見世物小屋
日が暮れ始めた空には灰色の雲がひしめている。ゲントは集合場所である裏通りの入り口に来ていた。そこにはゲントの他に五人ほどの人間がいる。シューベルクの自警団たちだ。彼らは皆白い隊服を纏い、甲冑を身につけている。その内の一人の装備は少し意匠が異なる、いくらか凝った装飾が付けられていた。シューベルクとの話合いの時に居た甲冑男の一人だろう。服の上からでも分かる屈強な肉体の持ち主だ。その佇まいには隙が無い。恐らく彼がこの隊のリーダーなのだろう。
「出発する。案内を頼んだぞ。」
「ああ」
リーダーの男に言われて移動を始める。ゲントが先頭に立ち、その左斜め後ろにリーダー格の男が続く。二人の足跡をなぞるように残りの隊員が二列になって進んでいく。不自然でないよう気をつけて自警団たちを盗み見る。彼らの動きや姿勢には淀みがない。この五人がよく訓練された人間だと分かった。ゲントが普段相手取る人種とは、文字通りレベルが違うだろう。
「……今回捜索する生物についてだが--」
「我々も明確な情報は知らない。中心地での市民の目撃例が我々の耳に届き、捜索を開始した。その中で裏路地に逃げ込んだという情報があったので、今ここにいる。」
ゲントの問いを遮るようにリーダーが答える。その口調はあらかじめ用意していた文言を読み上げているようだった。
「その捕獲対象の外見が分からなければ発見しても伝えられないと思うが……」
「構わん。依頼したのは裏通りの案内だ。それ以上を知る必要はない。」
食い下がるが相手の態度は変わらない。やはり詳細を聞き出すのは難しいようだ。だが言質は取った。これで仮に戦闘に巻き込まれても、逃げ出す言い訳が立つ。彼らの依頼は道案内で戦闘ではないからだ。未だこの依頼に抱いている懸念は拂拭できていないがゲントとて別段掘り下げる気もない。彼らの探す生物の正体がなんであっても、また彼らの自警団という組織が本物でないとしてもゲントには関係ないことだ。
裏通りの先に進んでいく。石畳だった町並みは変わり、剥げて荒れた地面や廃屋が多くなってくる。建物の窓は割れるか抜き取られている。ボロ屋の中のいくつかに貧民が横になっているのが見えた。
「うっ……」
隊員の一人がうめく声が聞こえた。一瞬不審に思ったがすぐに理由を察する。臭いだろう。裏通りでずっと過ごしているゲントはもう麻痺して分からないが。ここには汚物やごみがひしめいているのだ。気分はよくないだろう。
だがここはまだマシだ。さらに奥に進めば死体も散見されるようになる。腐敗した死体の臭いは慣れたゲントも進んで嗅ぎたくはない。
「あまり奥に進まず裏通りの手前を中心にして探すか?」
「……気遣いは無用だ。潜む可能性があるなら隅々まで探す。」
見かねたゲントが提案するがリーダーの男に断られる。先ほど呻いた隊員が肩を落としていた。
細道をいくつか経由しながら奥へと進む。裏通りには場違いな装備の自警団たちを奇異の視線で見るものもいた。だが盗みややっかみをしてくるものはいない。ここにいる隊員に下手に手を出すべきではないと分かっているのだろう。学がない代わりにここに住む彼らは野生の鼻を持っている。相手の強さを見定めるのはこの裏通りで必要な能力だ。
ゲントは移動中に、何人かの貧民に声をかけた。何か不審な出来事が無いか尋ねて、未知の生物に関する情報を手に入れたら小銭か酒と交換する約束を取り付ける。
未知の生物がどういったものか逆に尋ねられたが、答えられないといった。貧民は胡乱な目つきでゲントを見てきたが、願いを断るものはいなかった。彼らは世捨て人だ。日々を何もせず過ごし、たまに手に入る酒で喉を潤す。まれに金の施しがあってもその全てが酒代に消える。金を貯めようものなら他の貧民に盗まれるからだ。そうして盗んだ貧民もまた、酒を買って飲んでしまう。そうなるぐらいなら自分で買ってとっとと飲んでしまおう。ここにいる酒浸りの貧民の思考回路はこれが全てだ。とにかく酒をちらつかせれば何でもいうことを聞く。刹那的な存在だった。
「ひどいな、ここは」
リーダ-の男がぽつりと言った。
「中心街とはまるで別世界だ。」
ゲントは中心街に足を運んだことはないが、それは察することができる。
迫る娼婦をやり過ごしてから、悪態を背後から吐かれながらゲントは返す。
「どんなものだ、中心街の町並みは?」
リーダーの男は少し逡巡する様子を見せたあと、答えてくれた。
「白だ。石畳も壁も磨かれた白亜の壁で出来ている。清潔で温かい。」
それ以上は話さなかった。ゲントも別に話を広げたいわけでもなかったので聞かなかった。ぼんやりと聞いた中心街の景色を思い浮かべるが、それが明確になることはない。
ゲントはこの都市に来た時、一度だけ中心街に足を踏み入れたことがある。あのときは都市の治安も賞金首狩りの存在も知らなかった。迷い込んだ町の造りにどこか安心した気がする。「気がする」というのはもうその光景を思い出せないからだ。覚えているのは彷徨っていた所を中心街の警備団に見つかり、全身を警棒で打ち付けられたことだけだ。中心街にいるのはそこに住居を持ったものだけで、基本的にそれ以外の人間が入りこむのは許されていない。破ればたちまち警備団の制裁が襲う。彼らの大半は元冒険者でダンジョンで稼いだ金で中心街に住居を構えている。中心街の一画には魔法や医薬の開発をする施設もあると聞く。中心街はダイバースの要と言って良いだろう。裏通りとは別世界だ。そしてゲントが金輪際足を踏み入れることのない場所でもある。
