Seven episodes ? ────A.D.----

 魔法というものがまだ当たり前だった頃。

 とある英吉利イギリスの農村は、魔法使いの集う村だった。

 彼らの魔法は生活を便利にするためだけのものであり、人を害するものではない。

 呪術めいたものも無く、ただただ平和な村だった。


 ──あの白い髪と赤い瞳の子供が生まれるまでは。



「ねえ、何してるの?」


 癖の強い茶髪と桃色の瞳を持った少女が声をかける。その顔は何処か怯えていて、声も震えている。


「ん? ……ああなんだ、ハヤミか。別に、何もしてないよ」


 事もなげに少年は答える。白い髪と赤い瞳は村の景色に馴染まず、ぽつんと落とされた染みのようだった。


「おじさんが呼んでたよ。話があるって」


「父さんが? なんだろう」


 少年は首を傾げる。全く心当たりがない、といった顔だ。


「……あと、そ、その子はどうするの?」


 少女が僅かに震えながら少年が抱えているものを指差す。少年の腕にあるのは、血塗れの犬の死体。

 しかも大型犬で、小柄な少年には文字通り手に余るものだったらしい。犬の四肢らしきものが、足元に散乱していた。


「うん、丁度それに困っていたんだ。放っておいたら腐るよね? どうしようかな」


 けろりとした顔で少年は言った。服を汚す血も泥汚れ程度にしか思っていないらしい。


 ……その異常性に村が気付いたのは、少年が生まれた直後の事だった。

 アルビノである事ではない。彼は、呪いに近いほど強大な魔力をいたのだ。

 それこそ、近付くだけで重圧で押し潰されてしまいそうなほどの魔力を。


 子供を授かった夫婦は、隣の村々でも有名なほどに心優しき、穏やかな二人だった。

 少なくとも、こんな悪魔のような赤ん坊を生み出すほどの邪悪ではなかったはずだ。

 そんな二人だからこそ、その子供を殺す事を拒んだ。そして村人達は受け入れた。


 きっとこの赤ん坊は、魔力が強すぎるだけなのだと。育つうちに、魔力をコントロールする術を覚え、いつか立派な魔法使いになるはずだと。


 それは、余りにも甘い考えだった。少年は確かに悪魔だったのだ。


 少年が生き物を殺したのは、今手に抱えている犬が初めてではない。

 それこそ、最初は小さな虫だった。

 対象は次第に大きくなっていき、生まれたばかりの子猫五匹全てを殺した所で、初めて村に知れ渡った。

 その時点で誰かが彼を叱っていたのなら、この犬は死なずに済んだのかもしれない。

 だが、誰も──実の親ですら、少年を叱らなかった。否、


 少年が生まれたの頃から纏っていた魔力呪いは一度も弱まる事は無く、周囲を威圧し続けていたのだ。

 並の人間なら少年に声をかける前から気絶してしまい、声をかけても次の言葉を言う前に逃げ出し、二、三回会話をしただけで一生の寿命を使い切るほどの疲労を感じる。


 その中で、両親とハヤミという少女だけが彼とまともに会話出来ていた。


 ハヤミは少年の許嫁だ。彼らが生まれる前からそう決まっていた。

 だからか、少年の威圧を受けながら会話が出来た。


 そのために、ハヤミは少年の数少ない話し相手となっていた。


「ハヤミ、父さんに『後で行く』って言っておいて。を片付けないといけないから」


「わ、分かった」


 ハヤミは一刻もここから離れたいとばかりに駈け出した。少年からずっと離れた所で、詰まらせていた呼吸を再開する。


 会話が出来る、と言っても重圧を受けない訳ではない。震え、冷や汗、動悸、呼吸困難はどうしようもない。


 ハヤミは将来の結婚相手が心底怖かった。どんな生き物を殺しても何も感じず、淡々としている少年。

 思考の読めない赤い瞳が、悪魔を通り越し邪神のように思えた。


 だが、同時に少年を哀れにも思っていた。彼はただ、のだ。

 誰も注意しないから、怒らないから、叱らないから……彼には、『悪』が分からない。やって良い事と悪い事の区別すら付かない。

 だって、誰も彼に教えられないのだから。


 だからいつか、それを教えられるほどに彼と堂々と話が出来れば──そう思っていた。



