三話


 七不思議、市松にとっては小学校以来の久々に聞く言葉であった。

「トイレの花子さん」や「歩く二宮金次郎の銅像」などは小学校の頃に多少は耳にしたが、これらの怪しいオカルトと一介の女子生徒である黒崎麻衣との一致点がまるで分からない。

 市松が先を促すと、姫森は「私もよく知らないんだけど」と前置きしてから話し出した。


「そうだね、確か黒崎さんは登下校をしない、だったと思う」

「……登下校をしない?」


 なんとも地味で微妙な七不思議である。拍子抜けをした市松に、姫森は自身も思い出しながらだからか、ゆっくりと続きを語る。


「確か、C組のバトン部の子が部活の朝練の準備で、学校の門が開く前から待っていたことがあったのがきっかけらしいんだけど」


 清徳高校の門は七時に開く。学校業務が八時半なので、そんな時間に来るもの好きはそういない。せいぜい一人か二人だ。


「その子はその日一人で門が開くのを待っていて、門が開くと同時に教室に荷物を運ぼうとしたんだって。で、そしたら……」


 朝の学校にいる人間はご年配の教師ぐらいで、彼らは職員室から出ることはまずない。故に早朝の学校は人気がなく、その日の廊下は彼女の足音が良く反響していたという。

 と、荷物を運びながら彼女は自分以外の足音がすることに気が付いた。


「てっきり別の生徒が後ろからやってきた、と一瞬は思ったんだけど、すぐに妙なことに気が付いたの」


 足音は彼女の前方からしていたという。それも自教室の中で。

 不審に思いながらも彼女が教室に入ると、予想通りに人がいた。

 少し驚いたように彼女と目を合わせたのは女生徒で、C組の黒崎麻衣であった。


「その子は教室に行く最短ルートを通ってきたし、急いで小走りだったらしいから、どう考えても後から来るはずの黒崎さんが彼女より早く教室にたどり着けるわけない。だからおかしいって言う話になったんだけど――」

「……それ、黒崎本人に聞けばはっきりするんじゃないか」

「確かにそうなんだけど、黒崎さんって謎めいているっていうか、話しかけにくい子でしょ? 特定のグループにも入らない、単独行動が多い人だから、何となく気兼ねして聞きそびれちゃったらしいのよ」


 謎めいていて話しかけにくい子、というのは特定の友人がいないことに対する姫森なりのフォローなのだろうか。

 というか隣のクラスの人間であるのに、何故姫森はここまで黒崎の事を知っているのだろう。市松は一瞬疑問に思ったが、それよりも黒崎の事の方が気になった。


「黒崎ってぼっちだったのか」


 思い返してみれば、といっても今朝以前の彼女に関するイメージはまるでないが、少なくとも今日の午前中それとなく観察していた黒崎は、友人のように会話している人はいないような気がした。


「微妙に違うかな、ハブられているわけでもないし、進んで友人を作らないの。自分一人で生きているおひとり様って感じかな。クラスの女子の間でも一目置かれているみたいだよ」


 確認であるが、姫森は市松とは別クラスである。にして、どうして彼女は隣のクラスの女子事情に通じているのか。

 市松は一瞬怖くなったが、自分の姉にも似たようなことがあったことを思い出し、女子とはそういう生き物であろうと納得した。


「でも、そんなことだけで七不思議になるわけないだろ」


 話がずれていたので、市松は話題を振りなおした。姫森は頷いて、話の続きを語りだす。


「ええ、そうよ。ここからが変な噂が出来た原因。黒崎さんを目撃した彼女を含めC組の何人かの女子が、その一件でなんか盛り上がっちゃったみたいで――その後、しばらく黒崎さんウォッチングが流行したのよね」

「……は!?」


 そっちの方向にいくとは思わず続ける言葉を失う市松に対して、姫森はそのままさらりと続ける。


「元々黒崎さんってミステリアスだったから、その好奇心も手伝ってなんだろうけど。あまりいい趣味とはいえないね」

「いや、観察するって、芸能人ならともかくクラスメイトだぞ?」


 市松にとっては何の面白みもなさそうな行動だが、姫森は首を振った。


「普通の人だからこそ、日常味があるから面白いって盛り上がることもあるの。何せネット上では全然知らない一般人を複数で付きまとって、掲示板でさらして『今日の〇〇』みたいなことをする人もいるくらいだから、これくらいは普通。特にこれくらいの年の子はプライバシーとか忘れがちだからね」


 これぐらいの年の子の姫森は平然とそう言いのけると、食べ終わった弁当箱のふたを閉じた。

 市松はその少し前に食べ終わっていたが、あれだけしゃべり続けていた彼女が何故こんなに早く弁当を食べ終わるのか不思議になった。


「まあ、とにかくそういうノリで彼女たちは、黒崎さんを学校でつけたりして遊んでいたらしいの。で、そうしているうちに黒崎さんの登下校をどうやっても確認できないことに気が付いた、というのが筋書きよ」

