第7話 ベンチがアホやからと言われた監督は名コーチ
言ったのは、かの「エモやん」こと江本孟紀であった。これも世紀のトレード(どうもプロ野球界は世紀が好きなようである)と言われた江夏とのトレードでタイガースにやって来てエースとして活躍していた。言われたのは伝説のホームラン王「太さん」こと中西監督であった。この発言で槍玉に挙げられたが、監督としてAクラス6回(リーグ優勝1回)の実績を持つ。何より打撃コーチとして数多くの強打者を育てた手腕は特筆される。近鉄ヘッドコーチ時代、1988年と劇的なリーグ優勝を果たした翌1989年における仰木彬監督との名コンビによる活躍はまだ記憶に新しい。なんぼ口が悪いエモやんであっても、球界の大先輩に向かって失礼極まりないと思うのであるが、実際はどうであったのか? 当時のポーツ新聞のトラ番キャップが振り返ってこう語っている。 「中西太監督とも藤江投手コーチとも合っていなかった。不自然な降板だったから、すぐに若手記者をベンチ裏へ行かせた。そこで“あいつらアホやろう。オレの言うこと分からんのやから。野球できへんわ”と言ったと聞いた」 それで「本当に言ったのなら書いていいかと訊くと、江本はああー、ええよ」と答えたというのである。 新聞が出た当日、大阪の球団事務所に呼ばれ、岡崎球団社長(当時)から「10日間の謹慎」を告げられた。「この時期に10日何もしなければシーズンは終わる。辞めろといわれたのと一緒。じゃあ辞めます」となった。押し問答の末、岡崎社長が留意するも任意引退届に三文判を押して、通算11年113勝の江本のプロ野球人生はあっけなく幕を閉じた。もっとも、この年4勝6敗で限界を感じていたのかもしれない。 その後書いた『プロ野球を100倍楽しむ方法』がヒットし、名前も売れ、国会議員にもなりあの発言で一番得したのは江本であった。 一方中西監督は5位、3位で終わっている。阪神の監督を最後に、監督をしていない。それよりも、前出のように、コーチとして指導者として慕われ成功している。
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