五話

 無事、学校から解放された市松は、駅前の商店街を何となくぶらついていた。

 市松は基本面倒くさがりなので、堂々と帰宅部を貫いている。無論、塾やほかの稽古事なども面倒くさいからいかない。


 基本的に彼は暇人で、大体学校後は部活のない友人と共にだらだらと過ごすし、予定の合う者がいないときには家に帰って姉の目を盗みながらゲームをするのが日課だった。


 だが、その日はどうも落ち着かなかった。

 火曜日は連れ合う友人がいないので家に帰るのが常なのだが、どうも家に帰る気分になれない。かといって、一人で喫茶店に入る金は勿体ない。加えて、梅雨のこの時期には珍しいことに、空は曇っているが雨が降っていなかった。

 だから、市松は商店街の適当な店を一人で冷やかすことにした。コンビニで漫画を適当に立ち読みし、旅行代理店のパンフレットを適当に並び替え、ゲームセンターを適当に何周もグルグルと回った。


 暇だった。だが、かといって代わりに何かをするやる気があるわけではない。そんな面倒なことはしたくない。

 このまま何となく自分は高校を卒業するんだろうな、と市松は思った。世の人は勿体ないとか、青春はうんたらとか語るのだろうが、市松はそれでよかった。


 ゲームセンターをただ回るのも飽いたので、市松はやっと外へ出た。学校を飛び出してから一時間以上たっていた。

 手持無沙汰で何となく父親の傘を振り回していると、前からガールズトークでもしていたのか、三人組の女子が歩いてきた。

 胸の学年を示すバッチを見れば赤色で、高3のようだ。スカートもそれらしく規定よりも大分短い、かがめば中が見えてしまいそうな長さである。


「おっ」


 市松は思わず感嘆の声を漏らした。右端の少女はなかなかグラマーで、市松好みであった。

 顔やその他を含めれば彼女の姫森のほうが美少女ではあるが、それはそれ、これはこれである。足の方もふっくらとした女性らしい色気のある見事な生足で、市松はさりげなく彼女を眺めた。


 と、水たまりに足を取られたのか、少女の体が傾いた。きゃっ、という可愛らしい声と共にバランスを崩したまま転ぶ。


「おおっ」


 市松は先ほど以上に深い感嘆の声を漏らした。少女が転ぶ際に起きた風圧が見事にスカートを巻き上げ、市松の位置から丁度――ロマンである。

 なかなか良い景色だった、市松は満足げに口元に笑みを浮かべると、少女たちに気づかれないうちに背後の店のショーウィンドウを覗き込んでいるふりをした。

 ガラス越しに転んだ少女と彼女を助け起こす友人たちが映りこむ。また絶景が見えないだろうか、そんな期待をしていた市松だがある事実に気が付いて凍り付いた。


「は?」


 背筋に異常なまでの寒気がした。

 ガラスにはやっと立ち上がった少女たちと、通行人のお爺さん、そしてびっくりした顔でガラスを覗き込む少年が映っている。


 その少年には猫の耳のようなものがくっついていた。


「な、何だ、これ」


 耳の方にも動揺が伝わったのか、ピクピクっと耳が動く。

 市松の髪色に合わせたのか、黒色でやたら毛深い。触ってみると温かくて――何故か頭の先でくすぐったい感覚がした。

 右手で謎の耳を確認しつつ、市松は左手で自分従来の耳を確認する。ちゃんと二つ存在している。そこで少し安心し、即座に安心している場合ではないと首を振った。

 猫だ。多分、いや、絶対猫だ。知り合いの多くが犬派で、猫と触れ合う機会はすくなかったけれど、間違いなく猫だ。


『もういい、お前――猫になりなさい』


 黒崎の謎だらけの言葉が脳裏をよぎる。まさか、そんなことがあるわけがない。

 ではこれは何なのか、耳の感覚は間違いなくある。これは幻覚なのか、覚えのないストレスが歪んだ妄想を作り出したのか?


「猫、絶対猫。いや、猫じゃなくて狐とか狸かもしれないけど、朝黒崎が電波発言していたし――待て、そもそも俺、何で猫耳が」


 パニックになりながら市松はショーウィンドウに向かって呟き続け、その一方で両手で顔や頭や胸や背中などを撫でまわす。

 ハッキリ言って、猫耳がなくても十分おかしい光景だった。


 三人の女子生徒たちもこの異常行動で市松に気が付いたのか、目配せをし合うと早足でその場を立ち去っていく。


「ちょっと、何あの子」

「うちの学年じゃないと思うけど――ヤバイよね」

「ガラス見て何つぶやいてんだろ、ナルシストなのかな」


 ひそひそと言いつつも、少女たちのこういう話はやけに通るものだ。市松は容赦ないガールズトークに我を取り戻した。穴を掘って埋まりたい気分だった。


「落ち着け、俺。人間が猫になるはずがない、というか猫になってない、俺はただ猫耳が生えただけ、それだけ――でも大問題だな、うん」


 市松は深呼吸して目を閉じた。何かの目の錯覚で、落ち着いて見ればただの見間違えで済むかもしれない。市松は大きく深呼吸して、目を開けた。


「……猫耳だ」


 現実は変わらなかった。猫耳は相変わらずそこに有って、ピクピクと動いている。

 市松は沈黙した。彼の人生で一番の沈黙であったかもしれない。

 疑いようもない猫耳をどうしろと言うのだろう。市松は沈痛な気持ちでガラスの中の猫耳少年をもう一度見ると、決心した。


 心当たりは一つしかない。

 黒崎麻衣、どんな原理なのかは知らないが、彼女を説得してどうにかしてもらうしかない。

 市松はガラスに背を預けると、地面に座り込んだ。最悪な気分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る