「いや、ただの確認ミスだろ。趣味悪いとはいえ、お遊びだし」

「甘いよ義弘君、遊びだからこそ人は真剣になるの。彼女たちもいろいろやったみたいだよ、露骨につけたり、話しかけたり、門開く前から待って、全ての登下校の道で張り込んだり――それでも黒崎さんの登下校は確認できなかった」

「いや、でも黒崎は毎日学校に来ているぞ、多分」


 清徳高校は年間通じて二週間以上休むとレポートを書く必要があるため、あまり休む者はいない。

 市松のクラスでも一人怪我をして一週間ほど入院したものはいたが、黒崎ではない。そしてそれ以外のクラスメイトはせいぜい一日二日しか休んでいない。


「ええ、黒崎さんは入学してから一日も休んでいない。だから不思議だと彼女たちが話を広め初めて、それがきっかけで黒崎さんに注目する人が増えていって――それでも誰も黒崎さんの登下校を見ることはできなかった。だから七不思議、とか呼ばれるようになったのね。結構噂になったよ」

「……俺、本当に聞き覚えないけど」


 市松は帰宅部ではあるが、それなりに自分は社交性があると思っていたので、首をひねった。


「うーん、女子の中で噂になっていただけなのかな」

「ああ、それなら納得だ。女子ってなんでもないことでも、オカルトに結び付けたがるからな」

「うわっ、義弘君、それ差別発言だよ」


 姫森が怒ったように頬を膨らませる。が、大げさにやっているからわざとなのだろう。美人は怒っても様になる。


「で、黒崎への観察はまだ続いているのか?」


 もしそうなら今朝の事も黒崎ウォッチャーが目撃している可能性がある。内心冷や汗をかきながらも何食わぬ顔で市松は尋ねた。


「ううん、それはないと思う。五月の半ばぐらいに、嫌なことが起きて大分下火になったみたいだから」

「……嫌なこと?」


 市松の脳裏に浮かぶのは、今朝の別人のような冷然とした目をしている黒崎麻衣の姿だ。あの瞳の黒崎なら、何をやらかしてもおかしくないような予感がした。


「黒崎さんの噂を流したグループの中の一人が、ネットの掲示板で黒崎さんの事を書いちゃったらしいの、ご丁寧に画像付きで」

「それ、犯罪じゃねえか」


 プライバシーという言葉が霞む行為である。


「うん、そうなんだけどね、問題はその後なの。その掲示板を書いた子――アップした翌日に電車の事故に巻き込まれちゃったの」


 そこで市松は思い当たった。先月、理由は知らないが下校中に事故に巻き込まれ、入院していた女子生徒がいたことを市松は思い出した。

「いや、偶然だろ」

「それが、偶然にしては奇妙と言うかおかしな事件だったの。その子はその日も普通に電車に乗ったんだけど、どういう訳か右足の膝から下を電車のドアに挟んでしまって、にもかかわらず発車して丸一駅そのままだった――普通、周囲の人が気づくなり何なりして電車は止まりそうじゃない。でも誰も気が付かなくて、本人も気が付いていても頭が真っ白になって何もできなかった、て言っているの。ね、おかしいでしょ」


 確かに妙な話で、想像してみるとなかなか怖いものが有る。だが、黒崎麻衣との接点がまるで分からず、市松は首をひねった。


「それが黒崎に関係あるのか?」

「事故に巻き込まれた本人は何も語っていないよ。ただ入院して容体が落ち着くやいなや黒崎さんの画像を削除して、グループの子に黒崎ウォッチングはやめた方がいいといったことは事実。しかもネットから画像を携帯に保存した、うちの生徒を一人一人探し出して、消去してもらうように頼むという手の込みよう」


 明らかな異常行動――市松は背筋に冷たい物を感じた。


「なんでそいつはそんなことをしたんだ?」

「それが、分からないの。この理由をいくら誰かが問いただしても、彼女は絶対に何も言わなかった。ずっと事故については何も覚えていないの一点張りで――それから事故と黒崎さんは何らかの関係があるんじゃないかという噂が流れだしたの。それからもう一つ、別の噂もね」

「……別の噂?」


 なんだか嫌な予感がして姫森を見やると、彼女は市松の心中を知ってか知らずか、ニコリと笑って言った。


「ええ、こっちは根拠もソースもない噂というかオカルトなんだけどね」


 曰く、と姫森はそこで一呼吸を置いた。ごくり、と自然と市松の喉もなる。


「黒崎麻衣は魔女である――てね」


 ひゅっと、市松の喉の奥で乾いた音がした。

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