巻の陸 赤鷹汐瀬 ────大正

 赤鷹せきたかは、五色ごしき開祖かいその一角だ。

 赤鷹、青瑞しょうずい緑當ろくとう黒張こくばり白咲しらさき

 この中で、赤鷹は特に有名だと言っていいだろう。実際に流派に属する人間も多い訳だから。

 僕──赤鷹汐瀬しおせも、そんな一人だ。


 錬金術師になったのに、特に理由は無い。親も錬金術師だったとか、人の役に立ちたいとか、そういう立派な名目も無く、何となくこの道を選んだだけ。


 多分、僕はいつだってそうだ。常に何かに流されている。術師名じゅつしめいも笑えない。

 きっと、僕はいつまでもこのままだ。それでも、ただ人並みの幸せを享受出来ればそれでいいと



 ──そんな、甘い事を考えていた。



 とある日、僕は夜に外出していた。理由は忘れてしまったし、どうでもいい事だ。

 街灯がまばらに照らす道を急ぎ足で歩いていると、路地裏から声が聞こえた。


「なんだあ、お前。その態度は」


「そんな事はどうでもいいじゃないか、って言ったんだよ」


 気になって覗いてみると、誰かが酔っ払いに絡まれているようだった。

 その絡まれている青年は、暗い路地裏の中でもはっきりと分かるほど白い髪と、赤い目をしていた。

 明らかに、周りとは浮いている。まるで、ここにいるのが全くの場違いのような──


「この、生意気坊主めが!」


 酔っ払いが拳を振り上げた。僕は止めようと路地裏に踏み込む。次の瞬間


「……そんなんじゃ駄目だよ」


 酔っ払いが膨らんで爆ぜた。文字通りのだ。鮮血の赤が目の前を染める。

 それよりも赤い瞳が、僕を見た。途端に、地面に大きな手で押し付けられそうなほどの重圧に包まれる。

 先程まで彼は、これを抑えていたのか。


 どうしてこうなった? 僕はただ、


「やあ、初めまして」


 酷く混乱していると、いつの間にか彼が僕の目の前まで移動していた。


「ひっ」


 思わず後ずさる。


「酷いなあ。……ああ、もしかして血の匂いが苦手なのかい? でも、ただの鉄分の臭いじゃないか」


 怪訝な顔で血に染まった服の臭いを嗅ぐ姿からは、自身より大きな男を弾けさせたようには見えない。でも、確かにこの目で見た。


「まあいいや。君、どうなりたい?」


「え?」


「うん、だから──」


 血塗れの手を僕の肩に置いて、彼は友人に話しかけるように言った。


「君も、同じように殺してあげようか?」


「────」


 そうだ、当たり前だ。彼の犯行を見たのは僕しかいない。

 そんな僕を、みすみす逃す訳が


「でも、これ以上殺して騒ぎになるのも面倒だなあ……。そうだ! 君、錬金術師?」


「あ、ああ……」


 脈絡のない質問に答えると、彼は不気味に笑った。


「じゃあこうしよう! ボクが君を死なない体にしてあげるから、今日見た事は黙っててくれないかな?」


 それはまさに、悪魔の囁きだった。もしもそうしなければ殺すと、暗に脅されている。

 故に、拒否権などは最初からなかった。


「はい……」


「そうか、良かった! おめでとう、これで君も」


 悪魔は、赤い瞳を光らせた。


「立派な、不死者だ」




「っ!?」


 汗だくで目を覚ます。瞼に鮮烈に焼け付く赤を振り切り、文机の引き出しからペーパーナイフを取り出した。

 それを手首に走らせる。傷口は血が流れる前に塞がった。

 ……やっぱり、夢じゃない。


 あの日から、起きてすぐに自分が不死者である事を確認するのが癖になっていた。

 彼──透無虚鵺とうむからやから教わった不死者になる術は、確かに僕を不死にしていた。

 だけど、何度も夢であってほしいと願ってしまう。

 死なないというのは、とても素晴らしい事なのかもしれない。でも、実際になってみて分かった。

 ……この身体は不自然で、不気味だ。

 今すぐにでも心臓を掻き出して、命を絶ちたいほど。

 そんな事も、今は出来やしないけど。


「どうしたの?」


 隣の布団で寝ていたはずの彼女がこちらを見ていた。今の行動を見られたのかと、一瞬息が止まる。

 彼女とは数年前からの付き合いで、今では唯一の支えだ。そんな彼女に、僕の身体の事を知られたら、もう……。


「いや、つい早く起きただけだよ」


 しどろもどろになりながら、どうにか言葉を捻り出す。


「ふうん、そう」


 彼女は特に疑問に思う素振りも無く布団を被る。どうやら見ていなかったようだ。

 ほっとして、目を閉じた。……あの赤が、また過ぎる。地獄のような、悪夢のような、それでいて──

 美しい、赤が。


 目を開けると、そこには赤があった。あの夜のものじゃない。その赤は、彼女の細い首から噴き出していた。


「え? ……は?」


 呆然とそれを見る。僕の左手は彼女の口を塞ぎ、右手には強くペーパーナイフが握られている。

 もしかして、僕が、彼女を?

 ……殺、した?


「あ……」


 それをようやく理解した頃には、彼女は血の海の中で冷たくなっていた。


「あああああああああああああああっ!!」


 ペーパーナイフを投げ捨て頭を掻き毟る。どうして、なんで僕は、こんなっ……!?

