巻の拾漆 白咲萍水 ────大正

 初めて命に触れたその時を、鮮明に覚えている。暗殺を終えたあとに、唯一生き残っていた赤ん坊。

 すやすやと寝ているその子に触れた時──なんて事をしてしまったんだと、心の底から後悔した。

 それからあの子がどうなったのかは、もう分からない。……あそこから脱走する時に、置いていってしまったから。もしかしたら、僕と同じように暗殺者として育てられているのかもしれない。


 あれからおよそ二十数年。僕は義肢装具士として生計を立てていた。

 偶然知り合った縁詐虎遠えんさこおんという男から紹介された、黒張こくばりの人間から教わった技術。

 白咲とは真逆の『人を生かす錬金術』は、僕によく馴染んだ。移住を決めた町も、素性の知れない僕を受け入れてくれた。

 装具士としての名前も売れ始め、ささやかながらも普通の人間らしい幸福を受け入れていた時。

 僕は『彼女』に出会った。


 それは何やら物々しい雰囲気の、黒スーツの男からの依頼だった。

 彼曰く、こちらには事情があるから極秘で受けてほしいと。……僕自身もあまり人には言えない出自だ。そう言う事もあるだろうと二つ返事で了承した。

 そして案内された病室に『彼女』はいた。

 腰まである艶やかな黒髪と、紅玉ルビーのように赤い瞳。まだ十歳らしい彼女は、その頃から怪しい魅力を備えていた。


「……やあ、初めまして」


 笑顔を作って挨拶をするが、返事は無い。まあ、無理もないだろう。

 彼女には両足と左腕がなかったのだから。しかも生まれつきではなく、ついこの前誘拐された先で無理矢理らしい。

 ……こんな小さな子に、惨い事をする。


「…………」


 若干怯えていたので、害意が無い事を示すためにしゃがんで目線を合わせた。


「私は白咲萍水しらさきへいすい。今日から君の義肢を作る、義肢装具士です。これからよろしくね」


「…………ぎし?」


「そう。代わりの腕や足の事だよ」


「代わりの……」


 その瞳に涙が滲む。……受け入れられないのも、仕方がない。


「大丈夫。流石に元通りとはいかないけど、ちゃんと真心を込めて、作らせてもらうよ。だから、私を信じてほしい」


 僅かに頷くのを見て、ひとまず安堵した。子供の義肢を作るのは初めてだけど、今まで以上に本気で取り組もうと思った。


「金はこれで足りるか?」


 彼女の父親から提示された金額は、今まで見た事もない大金だった。


「こっ、こんなに……」


「無論口止め料も含めている。この事は他言無用だ。いいな?」


「……分かりました」


 これはあとから知ったが、今回の依頼主である瑛考寺えいこうじ家は、日本でも有数の財閥だったらしい。だとしたら、あの程度は端た金なのだろう。

 それに若干恐怖を感じながらも、僕は彼女の義肢の作成に取り掛かった。


 そんなある日、病室に向かおうとすると、彼女の両親が言い争う……と言うより、一方的に奥方が怒鳴っている場面に遭遇した。


「もう嫌! あの子の痛々しい姿を見ているだけで、気が狂いそうで……! それにあの化け物みたいな赤い目!! ……あんな姿になってしまうくらいなら、あの子を──」


 父親が頬を叩く。涙を流す奥方にきっぱりと告げた。


「いい加減にしろ! そんなに叫んだら迷惑だろう! もういい、私は知らん」


 こちらを振り向いて、少しだけ驚いた顔をしたものの、彼はそのまま行ってしまった。奥方も嗚咽を漏らしながらそれに続く。

 それに若干の胸糞悪さを感じながら病室の扉を開けると、彼女は右手で顔を覆い隠して泣いていた。……確かに、あれは聞こえない方がおかしい。


「ひぐっ、ぐすっ……」


 彼女にかける言葉が見つからずにただただ突っ立っていると、僕に気付いた彼女が顔を上げた。


「……私、最初からいらない子だったの? 生まれてこない方が良かったの?」


 その言葉に胸が締め付けられる。いつかの赤ん坊を思い出す。


「……………………」


 散々迷って、僕はこう言った。


「……僕にも、それは分からないよ。でも、自分で自分を必要としてくれる場所を作る事は出来る」


「……?」


「錬金術師になるんだ。今、錬金術師は引く手数多だからね。だからいつか──、誰かが君を必要としてくれるかもしれない」


 そして僕は彼女の人生を一変させてしまう言葉を言った。



「君がそれで良いと言うなら……僕の弟子になってほしい」



「あの子を、引き取ると?」


 彼女の返事を聞いたあとに父親にその事を申し出ると、やはり渋い顔をした。


「はい。私の養子……弟子として、あの子を引き取らせてください」


 深々と頭を下げる。誰かのためにここまでするのは初めてだった。


「そうか。……ならば五百円を用意してから出直してもらおうか」


「五百……!?」


 提示された金額に仰天する。サラリーマンの初人給が五十円から六十円の時代だ。

 流石に僕の義肢や、最初に支払われた金額と比べても程遠い。


「用意出来なければそれだけの話。その額が出せる場所に出すだけだ」


「……っ、分かりました」


 僕は腹を括った。彼女を引き取ると決めた以上、こんな事で諦める訳には行かない。


「一か月後、ちゃんと持ってきます」



 それから僕は、必死に金をかき集めた。

 抱えている仕事を全部終わらせて、煙草や酒を一切絶ち、色んな人物に頭を下げて借金をした。

 誰もがいつもぐうたらな僕の変わりように驚いていたが、僕にはそれ所じゃなかった。どうしても、彼女を救いたかった。



 一か月後。僕は約束した五百円を彼に叩き付けた。


「これで、いいですよね?」


「ああ。確かに受け取った。しかし、最早役に立たないと思っていたが、端た金程度にはなったか。まあ良いだろう。アレで良ければ好きに使えばいい」


 その言い草に一瞬で腸が煮えくり返った。それが、親の言う事か?

 親のいない僕でも、それだけは絶対に駄目だと言える。


「……を渡すまでは貴方の子だったかもしれないが、今のあの子は僕の弟子だ。人の弟子を侮辱しないでいただきたい」


 今すぐにでもその顔を殴りそうなのを我慢して言うと、彼は僕を一瞥しただけでその場を去っていった。


 彼女を本格的に引き取り弟子とした僕は、まず彼女の術師名じゅつしめいを決めようとした。

 僕は師匠に勝手に名付けられた自分の術師名じゅつしめいにかなり不満を抱いていたので、彼女にはちゃんと希望をしっかり聞いてから決めようと思い尋ねた。

 すると、彼女は少し考えてから言った。


「……今とは全く違う名前がいいです。漢字の数も、読み方も何もかも。術師名じゅつしめいを聞いただけでは、誰も私だと気付かないように」


「……分かった。いい名前を考えるよ」


 そっと彼女の頭を撫でる。


 その後、散々頭を悩ませてようやく決めた名前は、『立華りつか』だった。

 しっかり自立して、一輪の華のように誇り高くいられるように。

 その名前を提案すると、彼女は──立華は初めて僕に微笑んだ。

 それがとても嬉しくて、立華を一生大事にしようと決めた。


 ──まさか数年後、彼女を復讐に走らせてしてしまう事件がある事も知らずに。


 大正アルケミスト復讐譚に続く

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