巻の伍 青瑞友知 ────大正

『お前は誇り高き青瑞しょうずいの人間なのだから、ちゃんと胸を張りなさい』


 父の言葉を覚えている。名付けられた術師名じゅつしめいは、友を知ると書いて友知ゆうじ

 ……このような隔絶された森の中で、その名は皮肉が効いているというものだ。


 少なくとも、子供の頃は良かった。よく、父の弟子達が遊んでくれたから。

 今は彼らも、立派な錬金術師として働いているのだろう。


 だが、今の屋敷にその名残は無い。最後の兄弟子もこの前去ってしまった。それもそうだろう。

 父が亡くなった今、このような若造に付き合う事もない。

 彼は心配して、共に町へ降りようと言ってくれたが、この屋敷を出るつもりはない。

 先祖代々受け継いできた屋敷だ。私の代で終わらせるのは忍びない。


 本当に、この屋敷は優秀な術師を多く輩出してきた。

 その多くはそれぞれ別の流派を名乗ってはいるが、彼らが青瑞の流れを継いでいるのは間違いない。

 ある人は、人々のために技術を使いたいと言った。ある人は、人に寄り添う機械人形オートマタを作りたいと言った。

 とても立派な術師達だ。その言葉通りに、事を成してくれるだろう。


 しかし、そんな優秀な兄弟子、姉弟子とは裏腹に、私は特出する所の無い、平凡な術師だった。

 あの才覚ある父から生まれ、その教えを受け継いだとは思えないほどに。


 それでも私は、誇りある青瑞の一派として生きていく。いつか彼らと同じ高みへと至るために。



 そんなある日、紗凪さなが私に手紙を渡してきた。

 紗凪は、我ら青瑞の理想を体現するために作られた機械人形オートマタだ。今は、この屋敷の管理と私の世話を任せている。


 その紗凪が、「お父様からのお手紙です」と白い封筒に入った手紙を渡してきたのだ。


 それを開くと、こんな事が書いてあった。



『友知へ


 お前がこの手紙を読んでいるという事は、私はもう死んでいるのだろう。

 そのように頼んであるからな。


 早速だが、本題に入ろうと思う。

 ずっと誰一人として入るなと言っていた、私の工房があるだろう?

 あれを、お前に譲ろう。鍵は封筒に入れてある。


 あそこには、我々が守らねばならないものがある。

 本当ならば口頭で伝えなければいけないと思ったが、口下手な私よりも彼に聞いた方が早いだろう。


 紗凪と彼。我々の理想を体現するもの。

 どうか彼らを、宜しく頼む。』



 父らしい、簡潔な文章。……だが、『彼』とは?

 まさか紗凪の他にも、機械人形オートマタがいるのだろうか?


 その手紙にも書いてある通り、封筒には鍵も入っていた。

 何はともあれ、父の工房に行けば全てが分かるだろう。


 一階の奥、廊下の行き止まり。


 ずっと「ここに入るな」と言い聞かせられていたからか、今更ながら震えが出てきた。

 だが、尻込みしている訳にはいかない。

 意を決して入ると、そこはごく普通の工房だった。几帳面な父らしく、本も薬品も整理整頓されている。


 特に、変わった物は見当たらない。紗凪と同じような機械人形オートマタもいない。


『彼』とは何だったのだろうか……?

