巻の拾弐 弓季歌雫夜 ────明治

 これは昔々、稀代の悪女のお話。


 悪女は、『美女』の価値を分かっていた。そしてそれを使いこなせると知っていた。

 悪女の美貌は一際群を抜いていた。同時に頭脳も。香司こうしの家系に生まれた悪女は家の技を悪用し、美貌と共に他者を操る術にした。


 そしてこの世を謳歌した。

 男は全てを貢がせるモノで、自分以外の女は惨めで哀れなモノだった。

 結婚を匂わせても籍は入れなかった。関係を持っても子はさなかった。

 そんな事をすれば美貌が損なわれてしまうと知っていたから。


 衰える前に毒を呷り死ぬのもいいと思っていた。そう、何時か博識な男が語った、遥か彼方の女王のように。

 自分を、他者を利用しつくして星のように輝き果てる。美しいまま終わらせる。

 美人薄命というように、そう死ぬと──


(思って、いた、のに)


 悪女は泥に塗れながら這いずっていた。雨と汗で化粧はとうの昔に剥がれている。

 塗られた爪は土に喰い込み見る影もない。着物も汚れ、はだけている。腹部からは血が流れ続け、体は激痛に苛まれている。


 不意打ちだった。気付くはずもなかった。死角からの、包丁を持った女の一刺し。

 恋人だか旦那だかを取られた女の、復讐の執念による一撃が悪女を殺そうとしていた。


「……たくない。死にたくない……! ……死んで、たまる、もの、ですか……!!」


 見るも無残な姿になってなお、悪女は生を求めた。かつて美しく死ぬ事ばかり考えたのにも関わらず。

 それもそのはず。痴情のもつれで死ぬのは悪女のプライドが許さなかった。

 しかし、そこは人気のない路地裏。悪女を助ける手もなく、そのまま死ぬ


「お、おい、そこの君! 大丈夫かい!?」


 そのはず、だった。



「…………はっ!!」


 悪女は目を覚ますと、起き上がって辺りを見渡した。

 見知らぬ天井。見知らぬ部屋。見知らぬ服に見知らぬ寝台。

 見る物全てが目新しかったが、漂う消毒液の臭いが極楽でも地獄でもない現実だと知らしめていた。


「……ああ、良かった。無事成功したね」


「っ!」


 咄嗟に体を抱いて庇う。男の声が聞こえたからだ。男は利用するモノだったが、同時に制御の効かぬ獣でもあったから。

 こんな無防備な体で出会うのは怖かった。


「ごめんなさい、怯えさせてしまったかな。に遭って怖かったと思うけど、安心してほしい。詮索するつもりはないし……、そもそも私も君に説明しなければならない事もあるし」


 男は安心させるように話しかけると、その隣にある椅子に座った。

 悪女は男の全身を見て考える。今まで悪女に言い寄ってきた男達の中では中の下程度の顔。白衣を着ているから、医者だろうか? だとしたらここは病院か。話しぶりからして悪女を助けたのはこの男らしい。


「その……、ありがとうございます。なんとお礼を言っていいのか……」


 しおらしく礼を言う。例え初対面が泥塗れだったとしても、今が化粧をしていない素の顔だとしても、女としての武器は忘れない。


「いいんだよ。それに……どちらかと言えば非難される立場だからね」


「……はい?」


 申し訳なさそうな顔をしながら、男は悪女にこう語った。

 悪女は今、『不死者』という状態にある。不死者は文字通り死なず歳を取る事もない。まさに人間から外れた生命体。


「君の『死にたくない』という声を聞いて、許可を取る前に処置を行ってしまった。人間として死ぬ権利を奪ってしまった。……誠に申し訳ない」


 深々と頭を下げる男の前を前にして、悪女は内心昂っていた。

 不死者は歳を取らない。つまり、その美貌が永遠に続く事が保証されたのだ!!


