第12話 名球会選手も監督哀れ

藤田平は阪神タイガースの生え抜き打者でありながら名球会入りした唯一の選手である。中村勝広監督の要請で1995年、阪神の二軍監督に就任。中村監督の途中休養に伴い、同年のオールスター後は代理監督を務めた((53試合17勝36敗 勝率.321)。翌年監督に昇格、阪神の再建に取り組んだが、長谷川平蔵をもじった「鬼平監督」と呼ばれるほどの熱血指導が主力選手やフロントの反感を買った。成績不振により9月13日から休養(117試合48勝69敗 勝率.410)。監督代行は柴田猛。 確かに成績はよくない。でも、なぜ残り試合わずかな時点でと思ってしまう。シーズン終了をなぜ待てなかったのか。監督の技量、53試合も見たらわかりそうなもの。いい選手だったが、私は指導者には不向きと見ていた。ここにもスター監督偏重主義が見える。 同年9月12日に藤田は急遽球団事務所に呼び出され、三好一彦球団社長から監督解任を通告された。しかし藤田はこれを不服として久万俊二郎オーナーとの面会を求めるものの応じられず、延々の話し合いの末解任を受諾した。フロントは藤田がすぐに解任を承諾するものとして夕方から「辞任に関する記者会見」を行うと報道陣に通知していたが、話し合いが延びたために「本日(12日)中の会見ができなくなった」と異例の発表が行われたという。いかにフロントが自チーム出身の監督を軽く見ているかが分かる。 阪神で唯一2000本打ってこれである。 解任の理由になったのが前年オフの11月19日、新庄剛が契約更改交渉後会見「野球に対するセンスがないって見切った」と突然の引退宣言を行った。センス云々は口実でシーズン中に藤田監督との軋轢があった。人気はあったがいまだ大した成績を上げていない新庄にしてこれである。藤田続行なら新庄は辞めさすか、ほかに出すべきである。藤田に監督の適性がないと思えばこの年で辞めさすべき。だって、あくまで代理監督であったのだから。いつもその場しのぎしかやらないフロントの醜態である。 これ以外、藤田監督については書くことはない。そもそも最初から監督にすべきでなかったのだから・・中村でその年は最後まで行くべきであった。その間に次の監督人事をじっくり煮詰めるべきであった。中村なんのための5年だったのか?

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