第三十四話 ミミック、回想する


 何も無い白い空間に、ただ立っていた。


 目の前には一体の魔物がいた。


 漆黒の翼をしなやかに広げ、魔物は俺を見据える。

 透き通るような銀色の髪と、白い肌。

 禍々しい装飾の施された黒い紳士服との対比が、邪悪さと気品を醸し出している。


 この威厳と迫力。

 一目で、魔王だと分かった。


「やあ、ミミックくん」


 気づけば、俺の姿はかつてのミミック、そのものに変わっていた。

 視点が下がり、手足の感覚が無い。

 よく覚えている。

 これが本当の俺だ。


「あ、あの……どうも」


 不思議と、言葉を話すことはできた。

 きっとここは、夢か、幻の世界なんだ。

 だって、魔王は既にこの世にはいない。

 俺だって、もうミミックではないのだから。


「そう畏ることはないだろう」

「いや……そうは言ってもなあ。正直、あんたが生き残った方が、ずっと良かったんじゃないかって思ってるんだよ、俺は」

「そうらしいな」


 そう言って、魔王は喉を小さく鳴らして笑っていた。


「一体、何の用なんだ? 何か言いたいことがあるから、こうして会いにきたんだろう、あんたは」

「何を言ってるんだ、お前は。俺はもう死んでいる。自分の意思で現れるなんて、できるわけがない」


 魔王は思いもよらないことを言った。

 俺はてっきり、俺の不甲斐なさに見かねた魔王が、しっかりしろと、なんなら身体を返せと、そんなことを言うために、こうして夢の世界に現れたんだと、そう思っていた。


「だったら、あんたはなんのためにここに来たんだ?」

「俺が来た? 違うな。来たのはお前だよ。ここは、死者の世界だからな」

「死者の世界だって! なんでそんなところに俺が……」


 そう言ってから、自然と納得がいった。


 考えてみれば当然のことだ。

 俺は、死んだんだ。


「……ああ、そうか。そりゃあ、そうだよな」

「理解したらしいな」

「いやぁ、なんか、悪かったな。あんたが魔神になってれば、きっとこんなことにはならなかったのに」

「まったくだ。貴重な【不死身】スキルを、早々に使ってしまうとはな」


 魔王はおもしろそうに、また喉を鳴らした。


「なに? 【不死身】スキルだって?」

「魔神の固有スキルの一つだ。覚えていないのか。このスキルを持つ魔物は、一度だけ、死から復活することができる。お前は今、その蘇生の最中なのさ」


 言われて、俺は初めて自分のステータスを見た日のことを思い出した。

 確かにあの時、俺の固有スキルの項目の中には、【不死身】というスキルがあった。


「あれはそんな効果のスキルだったのか……」

「まあ、実際に使わせたのはおそらく、ロベリアだろう。あいつには、魔神のスキルについても予め話してあった。ロベリアなら、主人を助けるために本人ごと一帯を焼き尽くす、という判断もできるはずだ」

「……そうか、だからあの時、島クジラが俺を攻撃したのか」


 魔王の推測に感心しながらも、俺は一つだけ、彼の言うことを否定していた。

 その判断を下したのは、おそらくロベリアではない。

 あれはきっと。


「……なあ、魔王」

「なんだ、魔神」


 俺の姿は、再び魔神に戻っていた。

 仕組みは分からないが、ひょっとすると復活が近いのかもしれない。


 今しかない。

 ずっと気になっていたことを聞くチャンスが、その相手が、今俺の目の前にいた。


「あんたは、どうして消えてしまったんだ」


 魔王は黙ったまま、何も言わなかった。


「だってそうだろ。あんなに魔神になりたがってたのに、勇者を倒したがっていたのに、なんでこんな、雑魚モンスターのミミックなんかに、あっさり負けてしまったんだよ。おかげで俺は、本当に苦労したんだぞ。あんたになりすまして、ロベリアとマチルダを騙して、大きすぎる力に振り回されて。あんたが生き残ってれば、俺はこんな目に合わずに済んだのに」