「っ、いいえ……いいえ!」


 悪女は男の手を取り、胸に引き寄せた。

 本当の涙に瞳を潤ませて、男の目を見た。


「私に永遠をくれてありがとう……!」


 悪女は、男を愛する事に決めた。



 悪女は──女は、早速男と夫婦になった。子を生した。全ては女が望んだ事だった。

 愛も恋も知らずにそれを利用し続けてきた女だが、おおよそ人々が望むであろう愛の形を真似した。

 対する男は相変わらず女に釣り合うような美形でも、富豪でも、華族でもなかったが、それでも良かった。

 街の片隅の小さな診療所で慎ましく暮らすような。美しい姿を保ったまま家族を見守るような。

 かつての悪行三昧と比べれば、あまりにも些細な幸せを毎日噛み締めるようになった。


 だが、悪行は必ず自身に返る。


 ある日、女が家に帰った時。


 家は赤く染まっていた。

 ……男の鮮血によって。


「な、……え? あなた?」


 脳が理解を拒む。目の前の肉塊が何なのか判別がつかない。

 なのに、ああ、そうだというのに。

 鮮血の匂いだけが、頭に響いて──。


「……お前、不死者だな?」


 暗がりの奥に、黒い姿が浮かび上がる。

 その手にある鏡のようなものが女を映して赤く染まっていた。


「……だれ?」


「私達は不死者総滅隊ふししゃそうめつたい。不死者や、不死者を増やす呪術師を殺す存在だ」


 女の背後から更に声がする。


「……どう、して?」


 虚ろな声で問いかける。


「不死者は人間を殺す。何故ならば殺人要求を持っているからだ。俺達は不死者に家族や恋人、友人、あるいは自身の人生を奪われ、踏み躙られた。だからこれは正当な復讐だ。これ以上誰も犠牲にならないように、俺達はお前達を殺す」


 また別の場所から声がする。


「でも……私達、誰も殺さなかった。私も、この人も殺さなかった! なのにどうして」


「不死者の言う事を、誰が信じると思う? 遅かれ早かれ不死者おまえらは人間を殺すんだ。それが本当だとしても、だったらお前が殺す前に俺達が殺すとしか言えない」


「……ふざけないで。何が正当な復讐よ! どいつもこいつもくだらない……! ここにいる皆、今すぐ死んでしまえ!!」


 絶叫と共に意識が途切れる。

 一瞬か数時間か。気付いた頃には、家は更に赤くなっていた。

 肉片一つ見当たらなかった。

 自身の手にまとわりつく、以外は。


「い、いやああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 無様に崩れ落ちながら、床に転がるメスを取った。それで自身の首を滅多刺しにする。

 喉が何度も引き裂かれ、血の泡を吐き散らしているのにも関わらず死ねなかった。

 かつて包丁の一刺しで死にかけていたはずの女は、正真正銘不死者になっていた。


「あ、ああ」


 ようやく男の謝っていた理由を理解した。

 不死者である女には最早、愛する夫と共に死ぬ権利すらないのだ。



 自身では、到底知覚出来ないほどの時間が経った頃。女は立ち上がり、血に塗れたままとある香を調合した。

 それに火をつけ、甘ったるい煙を吸う。

 それは、かつて女が散々他者に用いていた催眠の香。


(……私は、稀代の悪女)


(散々人々を利用し、甘い蜜を啜っていた)


(老いが恐ろしくなった私は、不死者を生み出す医者に頼り、永遠の美を手に入れた)


(だけど、自分以外の女がそれを手に入れる可能性を恐れた私は……)


(彼を、殺した)


(そして……私は……)


「……ああ、まだ渉律わたりがいたわね」


(あの人の……、あの医者の子供。父も亡くして、可哀想に)


(だったら、私が引き取り育てましょう)


(そして、奴らを……不死者総滅隊ふししゃそうめつたいを殺す術を仕込みましょう)


(でも、なんのために?)


「──決まっているわ。復讐なんて下らない事に振り回されている奴らを殺すため。そうして私はこの欲求を解消するの」


 女の──悪女の顔に狂気の笑みが浮かぶ。


「私は、私のために人を殺すのよ。だって、


 呟きながら悪女は子供部屋へ向かう。

 医者の子供を利用するために。


 その後、悪女は私欲によって多くの人間を殺し──


 とある少女によって成敗される事となる。



 大正アルケミスト復讐譚 第十二話に続く

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