ただそれだけ

津久美 とら

ただそれだけ

<父の場合>

 庭の桜が咲いた。ここのところずっと暖かい日が続いたから一気に咲いた。

 三〇年前に植えたソメイヨシノは最初の二年ほどはせいぜい二つか三つしか花がつかなかった。病気もしたし、虫も付いた。そのたびに私はあれやこれやと世話を焼いたものだ。娘と同じように。

 今となっては殆ど何もしなくても、春になれば花を咲かせる。


 庭の桜を見る度に、娘のことを思い出す。

 十五年前なぜ娘が死んでしまったのか、いまだに私は分からない。妻や息子は何か知っているのだろうが、わざわざ聞き出すことは今も昔もしなかった。


 娘はどうしているだろう。

 もう他の家の子として生まれ変わっただろうか。それとも動物か、植物か。あるいは解脱して天上人となっただろうか。

 もし賽の河原でまだ石を積んでいたら、どうか神様仏さま、いい加減許してやってほしい。あの子は悪くない。私たち両親も、先立った娘を恨みもしないし怒ってもいないのだから。娘の死を罪として罰しないでやってほしい。

 桜が咲いて、娘を思い出す。毎年、私の春はそれだけだ。



<母の場合>

 今年も庭の桜が咲きました。

 三〇年前に産まれた娘に因んで、夫が植えたものです。虫が湧いたり葉っぱが散ったり病気になったり。最初の頃こそ夫は甲斐甲斐しく世話をしていましたが、娘が小学校中学年になるころにはもう何もしなくなりました。

 大きくなって手間がかからなくなったこと。息子が産まれたこと。夫が昇進して忙しくなったこと。理由はいろいろあるでしょうが、男性というのは大抵の場合において「釣った魚に餌はやらない」ものだそうですね。

 ご近所さんが嘆いていました。

「結婚する前は、他の男よりも尽くしてくれたのに」

 私は夫以外の男性とお付き合いをしたことがありませんから分かりませんが。


 夫が何もしなくなってからは、私が世話をしてきました。庭の桜も、娘の事も、息子の事も、家の中の事も。

 娘が死んで十五年。

 息子は娘と二つ違いですから、今二十八歳です。社会人もようやく板についてきたようで安心しています。早くお嫁さんをもらって、孫の顔を見る事が私の今後の楽しみです。

 娘が死んだ理由を夫はおそらく知りません。


 あの子は自分の顔を嫌っていました。

 私に似たのは肌の色の白さと、ふわふわと柔らかな程よい髪質だけです。他は全部夫にそっくりでした。小さな目、真ん丸な鼻、厚ぼったい唇。エラの張った輪郭や短い脚まで夫にそっくり。

 それを悲観したのでしょう。十五歳と言えば多感な時期です。思えばニキビにも悩んでいたようでした。きっと、同級生に色々とからかわれたのではないかと思います。

 でも私は学校にも夫にも息子にも、そのようなことは言いませんでした。だって、それが理由で息子が学校で不利益を被ったらどうします? 夫に悪口と捉えられて離婚やDVでもされたら? 夫よりも私に似て産まれてきた息子が、責任を感じて心を病んでしまったら?

 夫に一方的な暴力を受けたり離婚をされたり、娘に続いて息子まで早くに亡くしたりするような、悲しい人生はまっぴらごめんです。だから私は何も言いません。


 庭の桜が咲いたから、五月の節句の準備をしなくちゃ。

 ああ、早く孫の顔を見たい。

「可愛いお孫さん! 羨ましいわあ」

 ご近所さんはきっとそう言って、心底私を羨むでしょう。

 私にとって春は端午の節句の季節。それだけです。



<息子の場合>

 桜が咲いた。

 毎年のことだし、桜なんだから春に咲くに決まっている。だから俺は大して気にしていない。母さんは虫がつくだの庭の掃除が大変だのと言っているけど。

 この桜は姉が産まれたときに親父が植えたらしい。俺の時は特に何も植えなかったけど、記念にベンツを買った。Cクラスの、最早旧車と言っても良いようなそれを、親父は今も大事に乗っている。

 母さんも親父も、姉の死んだ理由を知らない。


 姉はいわゆる中二病だった。

 ヴィジュアル系バンドに傾倒して、ゴスロリだのパンクだの、退廃的で反骨的なものを好んでいた。そういう『他とは違う自分』が好きだったのだ。左手首をカッターでうすーく切っては大仰に包帯をしてみたり、ものもらいでも無いのに眼帯をしてみたり。

 そんな見た目にも分かりやすいことですら、母さんも親父も気づかなかった。姉がそれらを家の中では見せなかったからだ。毎日玄関を出てから包帯を巻き、眼帯をした。

 ヴィジュアル系バンドのCDやポスター、ゴスロリ『ぽい』服やパンク『風の』服なんかは俺の部屋のクローゼットに仕舞われ、姉の友達が来た時だけ引っ張り出されていた。

 どうしたらいいか分からないから、それらはまだそこにある。正直言って邪魔くさい。


 姉は中二病特有の『気づかれたくないけど気づいてほしい』という面倒な葛藤を抱えていた。

 結局誰にも気づいてもらえず、中学校の三階の窓から飛び降りて死んだ。三階から飛んで本当に死ぬだなんて、きっと本人も思っていなかったのだろう。頭から落ちて、打ちどころが悪かった上に、発見されるまで1時間以上かかった。

