市の北東に広がる自然公園であり、敷地面積は三十四万平方メートルほどもある。その敷地のほとんどが森林で、住宅街とけ合うようにして広がっている。歩いているといつの間にか私道に出ていたり、住宅街にいたはずがぞうばやしに迷い込んでいたりする不思議な公園だ。

 その店も、そんな井の頭恩賜公園のほとりにあった。

 樹齢を重ねた木々の間にこつぜんと現れるその建物は、おもむきのある二階建てで、一階の出窓には奇妙なブリキのカカシの置物がある。

 そして重厚な扉のガラスには、こう文字が白く抜いてある。

〈珈琲 エメラルド〉

 不思議なその喫茶店は、変わらずそこに佇んでいた。



「こんにちは!」


 扉を引くと、チリリン、とドアベルが涼やかな音色で美久を出迎えた。

 カウンターで作業をしていた男が顔を上げ、にこりと微笑んだ。


「いらっしゃい、小野寺さん」


 上倉真紘は百八十を超す長身の男だが、威圧感はまるでなく、その穏やかな雰囲気からすっくと立つ木を連想させる。歳は二十代半ばとまだ若いが、この店の店主であり、先日行き倒れた美久を介抱した恩人でもある。

 美久は扉を閉め、店内の様子が先日と違う事に気づいた。

 照明はついているものの、椅子が座る部分を下にしてテーブルの上に上げられている。もう昼時だというのに開店していないようだ。


「今日はお休みですか?」

「朝からガス台の調子が悪くて、店を開けられなかったんだ。さっき業者の人に見てもらったから午後には開けられると思うんだけど」


 真紘は言葉を切ると、ほがらかに続けた。


「小野寺さんの方はどう? あれから体調崩してないかな」

「はい、おかげさまでこのとおり元気です!」


 美久は明るく答え、改まって深く頭を下げた。


「先日は助けてくださってありがとうございました。ごあいさつ遅れてすみません。大した物じゃないんですけど、よろしかったらこれ」


 美久は手に提げていた紙袋から菓子箱を出して真紘に差し出した。しん宿じゆくの百貨店で買った有名洋菓子店のものだ。

 真紘は不思議そうに箱を眺め、美久に視線を戻した。


もらっていいの? 俺は大した事してないし、どちらかというと用事を頼んで迷惑をかけたと思うんだけど」

「そんなことないです。真紘さんが言ってくれたこと、すごく嬉しかったです」


 辛いのは皆同じだから辛いなんて言っていられない。そんなふうに自分の感情を鈍くしていた美久にとって、真紘の言葉にははっとさせられるものがあった。


「真紘さんと話してすごく気持ちが楽になりました。それで気づいたんです。私、ただ頑張ればいいって思ってて、目的もなく走ってたって。……どうしたらいいかわからないけど、ちょっとだけ冷静に状況を考えられるようになりました」


 だからそのお礼です、と美久がはにかむと、真紘の表情が優しくなった。


「うん、それなら俺も嬉しい。お菓子ありがとう。大事にいただきます」


 真紘が大切そうに菓子箱を受け取るのを見て、美久は嬉しくなった。

 説明会に出そびれたのは痛手だけど、このお店と出会えて良かった──

 あの高校生は最っ悪だけど。

 思わず生意気な少年の事を思い出してしまい、美久は顔を引きらせた。

 本当になんだったの、あの人……!

 口を開けば壊れたじやぐちみたいに悪口を言うし、やりたくないことはだましてでも人に押しつけるし、しかも笑顔で私のことゴミ捨て場に投げ捨てたし!

 何をしたらあんなろくでもない性格になれるんだろう。しかも真紘さんっていうステキなお兄さんがいるのに、だ。

 口が悪いし態度も悪いし性格なんてもっとも悪いし、本当に本っ当にムカつく──


「小野寺さん?」


 呼びかけられ、美久ははっと我に返った。


「あっはい、なんですか?」

「うん、お礼のお礼にご飯食べていかない? まかないで良ければご馳走するよ」

「えっ、いいんですか!」


 まずは遠慮を述べるはずが、つい本音が先に出てしまった。この頃の美久の食事といえば米とモヤシだったのだ。

 就職活動には交通費やら何やらで意外と出費がかさむ。

 一人暮らしの美久はこれ以上両親に負担をかけられず、自然とせつやく志向になっていた。削れる生活費は削り込み、移動も快適な乗り継ぎより安さで選ぶ。そうして十円でも安い交通手段を選んだ結果、『バスを追いかけて行き倒れ』という大失態に繋がるのだが……。


