隔てられた

 水面に映る彼女の肩は、いやに頼りなく見えた。


 場内に籠る熱気。密閉された空間に、暑苦しい声と水音が響く。冷たいであろう水の中とは対照的に、じっとりと肌を濡らすような暑さと、漂う塩素のにおいがまとわりついた。

 オレはそのにおいを深く吸い込んだ。一般的に身体に良くないと言われていても、オレにとっては馴染みのある、気持ちを落ち着かせるにおいだ。コースロープの向こう側から時折波がやってきて水面を揺らす。そこに映る以前より多少は逞しくなった自分の身体を満足気に眺めて、オレはぐぐっと伸びをした。


 コーチの声が遠くで聞こえて、後ろでワイワイと喋っていた奴らがプールサイドに横一列に並ぶ。ワンテンポ遅れて、オレの隣に来た気配を横目で確認した。オレの隣に来た彼女は、幼稚園の頃からこのスクールの同じコースで泳いできた、ライバルのようなものだった。ただそこまで仲が良いわけではなく、たくさん話したこともなく、オレが一方的にライバル視してるだけかもしれない、そんな存在だった。


 彼女とは小学校も同じで、夏の水泳の授業では一緒にタイムアタックもしていたが、中学に上がってからはクラスも別、体育も男女で別れた。そして悔しいことに一つ上のレベルに上がる基準タイムを彼女が先に切ってしまったから、ここ最近は姿も見ていなかった。ずっとタイムを競っていたのに、基準タイムは女子より男子の方が厳しかったのだ。


 そうして暫く顔を合わせなかった相手と久々に隣に立てているのが少し嬉しかった。が、コーチが今日の練習メニューを読み上げている為、話しかけるわけにもいかない。その上、そもそもそんなに仲良くなかったな、と思い直して目線を前に戻した。彼女はオレの視線を感じたのか、こちらをチラリと横目で見たが、気にする様子はなかった。


 先の小学生コースが終わり、楽しそうな声が遠ざかっていく。名残惜しいかのように、波がちゃぷちゃぷとオレたちの足を濡らす。静かになった水面に、自分たちの姿が映った。コーチの声を聞き入れながら水面をぼんやりと眺めて、無意識のうちにオレは声をあげそうになり慌てて堪えた。


 こいつ、こんなに背低かっただろうか。

 それに肩も腕も細くて丸っこくて、なんだか頼りない。

 レベルが別れる前まで、彼女はずっとオレより背が高く、手足も長く、それを活かした力強くてしなやかな泳ぎ方が割と気に入っていたのに。


 なんだよ、と八つ当たりのようなことを考えながら、オレは自分がここ最近成長期を迎えたことを思い出した。至極単純な話だ。自分の背が伸びたのだ。それに加えて筋肉もつき始めていたから、彼女が頼りなく見えたのだ。


 そうか。先の疑問に対する納得とは別に、自分の中ですとんと何かが落ちた。それが何かも分かっていなかったが、オレの頭はすっきりとしていた。


 オレとあいつは、今後もうタイムを競い合うことはないのだろう。


 分かったのはそれだけだ。何故かなんて理解する必要はない。知らないうちに、願ってもいないのに、無理矢理そうなってしまった、世の理みたいなモンだ。

 水面に映っているオレと彼女のちょうど間を走る、黄色と青のコースロープがやけに主張するようで、オレは視線を上へ逃がした。


 ちょうどコーチの説明が終わったらしい。最初のウォーミングアップは百メートルを四本だったか。オレたちは場内いっぱいに響く威勢のいい挨拶をすると、次々とプールに飛び込んでいく。

 冷たい水が火照った身体を冷やしていく。一瞬の静寂の後、始まりの笛の音と共に再び水をかき分ける力強い音に包まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る