 それが叶ったのは五年後、村が焼けてからだった。



 ハヤミと少年は十七歳になっていた。最初から決められていた結婚式の期日まで、あと一年。

 少年はあの日以降、自ら地下牢へ繋がれ、ハヤミは束の間の自由を手に入れた。

 少年の心境に何が起こったのか、村の人々も両親も、ハヤミすら掴めなかった。

 ただ、それでようやく村に平和が訪れたのは確かだ。


 ハヤミは少年に対して若干の後ろめたさを感じつつ、それでも自由を喜んだ。

 他の村にも気軽に遊びに行けたし、その気になれば町だって行けた。

 こんな平和が続けばいいと、誰もが願っていた。


 ただ、一人を除いては。


 ある日、ハヤミが二つ隣の村へ遊びに来た時の事。


「ハヤミ、大変!!」


 友達と茶会を開いていたハヤミは、突如として飛び込んできたその女性に驚いた。友達の母親だ。


「どうしたんですか?」


「燃えてる……、燃えているのよ! 貴女の村が!!」


「えっ!?」


 慌てて家から飛び出る。最初に見たのは、故郷の村の方から上がる黒煙だった。


「な、んで……」


 呆然とそれを眺める。過ぎったのは、自身の婚約者だった。


「っ!!」


「ハヤミ!? ちょっと待って、危険よ! ハヤミーーっ!!」


 友達の制止の声も聞かずに走る。

 どうか皆生きていてほしい。何かの間違いであってほしい。これが夢であってほしい。


 ──望みは、全て叶わなかった。


「あ、あ……」


 村に辿り着いたハヤミは、膝をついた。

 目の前には、地獄のように激しい炎で燃え盛る村の姿。

 肉の焼ける臭いが辺りを漂い、その臭いに吐きそうになる。同時に、涙が零れた。


(これじゃあもう、誰も……)



「おかえり、ハヤミ」



 この場にとても似つかわしくない、朗らかな声が響いた。

 おそるおそるハヤミは顔を上げる。


「いないから探しちゃったよ。何処に行ってたんだい?」


 そこには地下牢に繋がれているはずの少年がいた。


「──ねえ、何、してるの?」


 震えながら尋ねる。


「え? ああ……。。長く独りでいると発狂するって言うけど、あれはきっと嘘だね。この五年間、退屈で退屈で」


 あはは、と笑いながら少年は言った。


「でも、我慢した甲斐はあったかな。村の皆の悲鳴、君にも聞かせたかったよ。『ごめんなさい』、『許して』だって。……ちょっと分からないなあ、だってボクは最初から何も怒ってないのに。そもそも『怒る』ってなんだろうね? ハヤミなら分かるかい?」


「……さない……」


「え?」


 ハヤミは爪が割れ血が滲むほど地面を握り締めながら、獣の如く吠えた。


「許さない! お前だけは!! 最初から、お前が……! ────!!」


 それを聞いた少年は、


「ハヤミ……」


 見た事のない形相の許嫁に驚いたあとに、


「……それが、『怒り』なのか!」


 ぱあっと顔を輝かせた。


「凄いねハヤミ! そんな顔が出来るなんて知らなかったよ! それが怒りなんだね! わあ、初めて怒られた!!」


「…………は?」


 その反応に困惑するハヤミ。そんな彼女を置いて、少年はくるくると回る。


「あははっ! ボク、ずっとを体験してみたかったんだ! 怒られるってどういう事なのか知りたくて知りたくて、周りが思う『悪い事』をし続けたのに、誰も叱ってくれないからつまらなかったけど……。そうか、人を殺せば怒ってくれるんだね!!」


「…………」


(認識が、甘かった)


 最初から分かっていたのだ。少年は何が『悪』かを知っていた。

 知っていて、何度も繰り返した。

 たかだか『怒られたい』だなんて、そんな身勝手な理由で。


 その無邪気な残酷さが、皆を殺した。


「──あ」


「あ?」


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


「……ハヤミ?」


 ハヤミは狂ったように頭を掻き乱し、地面に這いつくばった。


(私が、やるべきだった。私があいつを●●●おくべきだったんだ。私が悪い。私が皆を殺した。私が、私が……!!)


