巻の肆 燐 ────大正
自分が人より不幸な生まれだという事は、割と早くに気付いていた気がする。
「
うちの師匠は人の本質を抉ったふりをしているが、あまり名付けは上手くない。きっとそうに違いない。
でなければ、女の私にこんな名前を付けるもんか。良いのは響きだけじゃないか。
本当に、どうしてこんな人生を送る羽目になってしまったんだろうか。
まだ赤ん坊だった私を拾ったのは、当時『組織』で最年長だった男性らしい。
私は彼を一度も見た事が無い。おそらくは何処かで死んだんだろう。
組織から逃げる者の噂は何度か聞いたが、それが成功した知らせは一度も届いていないのだから。
それはともかく、拾われた私は『組織』で働くための戦力として育てられた。
そう、戦力。と言っても実態は使い捨ての駒に等しい。
私のいる組織は暗殺を生業とした忍者集団のなれの果てだ。
本当、今時忍者ってなんの冗談だろうって今でも思う。まあ、とっくに形骸化している訳だけど。
だから私も、物心付かない頃から暗殺者としての教育を受けた。最初から私にその手の才能があったのか、それともあんなでも師匠の教える腕が良かったのか……。私は組織の中でも優秀な暗殺者になった。
……精神性だけを除いては。
いつも心の何処かで違和感を感じていた。
人の命は、そんなに軽く扱ってもいいものなのか。
私が殺す誰かはきっと、他の誰かにとっては大切な人間のはずなのに。
そんな人を、簡単にこの世から消し去ってしまっていいの?
だけど、そう思ってるのはどうやら私だけのようだ。他の皆は、組織を正しいと信じている。……いや、そう教えられたから、そう信じている。
少しだけ、その単純さが羨ましい。別に、皆がバカだと言うつもりは……少しだけあるかもしれないけど、そういう訳じゃない。
きっと私は、出来損ないなんだろう。
どれだけ技術が身に着こうと、決して完成する事のない不良品。
……あーあ。本当に不幸な人生だ。
それでも、勝手に死ぬ事は許されないし、死ぬつもりも無い。
私はこの出来損ないの人生を、出来損ないなりに生きていく。
私が自分の駄目さをこれでもかというほど自覚した頃、最初の仕事を渡された。
よくある、遺産目当ての暗殺。
証拠を残さないためにも、死体は燃やして処分してほしいと書いてあった。
……よくもまあそう言えるものだ。自分の父親をまともに埋葬する気すらないのか。
それとも、火葬の手間すら省きたいのか。どのみち、このご老人も無念に違いない。
そんな事を思いながら、私は老人の眉間に銃を突きつける。
「ひいっ、た、助け……」
老人が身震いして助けを乞う。でもここは誰もいない路地裏。そして私は暗殺者。
応えてくれる人なんている訳がない。
……お願い。私の震え止まって。少しでも外したら、この人を苦しませてしまう。
どうせ殺してしまうならせめて、苦しませないようにしたい。
ただの我儘でも、それが私に出来る精一杯の事だから。
「……~~~~~~っ」
……なんて、格好よく言えたら楽だったのになあ。
銃を下ろす。すると同時に、涙が出てきてしまった。やっぱり私は出来損ないだ。
私には、人を殺す事なんて出来ない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
何故かそんな言葉が口を出た。一体、私は誰に謝ってるんだろう? 老人? 師匠? ……それとも、私?
分からない。もう何もかもが分からない。分からないから泣いてしまう。
「……君は」
老人の声に肩が跳ね上がる。どうしよう。もしもここで彼を逃がしてしまったら、私が人を殺せない事がばれてしまう。そうしたら最後、死ぬしかない。
「優しい、人なんだね」
「え……?」
思ってもみなかった言葉に顔を上げると、彼は私の頭を撫でた。……温かい。
私はこの温かさを奪おうとしていたんだ。そう思うと、また涙が出てきた。
「君は、私を殺さないといけないんだね?」
頭を縦に振る。
「でも、君は人を殺せないんだね?」
もう一度振る。
「なら、こうするのはどうだろう?」
そう前置きすると、彼は驚くべき策を私に伝えた。
実は、彼はとっくの昔に親族の不穏な動きに気付いていたらしい。
そしてそれから逃れるために、自分の死を偽造しようとしていた。
その計画に、私も一口乗らないかと言ってきたのだ。
つまり、私が彼を殺したという事にして、彼を逃がす。彼は海外に別荘と、そこに行くまでの伝手があるという。もちろん、自分が死んだという証拠も残す予定だとも。
それを聞いた時、つい呆けてしまった。
見た目こそか弱い老人だが、その行動力は私より凄い。
「どうせなら、君も来るといい」
彼はそう言ってくれたが、私がその証拠を持っていないと、貴方が逃げた(逃がした)のがばれてしまうと告げると残念そうな顔をした。
「本当なら、君のような優しい人がこんな事に手を染めない世界にしたいものだが……」
……もっと、もっと早くに。あの時、私を拾ってくれたのがこの人だったなら。
私が欲しい言葉をくれる、この人と一緒にいられたら。
こんな出来損ないでも幸せになれるに違いない。
でも、だからこそ私は行かなくては。
「ありがとうございます」
とびきりの感謝を込めてそう言うと、彼はやっと笑ってくれた。
「そうだ。これからの君は暗殺者じゃない。私のような人間を助ける、義賊になるんだ」
「義賊?」
「そう。人のために働く、正義の味方だよ」
──義賊としての私の活躍は、皆が知っている通りだろう。
『火曜日の
一体誰がそんな通称を付けたかは知らないけど、少なくとも燐なんて名前よりかは全然いい。
多分、組織……特に師匠は私のやっている事に気付いているだろう。
それでも何も言ってこないって事は、私という稼ぎ頭を逃したくないからなのかも。
ふふん。『火曜日の殺塵鬼』の噂が立ってから、急に組織の羽振りが良くなったのにはとっくに気付いているんだから。
……もしかして、あの人が支援してくれているとか? 流石にそれは無いか。
でも、いつかあの人の所にも寄りたいし。そのうち引退も視野に入れようかな。
具体的には、そうだなあ……。私より凄い人が現われて、自信をなくした時、とか。
案外その時は近かったりして。
……だからって、あそこまで近いとは全然思わなかったけどさ。
大正アルケミスト復讐譚 第四話に続く
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