 止まらなかった。

 ずっと、ずっと本人に聞いてやりたかった。

 文句が言いたかったわけじゃない。

 ただ、なんでだよ、って。

 それがあんたの生きる目的だったろう、って。

 ロベリアも、マチルダも、そのために耐えてきたんだろう、って。

 あの二人は、あんたと一緒に復讐したくて、頑張ってきたんだろう、って。


 何してんだよ、って。


 そう言いたかった。


「でも、楽しかっただろう?」


 魔王は笑った。


 悪びれもせず、俺に向かってニヤリと、八重歯の目立つ笑みを向けて。


「お前は覚えていないんだな」

「な……なんのことだ……?」

「俺たちがここで会うのは、これが二度目だ。一度目は、あの時。俺とお前が、配合された時」


 その言葉で、俺の脳裏にとあるシーンが呼び起こされた。

 頭を電撃で貫かれたような衝撃と痛み。

 光景が、言葉がフラッシュバックする。


 あの時。

 配合された俺と魔王の精神が戦った、あの時だ。


『俺によこせ!!』


 それは、俺の声だった。


『もう一人は嫌だ!! あの生活は嫌なんだ!! 俺はもっと、もっと自由に生きたいんだ!!』


 聞いたことないような、発したことのないような、怒気に満ちた声。

 掠れて歪んで、悲痛に塗れたその声で、俺はミミックの姿のまま魔王に縋っていた。


『お前の目的なんか知るか!! よこせ!! 俺が乗っ取ってやる!! 幸せになってやるんだ!! 俺が!! 俺が!!!』


 過去の魔王は驚いた表情で、ガタガタと暴れる箱型の魔物を見下ろしていた。


『いいだろう』


 今と同じ笑顔を浮かべて、過去の魔王が言った。


『この命、お前に譲ろう。勇者は憎いが、やつを倒すのは俺じゃなくても構わない』

『ほ、本当か!?』

『俺の目的は勇者を殺すこと。だが、その後はどうだ。何も見えない。俺はもう、充分生きてしまった。お前の方が、この命を有効に使えるだろう』


 魔王の声は穏やかだった。


『だが、この命が、このちからが、幸せをもたらす保証はない。それを決めるのはお前自身の意思だ』


 過去の俺は何も答えなかった。

 ただ宝箱型の身体のフタをあんぐりと開け、その言葉の意味もわからず、魔王に感謝していた。


『そろそろ意識の戻る頃だろう。お前の正体がバレてはマズいだろうから、俺から一つ、餞別をくれてやる』


 過去の魔王は膝を曲げ、ミミックに向かって手を翳した。

 その手が紫色に輝き、俺を包んでいく。


『俺の側近は、記憶共有魔法を使う。一度だけ、それを防ぐ魔法をかけておく。あとは自分でなんとかするんだな』


 そういうことだったのか。

 最初にマチルダに『記憶交差クロスメモリー』を使われた時、なぜかマチルダには俺のミミックの頃の記憶が渡っていなかった。

 その謎が、今やっと解けた。


『さあ、行くがいい。俺の部下たちを頼んだぞ。勇者とは、いずれ必ずぶつかることになる。その時はくれぐれも、よろしく』


 ミミックの俺の身体が、ゆっくりと光の粒と化していく。

 そこで、俺の記憶は終わっていた。


「あぁ……思い出した」

「そうか」

「俺が……あんたから奪ったんだ。俺自身が、あんたに頼んでいたんだ。代わってくれと。それで、あんたは……」


 俺の身体は、過去の俺と同じように、光の粒に変わり始めていた。

 どうやら時間が来たらしい。


「魔王!!」


 次に目が覚めれば、俺は再びあの世界にいるのだろう。

 きっと、周りにはあいつらがいる。

 ここへ来ることは、もうしばらくないはずだ。


「なんだよ、魔神。うるさいぞ」


 言わなければならない。

 決めなければならない。

 俺がこれから、どうするか。

 魔王が俺にくれたこの命を、これからどう、使うのか。


「勇者は任せろ!! 絶対に、俺が倒す!!」


 消えていく手を、必死に伸ばす。

 魔王は腕を組んだまま、微動だにしない。

 ただその笑みだけを、より深いものにして。


 余裕と自信と威厳に満ちた笑顔で、魔王は魔神にこう言った。


「もういいさ、お前の好きに生きれば」


 意識が遠のく。

 視界が暗くなる。


 そして、俺は。

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