「ガス台の調子も見たいし、一人分だけ作るのも味気ないしね」


 真紘にそこまで言ってもらっては断る理由もなかった。美久が手伝いを申し出ると、真紘はテーブルのセッティングを頼んで厨房に入っていった。

 美久は壁際のテーブル席の椅子を下ろしてテーブルを整えた。カウンターから台拭きを借りて軽くテーブルを拭くと、カウンターを抜けて厨房へ向かった。


「真紘さん、台拭きを洗いたいんですけど、どこで洗えばいいですか?」

「ああ、そこの流しに置いておいて。あとでまとめて洗うから」


 調理台に立つ真紘は目線でシンクを差すと、食材を刻み始めた。

 そのさばきに美久の目は釘付けになった。


「そうだ、今朝の天気予報見た? 三十度超えるみたいだね。四月でこれだと夏が心配だね」


 真紘の声は一言も耳に残らなかった。

 ダン! という大きな音を立てて山積みのインゲンがいつとうりようだんにされた。

 勢い余った切れ端が宙を飛び、近くの鍋の中へ吸い込まれる。


「こういう夏日にはジュースや炭酸よりアイスコーヒーの方がよく出るんだ」


 喫茶店経営のミニ知識も今は音のれつでしかない。

 ドスッ、グサッ、と叩き切られるタマネギ。

 刻んだのかつぶしたのか定かではないトマト。

 原形不明の緑色の何か……。

 もはや、まな板の上は戦場か殺人現場かといった様相だ。


「小野寺さん、食べられない物やアレルギーある? 小麦粉使って平気かな」

「えっ! あ……、だ、大丈夫、です」


 よかった、と真紘が縦長の粉袋を手に微笑んだ。笑顔と同じくらい『かたくり』の文字が眩しい。

 さらに鼻歌まじりに卵を叩き割ると、軽やかに黄身と白身をボウルに投入した。もちろん卵のからも一緒だ。


「あ、あの……! すみません、何を作ってるんですか?」

「ん? うーん、お好み焼きじゃないかな」


 じゃないか!?

 自分で作りながらじゃないかって言ったこの人!?

 だいたいキャベツのないお好み焼きって何、あの大量のインゲンがキャベツだとでも!?

 ──まさか真紘さん……、料理できない人?

 行き着いた答えに美久は激しく頭を振った。


「真紘さん店長ですもんね! この前のケーキとってもおいしかったし!」


 自分を説得するように美久が言うと、真紘はおかしそうに目を細めた。


「ケーキは業者から仕入れているんだ。うちみたいな小さい店だと、一から調理するのはコストとスペース的に無理があるから。飲み物以外は半分くらい外注だよ。本当はランチ用のレトルトカレーをご馳走したかったんだけど、在庫切らしたみたいで」

「……」


 今の発言が事実なら、真紘は普段包丁を握っていない事になる。

 ここ、飲食店なのに?

 真紘さん店長なのに?

 コーヒーはあんなに美味しかったのに──!?


「ははは、作った事ないけど食べた事あるから大丈夫。混ぜて焼くだけだしね。あれ、生地って何で色つけるんだろう、こげ茶っぽかったから──ああ、これか」

「いやああああお待ちください!!」


 美久は叫び、しようを大量投入しようとした真紘を制止した。


「私、やります! あとはどうか私に!」

「だけどご馳走するって言ったの俺だし、悪いよ」

「全然悪くないです! 料理大好き、もう大好きすぎて料理しないと寿じゆみようが縮んで具合が悪くなりそうです!」


 意味不明である。

 完全におかしな事を口走っていたが、美久に構う余裕などなかった。その必死さに打たれてくれたのか、真紘が名残なごりしそうに包丁を置いた。


「じゃあ、お願いしようかな」


 内定貰ったらこんな気持ちだろうな。真剣にそう思うくらい、美久は心底安堵した。


【次回更新は、2019年7月29日(月)予定!】

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