第13話 三顧の礼で迎えた監督は

久万オーナーは野村には対して、「今まで球団が監督要請をした中で、私が直接出てきてお願いするのは野村さんが初めてです。野村さんは球界の第一人者。あなたの右に出る者はいません」と、そう熱っぽく語ったという


その大監督をしても3年間6位であり続けた。野球は監督がするものでなく選手がするものであることを証明した。中心選手であった新庄、桧山もホームランは20本打ったが、三振の多い低打率であった。大砲として中日からトレード取った大豊も守れるのがファーストしかなく、外人選手と競合して、使用方法を巡ってトラブった。また今岡をあまり評価しなかった。星野になって今岡は花を開かせる。


どだい、タイガースにID野球が合うのか、私は疑問に思っていた。

やはり野村が監督として魅力を発揮したのはヤクルト時代であった。ドラフト2位で入団した古田敦也の捕手としての才能を見抜きレギュラーに抜擢、前年まで正捕手だった秦真司を外野手に、控え捕手だった飯田哲也を二塁手にコンバートした。池山を入れてセンターラインが出来、3人の捕手が生きたわけである。


主砲の池山隆寛や広沢克己らには、三振を減らすことや状況に応じたバッティングを指導。確かに彼らは変わった。広沢は打点王を取り、勝負強くなったし、「ぶんぶん丸」と言われていた池山はアベレージヒッターになった。3,4の中心バッターが出来たわけである。古田が打力もつきこれに加わる。


あとは、投手陣である。高津臣吾に「日本を代表する抑えになれ、西武の潮崎(哲也)のシンカーを参考にしてシンカーを投げろ」と助言し、その成長を促した。新人の伊藤智仁、カムバック賞を受賞した川崎憲次郎、他球団から移籍してきた新浦壽夫、角盈男、金沢次男らは中継ぎ投手としてうまく使い、1995年は、成長した石井一久がエースとして加わり,整備されていった。また、広沢がFAで抜けた穴は、阪神を自由契約になっていたトーマス・オマリーを獲得。


9年いて、4回優勝、3回の日本一、やはり球団と合っていたというしかない。面白いことに1位の翌年は必ず4位というのはどう理解したらいいのだろう。必ずしも常勝軍団でもなかったのである。4位にどこを手直ししたら1位に戻れるのか、そこがID野球だったのではなかったか。それとヤクルトで大監督に成りすぎた。ヤクルトの最初の頃は5位、3位、1位と手順を踏み選手と一緒に汗を流したのではないか。

どうも阪神では選手を小馬鹿にした言動が見えて好きではなかった。


後年、宮本信也のインタビューを受けた雑誌での記事である。


自身の監督時代を振り返り、「ヤクルト時代に燃え尽きちゃいました」と明かした野村氏は、「監督になる以上は日本一になりたいという想いでやりましてね。日本一になったところで全て出し切ったような感じになってホッとしちゃって」と続けるや、「阪神時代は?」という質問には「阪神の時は最悪」とキッパリ。


テレで言っているのであろうが、「燃え尽きて」タイガースに来られちゃー、いい迷惑だ!

阪神がずっと弱い原因は、虎番記者だと言っている。選手に嫌われたら取材できないので選手をヨイショする、と語っている。これは異議なしである。6位3年では新聞に随分叩かれたのと思う。


6位3年でも三顧の礼で迎えた監督である。球団は来季もと考え、野村もその気であったが、サッチーこと夫人が脱税事件を起こして退任になった。私はバンザァーイ!と手を挙げた。

それでも、捕手の矢野を一人前にし、新庄が抜けた穴に赤星を抜擢、投手井川を使い、浜中も頭角を現し始めていた。財産は残していってくれたのである。

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