「ころす。殺してやる。お前は、お前だけは絶対に……!!」


 ハヤミは衝動的に魔法を放った。最早それは呪いそのもの。

 『絶対に相手を殺す』という悪意の固まりが少年の喉笛に辿り着く──


「おっと」


 前に、弾けて消えた。少年の呪いの魔力に耐え切れず霧散したのだ。


「ふうん、怒ると相手を殺したくなるんだ。大変なんだね。道理で、人間達が戦争を止めない訳だ」


 他人事のように納得した素振りをすると、少年はハヤミに近付いた。

 ハヤミは後退ろうとするが、震えのあまり進めない。

 そんな彼女の肩に手を置いて、少年は耳元で囁いた。



「ボクは外に行くよ。でも、何百年だって君を待っている。いつかボクを殺しに来てね」



 重圧に気を失う一瞬、悪魔のような声が頭に響いてこびりついた。




「……ミ! ハヤミ! ハヤミってば!!」



「────ッ!!」



 使い魔の声で目を覚ます。どっと噴き出る汗が気持ち悪い。

 ……涙だけは、何とか流れていなかった。


「……また、あの夢?」


 不安げに使い魔──ブラウニーがこちらを見る。


「うん。ここ五十年は見てなかったんだけどなあ……。立華さんと出会ったからかな」


 彼と対極の黒い髪を持っていながら、同じ赤い瞳をした少女を思い出す。

 白咲立華しらさきりつか。少年──この国では透無虚鵺とうむからやと名乗る彼の犠牲者の一人。

 彼女の手足も自分が奪ったようなものだ、とハヤミはまた自分を責める。

 それを見かねたのか、ブラウニーはコップを差し出した。


「隠し事とか嘘吐いちゃったからなあ……。バチが当たったのかも」


「何でよ。村での事を除けば会ったのは数回だけっていうのは本当だし、普通の人間の前で年齢三百年サバ読んだって別に何も変わらないわよ!」


「あーもーそういう事じゃないの!!」


 小さいブラウニーの体を押しのけ、ベッドから降り立つ。


「じゃあ、どういう事なのよ」


「そ、それは……」


 言葉に詰まっていると、ブラウニーは腰に手を当てて怒るように言った。


「いい? ハヤミ、あなたの過去をそのまま話した所で、あんな普通の人間の子供達には分かりっこないわ。むしろあの怖い子なんて絶対にあなたを殺すはずよ!!」


「まあ、確かに……」


「あなたが悔やむ気持ちも、あいつを怖がる気持ちも、全部分かってるわ。そのせいで、どれほど苦しんでいるのかも。二百年だけの付き合いでも、それくらいは分かる。だから無理しないで。あなたはそのままでいいの」


「ブラウニー……」


 今となっては、ブラウニーだけが唯一の友だった。使い魔が友達だなんて、他の誰かに聞かれたら鼻で笑われるに違いないけど。

 でも、もう彼女しかいないのだ。


 チリリン


 玄関の呼び鈴が鳴った。


「ん? 今日は予約なんて、一つも無いはずなんだけど……」


「何してるのハヤミ! 早く着替えて!!」


「わ、分かったよ!」


 急いで身支度を整え、仕事用の笑顔で客を出迎える。


「いらっしゃいませ~……」


「やあ、ハヤミ。久しぶり」


 百五十六年ぶりの声に息が止まる。目の前には、あの白い髪と赤い瞳の悪魔がいた。



 to be continued

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