中学3年生、春(10)

 海を離れてすぐ、見回りの警官に声をかけられた。

 靴も履かずに夜の街をさまよう制服姿の中学生だ。スルーする方がおかしい。二人組の警官は僕に「何をしてるんだ?」「どこから来た?」「家は?」と次々に質問を投げ、僕は何も答えずに黙った。唯一、「身元の分かるものは持ってるか?」という質問にだけは、ポケットに入っていた生徒手帳を渡すことで対応した。

 やがて僕は交番に連れて行かれ、そのうちに母さんが僕を迎えに来た。すぐ近くの葬儀場にいる父さんではなく、家からわざわざ母さんが来た。僕は母さんと一緒にタクシーで家に帰り、お風呂に入って寝た。母さんは僕に色々と話しかけてきたけれど、寝る直前には忘れているぐらい、ちっとも相手にしなかった。

 翌日、僕は学校を休んだ。

 次の日も、その次の日も休んだ。僕の奇行に母さんはオロオロしていて、父さんは何も言わなかった。ただ学校を休み始めて二日目の夜、下の階から「子育てはお前の仕事だろう!」という怒鳴り声が聞こえたので、何も思っていないわけではないようだった。それなら自分でどうにかすればいいのに。本当にビビりで下らない男だ。

 兄ちゃんがいなくなって、分かったことがある。

 それは、僕はそれほどQUEENが好きではなかったということ。もし僕が本当にQUEENのことを好きならば、きっと今頃こうはなっていない。僕の人生を支えていたものはやっぱり兄ちゃんで、QUEENも兄ちゃんあってこそのもので、だから兄ちゃんがいなくなった今、いくら聴いても心は満たされないしブログを書く気も起きなかった。『ドント・トライ・スーサイド』という直球の自殺防止ソングも、反発する気すらおきず耳から耳に抜けて終わった。

 兄ちゃんに『QueenⅡ』を届けなくてはならない。それから、兄ちゃんのところに行かなくてはならない。だけど何もする気になれない。寝て起きたら全てが終わっている。そんな都合のいい展開を期待するように、ひたすらベッドの上で横になって目をつむる。

 コンコン。

 部屋のドアがノックされた。僕は頭から布団をかぶって無視を決め込む。薄い布団ごしにドアの開く音が聞こえ、そのすぐ後、柔らかい声が耳に届いた。

「起きてる?」

 布団をめくり、上体を起こす。

 いきなり僕と目が合い、細川さんが驚いたように顎を引いた。だけどすぐに持ち直して穏やかに微笑む。そして呆然とする僕と向き合ったまま、災害救助者をなだめるように、ゆっくりと語り出した。

「ごめんね、いきなり。ずっと休んでるって聞いて、心配になって」

 細川さんが三つ編みを撫で、ほんの少し顔を僕に近づけた。

「何か、あったの?」

 君には関係ないよ。そんな言葉が頭に浮かんだ。だけど、兄ちゃんのお見舞いに行くために手助けしてくれたことを思い出し、グッと言葉を押し留める。細川さんは父さんや母さんなんかより、ずっと僕に触れる権利がある。

「恋人が死んだ」

 細川さんの両目が、眼鏡のレンズの向こうで大きく見開かれた。

「この前お見舞いに行くの、手伝って貰ったでしょ。あの病気がダメだった。それで今は何もする気が起きないんだ。だから――ごめん」

 僕は頭を下げた。本当に悪いと思っているわけではない。話を打ち切りたいだけ。空気を読んで去ってくれることを期待して、降伏の意志を示す。

 だけど細川さんは、退かなかった。

「ねえ」はっきりした声。「お葬式には、出られたの?」

 下げていた頭を上げる。細川さんの真摯な視線が、僕の眉間を鋭く射ぬいた。

「……出てない」

「お墓参りは?」

「……行ってない」

「お墓の場所は分かってるの?」

「……墓地がどこかは知ってる」

「じゃあ、次の休み、一緒に行こう」

 有無を言わせぬ口調で、細川さんが言葉を言い切った。いつになく前のめりな態度に、僕はたじろぐ。

「鏡、見てないでしょ。今、本当にすごい顔してるよ。そんな顔してちゃダメ。そんな顔してたら――」

 細川さんが顔を伏せ、両肩をぐっと上げた。

「引っ張られちゃう」

 ――ああ。

 この子は本当に、僕が兄ちゃんを好きなのと同じように、僕のことが好きなのだ。だから僕が兄ちゃんから生きる意志のなさを読み取ったように、僕に生きる意志がないことに気づいた。だから必死に引き止めようとしている。生かそうとしている。

 でも――ごめん。

「……分かった」

 僕は、笑った。

「一緒に行こう。僕もずっと、行きたいとは思ってたから」

 最後の一ピースを嵌める手伝いを、君にしてもらう。

 僕はもうボロボロだ。一人では一歩だって動けない。だから兄ちゃんに『QueenⅡ』を届けるため、君に力を貸してもらう。そして僕は旅立つ。君から離れて、兄ちゃんに会いに行く。

 僕は君を利用する。君の好意を踏みにじる。だから僕がいなくなった後、君は僕を罵って欲しい。そういうことができない子なのは、知っているけれど。

「じゃあ、約束ね」

 細川さんが右の小指を立て、僕に差し出した。僕は自分の右の小指を細川さんの小指に絡める。絶望的なまでにすれ違いながら繋がっていることが残酷に思えて、僕はすぐに指を離し、「ありがとう」とお礼を告げた。

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