I love you. But I love you.


 少し焼けた筋肉質のそれは、彼女との出会いだ。


「ねぇー、アイス食べたくない?」

「外に出たくない」

「食べたくない?」

「あれば食べる」

「仕方ないなぁ」


 買ってくるぅ。絵梨が腰を上げると、きれいな腿が視界の端に入り込む。私と絵梨の架け橋になった腿。彼女にとってはとても大切で、でも要らなかった腿。


 絵梨を初めて見たのは夏だ。忘れもしない、あのひどく朦朧とした日。

 陽に刺されてかげろうのようだった私の目には、あたかも彼女が蝶か鳥か、そうでなければしっかとそこに根を張る花のように見えた。

 美しかった。実体のある絵梨はその時から私にとっての羨望で、渇きを潤す水になる。


 雑草と金網を隔てて遠く、彼女はいた。その日は陸上部がグラウンドを使う日で、テンポよく鳴るホイッスルが遠くに心地良かった。

 七月の末、夏休み。お盆前のミーティングだと言うから、幽霊で通していた文芸部に顔を出す。出したは良いけどこれと言って特筆するようなこともなくて、背中に張り付くブラウスとうざったく伸びた前髪が腹立たしかった。

 私は目立たない生徒だ。目立つ理由も利点も無い。ひっそりと、もやもやとそこに居る。それで良かったし、それを望んでいた。

 揺れるアスファルトを眺めては、平坦な家路に阻喪する。毎日の恒例行事。


ピッ。


 陽と一緒に、ホイッスルが私を刺す。聞き慣れた音であるはずなのに、その一つだけが器用に鼓膜の奥を震わせた。

 緑の網の向こう側で絵梨が飛ぶ。白線を出てから砂に着地するまでの一連の彼女は、流麗が過ぎて私を錯誤に叩き落とした。


(流れる固体だ)


 流れていく絵梨の横顔。髪の毛、胸、そして腿。弓なりのそれらは、それぞれがきちんと機能している。もやである私とは正反対に眩しく清く、しっかりと影ができていて少し恐ろしい。

 足を止めてしまった私を、今度は絵梨の双眼が刺した。その双眼ですら弓なりだ。きちんと機能している。

 白さに焼けて微笑んだ絵梨は、それ以降私を掴んで離さない。


「聞いてるー?」

「え?」

「だからぁ、ミルク系かシャーベット系か、どっちー?」


 財布を握って語尾を伸ばして、のんびりと首を傾げる。絵梨は全部が弓なりで柔らかい。


「なんか柑橘系。カップのやつ」

「はいよー」


 行ってきまぁす。玄関ドアが重たい直線を以て、彼女と私を断絶した。

 暑い。絵梨が私に初めて涙を見せたのも、こんな風に暑い日だった。


 絵梨の陸上選手としての能力は高く、そのバネは県内外に轟いた。

 けれどあの夏、その強さが壊れてしまった。膝を故障した絵梨は、陸上を断念せざるを得なくなった。


 「居場所が無くなっちゃった」


 すぐ横から聞こえた声は、強すぎる光で白線の上に焦げ付いた。干からびてしまいそうな丸まった背中は小さくて、果たせる哉弓なりだった。この柔らかさを守りたい。


(私の靄でなら、この子を覆える)


 この光から守ってやれる。どこか別の場所へ連れて行ってやれる。

 あの夏の暑い日。初めて見た空は青く高く遠く、絵梨にだけ見えていた空だ。ちょうど今日のような日、彼女は崩れて私が起きた。

 青さに打たれて立った私は、それ以降彼女を掴んで離さない。


 白く縁取られた空はあの日と同じ色をして、あの日より少しだけ近い。

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