第15話 オカマ監督は名監督?

岡田と言えば笑ってしまうことがある。岡田がオカマバーに入るとこをホーカスされたのである。私は甲子園にいたのであるが、岡田がバッターボックスに立つたび、男がネット裏に行っては「オカッダ、オカッマ」とやるのである。岡田はその日3打席3三振。さすがに、4打席目は周りの観客がやめさせた。監督時代、ベンチが映るたびにそれを思い出してしまうのである。


監督としては確率を重視し、堅実なスタンスであるとしている。選手のコンディションや相手チームとの相性で打順を組み替えたり、先発ローテーションを崩したりすることは基本的には好まない。ベンチワークの必要のないスタイルの確立されたチームこそ最強という持論である。岡田は「ベンチで何もしないで、言葉も出さず、気がついたら1対0で勝っていた、そういうゲームができるチームの監督が理想」と自身の著書で記している。

2004年に金本知憲を4番に据えてから好不調にかかわらず5年間一度も動かさなかった。これについては、金本が「休まず試合に出るチームの柱」という岡田の考える4番打者にふさわしい選手だからであるとしている。金本は不動の代わりに、今岡の打順はその年によって変えた。


バントについてはただ、一死を与えるだけとして緒戦での戦法としては否定的に語っていたが、1回から結構バントを多用した。考えればJFKがいたのである。相手監督は言っていた「6回までに1点でもリードしてJFKを出さない展開に持ち込まねば」と。

状況によって持論も変える、それが確率であると思う。


それししてもJFKは岡田の芸術作品と思っている。

ジェフ・ウィリアムスは星野の時は抑えであった。岡田の2004年は藤川も久保田(ジェフがオリンピックで抜けて抑えを任された)も先発で成績を残していなかった。

05年、FJKの順番だったと思う。7回Fが出て来て相手の反撃を断ち切る、Jがつないで、Kに。いずれも速かった。JFKは大きく優勝に貢献した。先発で伸びなかった球児を短いイニングでの転向が成功したのである。ジェフはハートもよく、私の好きな投手であった。ピッチングコーチに使ってはどうだろう。


岡田は1試合はオーソドックスに戦った。何より1年間の戦い方を知った監督であると思っている。2008年はオリンピックで藤川、新井、矢野が抜けてその後も調子を崩したのが痛かった。オリンピックがなかったら優勝していた。一時18.5ゲーム開いていたのに優勝を逃した責任を取って惜しまれてやめた。私はカムバックを待っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る