巻の拾参 滝守宗之司 ────明治
妻が死んだ。殺された。仕事で留守にしていた間に。
およそ人とは思えぬ姿になり果てていた。
妻だったものの横でただ呆然としていると背後から誰かの声が聞こえた。
「それは、お前がやった事か?」
「……違う。家に帰ったらこうなっていた」
「誰がやったか分かるか?」
「……分からない」
「仇を、取りたくはないか?」
「……?」
ようやく振り向いて、相手の姿を見る。
自分より、一回りも二回りも立派な巨躯の男だった。歳はおそらく三十代か。短く刈り揃えられた黒髪。軍服に似た格好。見るからに堅気ではないが、かと言って警官や軍人でもないだろう。
特に目がそう語っていた。左は眼帯をしているが、右の赤い目が明らかに常軌を逸していたからだ。
「復讐こそが、人間の本能だ。無論、復讐を成し遂げたところで二度と喪ったものは戻らない。……だがな」
男は、私へ手を伸ばした。
「だからと言って、そのまま諦めるのか? 踏み躙られたままの命を置いていくのか? 憎しみを抱えたまま死ぬつもりなのか? ──砕かれた尊厳を、もう一度取り戻したくはないか?」
その選択が、正しかったのか。今でもそれは分からない。
しかし、それでも私は男の手を取った。
男は
組織には私のように大切な人を殺された者から、自身が死ぬ直前まで追い詰められた者までいた。
年齢層は、まだ成人もしていない少年少女から初老を迎えたと思しき人まで。
山奥にある屋敷で、三十人ほどが集まって暮らしていた。
最初の集会で、全員が集まっている中で顔見せをした。
「紹介しよう。新しい仲間の
頭を下げると、こちらに注目する人々の中から一人の少女が駆け寄ってきた。
「大変だったね。苦しかったね。でも、もう大丈夫。私達で絶対に不死者を殺そう。……奥さんの仇を取らないと」
少女の顔が、あまりにも妻に似ていて。
私は涙が零れた。
組織の一員となった私は、まず戦闘訓練を受けた。
銃やナイフ、格闘術に剣術。どれも、私の人生には関わりが無かったはずのものだ。
不器用で運動も苦手な私に、全員が優しく教えてくれた。その中で、一番に寄り添ってくれたのが例の少女だった。
少女の名は
母を亡くし、父と二人暮らしだったところを不死者に襲われたらしい。
「お父さんがね、私を庇ってくれたの。私が隠れてた戸棚の前に立って、どんな酷い目に遭っても絶対にどかなかった。……お父さんがいなかったら、私は今ここにいなかった」
訓練終了後、私の隣で水を飲みながら少女はそう語った。
「だからね、私は決めたんだ。もう二度と、お父さんみたいな人を、私みたいな子を出さないために戦おうって。あの時、お父さんが守ってくれたみたいに、私も誰かを最後まで守り抜こうって」
「……そう、か」
「滝守さんも同じ気持ちでしょ?」
「そうだね」
頷いてみたものの、何処かに違和感のようなものを感じていた。
本当にそれでいいのか? 父親が命を懸けて生かしてくれたというのなら、本当に君がやるべき事は──
そう切り出す事は、二度となかった。
一か月後に少女が死んだからだ。
遺体は帰ってこなかった。理由を聞くと、自爆した不死者に道連れにされたらしい。
遺品や遺言すら無いと、共に行った仲間が泣くのを遠くから見ていた。
気分が沈んだまま部屋に戻ろうとすると、仲間の一人が白い封筒を持ってきた。
「これ……あの子の遺言状。貴方宛てよ」
「……私、に?」
「そう。私達は中身見てないから。……差し支えなければ、あとで内容を教えてね」
部屋に入り、封筒を見る。確かにその遺書の宛先は私になっていた。
開封して手紙を開く。
──────
拝啓 滝守宗之司様
貴方がこれを読んでいる時、私はもう他界したのでしょう。
後悔はありません。きっと私は、最期まで戦ったと思うから。
本当はこんな遺書も残す予定はありませんでした。
でも、貴方には言葉を送りたかったので、この遺書を書きます。
滝守さんは、私の父にそっくりでした。
最初に出会った時、本当に父が来てくれたみたいで。
気が付いたら貴方の手を握っていました。
もちろん、貴方が父ではない事は分かっています。
でも、とても嬉しかった。
貴方に優しくしてもらうたびに、父を思い出しました。
貴方の笑顔を見るたびに、父の顔がよぎりました。
貴方と会えて本当に良かったと心から言えます。
だからどうか滝守さん。貴方だけには
──────
「復讐なんて危ない事はやめて、笑って生きていてほしい……」
その一文を読んだ瞬間、涙が溢れた。
そうだ。私が君に伝えたかったのは、そんな単純な事だった。
誰だって、自分が死んだあとも大切な人に生きてほしいと思うはずだ。
ましてや、自分の復讐のために死地へ飛び込むような真似などしてほしくないはずだ。
どうして、あの時それが言えなかったのか──
「……うっ、うう、うううっ……」
声を押し殺して泣く。後悔に胸が張り裂けそうになる。
私は二度も、大切な人を喪った。
その後、私は一人だけ不死者を殺してから組織を去った。妻の仇だ。それだけは流石に譲れなかった。
深夜のうちに黙って去ったが、誰にも咎められる事はなかった。
……もしくは、全員気付いた上で見逃してくれたのかもしれない。
誰も彼もが復讐に目が眩んでいたが、それでも善良だったから。
私も、狂うべきだったのか。
今となっては、最早誰にも分からない。
大正アルケミスト復讐譚 第十三話に続く
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