ゲームオーバー

「あー、満腹」

「安いからって頼みすぎたな」

「六千円いっちゃうとはねぇ」


 呑み屋街を離れ、住宅が並ぶ暗い道にコツンコツンと足音を響かせながら、私は膨れた腹を撫でた。酒を飲んだせいか、いつもよりゆったりとした足取り。ちょうどいい具合に脳がアルコールに浸かっている。胃は早くも入ってきた食べ物たちを消化しようと動いている。

 私たちは二人横に並びながら、普段よりふわふわと、風船を使ったような緩く中身のない会話のキャッチボールを繰り返していた。

 轟々と遠くで電車が走る音が聞こえる。酔い覚ましと食後の運動を兼ねて一駅分歩こうと言い出したのは、どちらだったか。


「その靴、新しいやつ?ヒール滑ったりしない?」

「この前買った。もう慣れたよ大丈夫」


 道は緩やかな下り坂。私は平静を装いながらも滑らないように、爪先をきゅっと丸めて踏ん張りながら脚を踏み出す。しかし、どうしても歩幅は小さくなる。隣をちらりと見ると、私よりもだいぶ背の高い男がこれまた無意識であろう、長い脚をちまちま小さく回転させながら私の隣を頑張って歩いている。私はそれを無意識にじっと見つめた。


「なんだよ」

「いやァ〜?なんでも」


 白々しい私の声が、初夏らしくない肌寒い風に流されていった。ひんやりした空気に撫でられて、酔いも醒めていく。膨らんだ胃袋も段々元に戻ってきた。消化器官は優秀だ。美味しい夕食だったものは分解されて腸に送られて、酒だったものは肝臓だか腎臓だかに送られる。滞りない、良く出来たシステムだ。


「にしても歩きにくそうだな」

「いいんだよ、160センチになりたいの」

「そういや、お前頭頂部ちょっと禿げた?前髪んとこ」

「うるさいな、分け目だよ分け目。お前こそ生え際後退したんじゃないの?下からよく見える」

「余計なお世話だよ」


 遠くで聞こえていた電車の音が近付いている。辺りはぽつぽつ明るくなり、駅前の商店街が見えてくる。気がつけば酔っ払いらしい足取りもだんだんしっかりしてきて、赤かった頬も元に戻ったことだろう。私はこっそり緩めていたベルトを締めなおした。


 人通りの多い道に出る。午後九時前。飲食店以外の店は店仕舞を始めている。対して、居酒屋から聞こえてくる声はまだ元気なものであり、駅に向かう人、駅から出てくる人、その数はまだ少なくない。


「お、こんなところにもタピオカ屋出来てたんだな」

「ほんとだ」

「だいぶ腹も楽になったし、飲んでく?」

「うーん、その前にトイレ行きたいかな」

「あぁ……、コンビニ遠いし駅の中しかなさそうだな……。俺も行っとこ」


 今まで機能していなかった脳内に、赤い警告が表示される。

 しくった。

 選択ミスでゲームオーバーだ。

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