 混乱する頭の中、赤の美しさで目が眩む。

 ……いや、待ってくれ。


「どうして、これが、美しいだなんて……」


 そこで、僕はやっと理解した。この身体の本当の呪いを。不死者となるからには、それ相応の代価があるに決まっている。


 それは、抑えきれない殺意だったんだ。



 それに気付いた僕は、逃げるように各地を転々とし、同時に人との交流を最低限にしてきた。

 だって、関わってしまえば殺してしまう。それだけは避けたかった。

 でも、殺意は容赦なく僕を苦しめる。あの赤が恋しくてたまらない。こうなると、赤鷹という術師名じゅつしめいすら憎らしい。

 赤は、僕にとって一番の恐怖だった。


 殺人衝動を抑えきれない時は、無意識に人を殺していた。気が付くと、自分が血塗れになっている。まるで、あの日の彼のように。

 それが恐ろしくなって逃げては、またその先の町で殺人を犯してしまう。

 頭がおかしくなりそうだった。いや、もうなっていたのかもしれない。

 いっそ頭の病気か何かをでっち上げて入院してしまえば……いいや、どうせその病院内でも殺人を犯すに決まっている。

 死刑になっても死ねない上に、逆に周りを殺しかねない。


 もう全てが嫌になった。自暴自棄になった僕は、いっそ海の底で永遠に溺れ続けようと深夜の海に立った。

 これ以上誰かを殺してしまう前に、自分が永遠に苦しむ方が良いように思えた。

 ……ああ、でも。せめて、死ぬ前に誰かと話したい。別に、全て懺悔したい訳ではないけど。ただ、他愛のない話がしたい。

 海の底で藻屑になるより、独りでいる事の方が、こんなにも怖い。


「うっ……ひぐっ……」


 そう思うと、涙が出てきた。

 僕はただ、人並みの幸せが欲しかっただけなのに。どうして、こうなった?

 こんな事なら、むしろあの時死んでいた方が良かった。


 一人海で泣いていると、コツンと何かが足先に当たった。

 気になってそれを拾い上げる。

 それは、掌に収まる程度の瓶だった。酒か錠剤か、おそらくはそんな物が入っていたんだろう。

 空っぽだったが、栓がちゃんと閉められており海水は入っていなかった。

 それを見つめていると、ふと昔の話を思い出した。


 瓶に手紙を入れて流し、海の向こうにいる人と交流する話だ。

 ……なんだか、浪漫のあるあり得ない話。だけど、今の僕にはとても素敵に思えた。


「……一回だけ、なら……」


 瓶を持って海から上がる。十日待とう。

 十日待って、それでも何も来なかったら──その時は、潔く沈もう。


 家に戻ると、僕は自己紹介と住所を書いた手紙を瓶の中に入れ、海に流した。

 返事が来てほしいと願う気持ちと、来ないでほしいと思う気持ちがせめぎ合う。


 そうして一週間後。返事は案外早く来た。


 届いた手紙を急いで開ける。

 そこには、細く美しい文字でこう書かれていた。


『拝啓 赤鷹汐瀬様


 初めまして。色小路愛依子しきのこうじめいこと申します。

 砂浜で貴方のお手紙を拾い、こうして返事を書いた次第です。


 この時世、お手紙を瓶に入れて流すなんて浪漫のある事をする人を見たのは初めてで、思わず心が踊りました。


 私は故あって旅をしているので、こうして誰かにお手紙を送るのは滅多にありません。

 それでも、こうしてお返事を書きたかったのです。


 私と出会ってくださり、ありがとうございました。


 草々 色小路愛依子』


 本当に、他愛のない手紙。でも読んでいるうちに、自然と涙が溢れていた。

『私と出会ってくださり、ありがとうございました』──その言葉が心に響いた。


 その手紙には、とある町の住所が記されていた。旅をしていると書いていたから、宿か何かかもしれない。それでも、僕は再び手紙を書き始めた。

 届かなくてもいいから、彼女にお礼が言いたかった。


 急いで書き上げた手紙を出す。次の返事はまた一週間後に届いた。

 そうして、僕と彼女の文通が始まった。


 僕は、あまり面白い話は書けなかったが、彼女は旅で立ち寄った場所の話などを書いてくれた。

 それは時に面白く、時に心を和ませ、時に涙を滲ませた。

 手紙を重ねていく中で、僕は彼女の過去を知った。


 元は華族だったのに家が没落し、千里眼という特殊な能力のせいで売られ、あちこちで見世物にされる……。

 たった一行で書かれていたが、その辛さ、悲しさはどれほどの事だろう。

 僅かに震えた文字が、それを表していた。


 もしも、もしも僕が彼女を救えたら……。何度もそう思った。

 あの赤の悪夢を見る事すらなく、僕は未だに見た事のない彼女の事ばかり考えていた。

 そこでふと、気付いた。


 ……殺人衝動が、ない。あれほど苦しんでいたものが、すっかり抜け落ちていた。……ああ、なるほど。



 僕は、彼女が好きなんだ。



 ああ、直接お礼が言いたい。そして、君を──。


 千里眼の少女がこの町に来た。

 その噂を聞いた夜に、『ガシャン』と窓の割れる音がした。



 大正アルケミスト復讐譚 六話に続く

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