 首を傾げていると、


『おうい』


 何処からか、呼び声が聞こえた。あちこちを見回すが、声の主は見つからない。


『ここだよ』


 再びの声。それは、私の腰ほどの位置から聞こえてきた。ちょうど、机の高さだ。

 見ると、少し大きめのフラスコがあった。……その、中には。


『ようやく気付いたようだね』


 小さな人間が、いた。


「う、うわああああああああああっ!?」


 私は思わず腰を抜かした。

 は、胎児のように丸まった姿なのに、しっかりと人の形をしている。

 毛は無く、目も開いていないが、こちらに話しかける知性がある。


 それは、まさしく


「ホムンクルス……!?」


 錬金術師に伝わる幻の人造人間ホムンクルス

 その本物だった。



『君は、天慈あまじの息子だね?』


 ホムンクルスの問いかけに、首を縦に振り答える。


『その様子、私の事は聞いていないのか』


「ただ彼、としか……」


『そうか。それは彼らしい。どうせ、詳しい事は私に聞けと言われているのだろう?』


「まあ、大体は」


『いいだろう。ほら、いつまでも床に座っていないで、椅子に座るといい。長い話になるからね』


「あ、ああ……」


 促されるまま、椅子に座る。それを待ってから、ホムンクルスは語り始めた。


 曰く、彼はおよそ百年前に私の先祖が偶然生み出したものらしい。

 フラスコから出られない代わりに、世界の全ての知識を持つ生命体。

 確かに、『生殖以外の方法で、人間が人間そのものを生み出す』という事を目指す青瑞の人間が、ホムンクルスを製造するのは利に適っていると言えばそうなるだろう。


『だがね、私は出来損ないだよ』


「どうして? ……フラスコから出られないからか? それを差し引いても、君は立派な人間だろうに」


『いいや、違う。私には、感情が無いんだ』


「えっ?」


『君に、どう映っているかは知らないがね。私は持ちうる知識に当てはまる反応を他者に返しているだけだ。その点で言えば、機械人形オートマタと同じだよ』


「なるほど、そうなのか。でも、それだけで人間ではないと決めつけるのは早計だと思うけどな。もしかしたら、今は自発的に感情が出せないだけかもしれないし」


『……君は、随分と楽観的な人間のようだ。今までの当主達とは違ってね』


 なんだか笑われたような気がして、むっとして返す。


「どうせ、鷹が生んだとんびだよ、私は。碌に才覚も無い、平凡な人間だ」


『ああ、言い方が悪かったようだ。……そうだな、ではこう言おう。優しい、と』


「…………」


 思わず黙ってしまった。そうだろうか? 私はただ、思った事を言っただけなのに。


『……照れているのかね?』


「照れてなんかない! ……ああもう、調子が狂う。とにかく、これからは私が君の相手になればいいんだろう? ホムンクルス」


『ああ。……ところで、君の名前は?』


「あっ」


 そこでようやく、自分が名乗っていない事に気付いた。


「友知、だよ。『友を知る』と書いて友知。これからよろしく」


『ああ、よろしく。友知』



 それから、私には奇妙な隣人が生まれた。と言っても、特に今までの生活が変わる事はない。

 ただ単に、話し相手が出来ただけの事だ。


 でも、何かしらの波長が合ったのか、私は彼と話している時が一番楽しかった。

 彼も、同じように思ってくれていたのかは分からない。少なくとも嫌がっていなかったのは確かだ。


 彼は部屋の外に出た事がないと言うので、フラスコを持って部屋を出た事もあった。

 割らないよう慎重に慎重に、屋敷の中を回るだけだったが、それでも良かったようだ。

 その日の彼は、いつもより声が弾んでいるように感じた。



 そんなある日、紗凪が何度か具合を起こすようになってきた。

 来客を私と同じ『ご主人様』だと認識してしまうものだ。


『何をしているのかね?』


「部品探しだよ。最近紗凪の調子が悪いようでね」


『そうか……彼女が……』


「?」


 ホムンクルスの声が僅かに沈んでいる? ……まさか


「心配なのか?」


 そう聞いてみると、


『あ、ああ。同じ青瑞に生まれた、同じ理想を求められた物としてね』


 取り繕うように彼は答えた。まるで、そう思いたいからそう言っているような口振り。

 思えば、紗凪の話になると、彼は時折このような様子になる事がしばしばあった。

 ……やっぱり、実は感情があるんじゃないだろうか?


「へえ……」


 含み笑いをすると、彼は『どうした?』と少し抗議するような声で言った。


「別に、なんでもな……ゴホッ、ガッ」


『風邪か? ……友知、それは』


「え?」


 呆然とした声の彼に促され、掌を見る。そこにあったのは、


「……嘘だろ」


 私の口から出た、血液だった。



 それからの事は、ほぼ覚えていない。気が付くと、私は見知らぬベッドに寝ていた。

 横になったまま辺りを見渡すと、知り合いの拍野土うのどさんが隣にいた。


「おお、目が覚めたか。待っとけ、今医者を呼ぶ」


「拍野土さん、ここは……」


「病院だよ。……おい、覚えてないのか? あんたが助けを求めに屋敷に出た所を、俺が運んだんだ」


「そう、でしたか。ご迷惑をおかけ、ゴホ、ゲホッ」


 再び咳と共に血を吐く。私の背中をさすりながら、拍野土さんは励ますように言った。


「町に住んでたお弟子さんが、しばらく紗凪の事を見てくれるらしい。だから心配せずに休みなさい。何か言付けがあれば、俺が聞くから」


「はい、ありがとうございます……」


 しばらくして来た医者が、病名を告げた。その名も弥畜利村やかうとむら病。

 ──町から離れた森に暮らしている私にも分かるほど、有名な病気だ。罹ったら最後、治らず死んでしまうと。


 それを知った時、最初に「申し訳ない」と思った。青瑞の血を、私で絶やしてしまう事になる。親戚はいるが、本流が私である事に間違いない。

 最期まで先祖に貢献できず死んでいく事を心から悔んだ。


 次に、紗凪の事を思った。『ご主人様』が死んだ後、彼女はどうする?

 おそらくは、全ての部品が完全に摩耗して動けなくなるまで、私を待ち続けるだろう。そんな孤独を強いていいものだろうか?


 最後に、ホムンクルスが心配になった。私が死ねば、本当に彼は孤独になってしまう。

 私の孤独を癒してくれた、変わった友人。彼を残しては死ねない。


 だが、私にはあまりにも時間がなかった。病は刻一刻と進行し、私の自由と命を削っていく。悩みに悩み抜いた私は、見舞いに来てくれた兄弟子に、一つの手紙を手渡した。


 そして、私の死後、あの屋敷は旅人のために開いておいてほしい、と。


 ああ、分かっている。それは危険だ。

 財産などではなく、紗凪とホムンクルスにとって。

 だが、私はこれから先に訪れるであろう人々の善性を信じる事にした。

 その善人達が、紗凪のもてなしで再び活力を得られるであろう事を良しとした。


 これならば、紗凪に孤独を強いる事はないだろう。


 手紙は、賭けだ。その善人の中に、私の願いを叶えてくれる人がいるという事への。


 最期まで何も成せなかった私が、唯一彼にしてやれる事。今となっては、出来ない事。

 フラスコの中の友人に贈る、最初で最後の応援。


 ……すまない。紗凪、ホムンクルス。

 君達を置いて先に逝く事をどうか、許してほしい。


 そして、何時かの未来。君達に多くの幸が有らん事を。



 ────半年の闘病の末、青瑞友知死亡。亨年二十三。



 大正アルケミスト復讐譚 第五話に続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る