裏通りの端に近づいていく。石畳は完全になくなり廃屋すらなくなった跡地が見える。木材の腐った残骸が並び、布をつなぎ合わせて天幕にした住居が乱立する。木板を重ねただけのほったて小屋もいくつかあるが風が吹けば簡単に倒壊するだろう。ここから先はこの住居とも呼べぬ景色が続く。壁代わりのボロ布が幾重にも結ばれ、隙間なく張られている。そのせいで先を見通すことはできない。腐った卵のような臭いと吐瀉物のような酸性な漂いと独特の熱気が吐き気を誘う。あたりには蠅がそこかしこに飛んでいた。
ここに来るまでに日は完全に暮れ、空を雲が埋めているせいで星も見えない。辺りの視界を埋める統一性のない布の数々が風を受けてはためき続けている。見通しの効かない薄布の向こうから突然誰かが襲い掛かってくるようなそんな錯覚を抱かせる。
「ここから折り返して裏通りの探索に戻る」
「先へ進まないのか。」
リーダーの男が訝しみながら言う。
「この一帯は今までの貧民と違って聞き分けのないものが多い。あなたたちにも襲い掛かってくる可能性がある」
この天幕の先にいるのは死が間近で横になるだけの老人か助かる見込みのない性病や奇病にかかった貧民たちなどだ。いずれも裏通りにすら居場所のない者たちが集まる場所だ。死の淵に立つ後のない者たちは何をしてくるか予想がつかない。
「この建物はわずかな衝撃で崩れるほど酷くもろい。何か問題があれば結ばれた布が連鎖的に崩れる。その生物とやらがここに迷い込めば、住人は金切り声を上げ暴れる。住居にもその余波の痕跡が残るだろう。そうなればここからでも分かる。いまここに変化がないということはそれが起きていない証拠だ。」
「……」
リーダー格の男はあまり納得していない様子だった。几帳面なのか潔癖な性格なのか、隅々まで捜索したという事実が欲しいのだろう。
ふと一人の人間がはためく天幕の向こうから現れた。身構えるが、距離は遠く向こうはこちらに気づいた様子は無い。上半身にボロ服を着たその老人は、不意に体をくねらせると、盛大に吐しゃ物をまき散らした。老人は焦点のあっていない目で虚空を見つめ続けている。
「……提案に乗ろう。折り返して先導してくれ。」
尋常でない住人の様子を見てどういった領域かある程度察してくれたようだった。ゲント達は進行方向を変え探索を始めた方向へと戻っていく。最初に通過した場所よりも少し離れた位置を経由して戻る。ここに来るまでに何人かの貧民に監視を依頼した。彼らの監視網は存外馬鹿にならない。ゲントが普段賞金首を探るときも、こうして彼らの力を借りることは度々ある。彼らは酒を報酬にすると存外忠実に働く。
道を進みながら一人考える。結局ここまでで捕獲対象の情報は得られなかった。やはりもう少し生物の詳細が知りたいものだ。ここまでに置いてきた監視の目も具体性が上がれば効率が増す。
報酬を考えればできるだけ調査日数を引き逃すのが得なのだが、ゲントはあまり無駄な工程を踏むのが好きではなかった。割り切ってはいるがどこか釈然としない想いを抱える。口にはしないが。
少し後ろを確認する。最初こそ裏通りの様子に動じていた隊員達だったが、今はもう慣れたようだ。さすがは訓練されているだけあってかうろたえる素振りはない。あるいは麻痺したと言えるかもしれないが。
果たして自分が初めてここにきたときどういった反応を取っていたのだろうか。まるで思い出せないがただ必死だった気がする。住居を追われ突然この都市で生きることになった理不尽に怒りを覚えていた記憶もある。少なくともあの時はまだ身にくすぶる怒りで体を動かせていたのだと認識する。今のゲントはそれすらない、燻りは消えて抜け殻になってしまった。あの日々を生きるのに必死だったころと現状は対して変わらないというのにどこで鎮火したのだろうかととりとめのないことを考えてしまう。
普段と違って同伴者がいるせいだろうか。思考が散って緊張感が減っているのが自覚できた。たるみすぎだ。
意識を正して足を踏み出していく。途中途中でまた貧民に監視を依頼する。迫る娼婦を躱して、また口汚い悪態をつかれる。途中、向かいから子供が見定める視線を飛ばしてきたので黙って見返した。子供は踵を返して、別の通路に消えていく。恐らく通行人を狙ったスリだろう。ろくに注意をしていない通行人はああいった盗人のカモになる。自衛ができぬのに裏通りに入り込む時点で自業自得だが。
バァン、と水面に何かを叩きつけたような破砕音が背後から聞こえた。振り返れば鮮血が壁を汚しているのが目に入る。後ろをあるいていた隊員の一人が壁に叩きつけられたらしい。首から上が、丸太のような黒い腕で押しつぶされている。
潰された巨大な手からは血が滴り落ちていた。
「ウォォォ--!!」
黒腕の持ち主が咆哮を上げる。身を震わす大音響に身体の肉が内側から震える。反射的に腹に力を入れ、意識をつなげる。遅れて全身から冷や汗が噴き出す。
これは人知の領域ではない。これまでゲントが目にしてきた汚濁や暴力などとは枠の違う世界。この生物の存在が「魔物」であることをゲントは本能的に悟った。
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