 最後まで「気づいてもらえない」人間だった。だから遺書も何も残されていなかったし学校もいじめの有無を調べなかった。

 事実、姉はいじめられていなかったし、からかわれてもいなかった。今で言うところの「陰キャ」と位置付けられていただけだ。

 母さんは学校に

「本当に不出来な娘で。ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ありません」

 と菓子折りを持って平謝りに謝った。よくもまあ自分の娘をそこまで卑下できたものだ。


 俺は姉に対して

「死ねてよかったね」

としか思っていない。今も、昔も。

 こんな家庭でこんな世の中を生きていくくらいなら、早々に死んだって構わない。むしろ先に死んだ者勝ちだ。

 残されたこっちはどれだけ死にたくても、見張りがきつくてそう容易く死んだりできない。母さんの俺への期待度を考えると尚の事だ。

 俺まで死んでしまったら、母さんは気が狂うか、さらに悲劇のヒロインを気取るに決まっている。

 俺はさっさと死んだ姉が羨ましい。姉の分も生きなきゃならないこっちの身にもなって欲しい。

 それだけだ。



<娘の場合>

 今年も家の桜が咲いた。

 あたしが産まれた記念にお父さんが植えてくれた桜。それに因んで、あたしは佳乃よしのと名付けられた。12月産まれなのに、ソメイヨシノに因んで佳乃。

 お父さんは子供が出来たら桜を植えると、ずっと昔から決めてたらしい。だったらセックスの時期もちゃんと逆算すればよかったのに。

 その佳乃が未だにこの家に居着いていることを、家族は誰も知らない。まあ家に、というよりこの桜に憑いているわけだけど。だって家自体は嫌いだもん。

 あたしが死んだ理由も、家族は誰も知らないはずだ。だって遺書なんて残してないもん。


 熱しやすく冷めやすいお父さんのことはもちろん嫌いだった。

 「ああしてやった、こうしてやった」

 って昔のことを引き合いに出すけど、現在進行形では何もしない。今だってきっと、この桜を見ては勝手に感傷的になってあたしを思い出しているんだろう。


 あたしの見た目を嫌っているお母さんも嫌いだった。

 でも見た目なんてものは成長と共に変化するし、化粧や整形でどうにもなることくらい十五年前のあたしだって分かっていたから、お母さんが悲観するほどあたしはあたしの見た目を嫌ってなかった。


 弟は見た目も成績も要領も、あたしより遥かに良くて、やっぱり嫌いだった。

 上の子供を見て育ってるんだから、成績も要領も良くて当然なんじゃない? 見た目は良かったねと思うけど。そもそも男の子はお母さんに似るって言うし、化粧も整形も女の人に比べたらなかなか受け入れてもらえないと思うから。


 確かに学校では目立たなかったけど、別に目立ちたくなかったし。いじめも無かったから苦痛でもなかった。だからお母さんの推測は間違ってる。

 死に場所に学校を選んだのはただそこそこの高さのある建物だったから。普通のビルに中学生は簡単には入れない。


 ビジュアル系バンドが好きで、その影響で死んだと弟は思ってるみたいだけど、それも違う。V系とかゴスとかパンクとかは、その時話しかけて来てた子がそういうの好きだったから、付き合ってただけ。手首の包帯や眼帯もそう。その子が

「一緒にやろ! おソロにしよーよ」

 なんて言ったから。

 実際にリスカしたことなんて一度もない。「おソロ」の発音がぎこちなさ過ぎて、流行り言葉なんて使い慣れてないけど頑張って使ってるっていうのが見え見えだった。

 その子はあたしの葬式でワンワン泣いて、あたしの遺体に縋って

「アイラブユー、ゴッドブレスユー」

 って、どっかのラノベで仕入れたらしい言葉を何度も何度も囁いた。

 今はサラリーマンと結婚して、子供産んで、パートで働いてるみたい。ゴッドブレスユー。


 あたしが自殺したのは、死んだら異世界とか天国とか地獄とかに行けるかなって思ったから。

 ここじゃない世界に転生して、魔法とか使えるようになったら楽しいかなって。思うじゃん、誰でも一度は。あたしは転生しなかったけど、他の人はしてるかもしれないし。何か条件とか共通項があるのかもしれないし。わかんないけど。

 でもとりあえずあたしは転生もせず異世界にも行けず、ここに居る。死ぬ前にその可能性だってもちろん考えた。でも、まあいっかって。

 生きてて特別楽しいわけじゃなかったし、今後楽しくなるとも思えなかったから、死んでどこでも良いから違う世界に行く方に賭けた。だから死んだ。

 ただそれだけ。

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