中学3年生、春(7)
泣きながら頼んだ。
最後ぐらいいいだろうと、葬式ぐらい行かせてくれと必死に懇願した。だけど、ダメだった。母さんは僕のスマホと財布を没収し、僕を部屋に押し込み、「父さんが帰ってくるまで中にいなさい」と言ってドアを閉めた。僕は囚人みたいな扱いを受けていることがおかしくて、だけど悲しさもあって、笑えばいいのか泣けばいいのか分からず、制服のままベッドに倒れ込んだ。
――どうしよう。
目をつむり、暗闇の中で考える。どうしようも何も、どうしようもない。僕は父さんがどこに行ったのかすら知らないのだ。仮に家を脱出できたとしても、その先がどうしようもない。ただあてもなくうろつく羽目になるだけだ。
じゃあ、諦めるか。
――イヤだ。絶対にイヤだ。このまま大人しく引きこもっているぐらいなら放浪した方がマシだ。あいつらの言いなりになんて、なってたまるものか。
机の前に座り、救いを求めてノートパソコンを開く。しかしここからどうすればいいか、まるで思い浮かばない。父さんが監視アプリで僕の位置を把握しているように、僕も父さんの位置を把握できればいいのに――
――待てよ。
思い出した。父さんが乗っていった車には盗難防止用のGPSがついている。そして、このパソコンで位置情報がチェックできるか確認したこともある。そのページに飛んで、ログインすることができれば、車がどこに行ったか分かるはずだ。
記憶を頼りにパソコンを弄り、目的のページに辿り着く。フォームにIDとパスワードが保存されていたおかげで、何の苦労もなくすんなりとログインすることができた。モニターに地図が開き、車の位置が青い点で示される。
葬儀場の駐車場。
マウスを掴む手に力が入った。破ったノートのページに葬儀場の情報を書き写し、学ランのポケットに入れる。次は脱出だ。部屋の窓を開けて、地上を見下ろす。
外壁に、手をかけて降りられそうなものはついていない。とはいえ、飛び降りるのはさすがに厳しい。縄梯子のようなものがあれば良いのだけど、もちろんそんな都合のいいものを持っているはずがない。
だったら、作るしかない。
僕は部屋の衣装箪笥を開き、生地の厚い衣服を片っ端から取り出した。そして袖同士を結んで繋ぎ、衣服のロープを作り上げる。出来上がったロープの端をベッドに括り付け、反対側の端を窓から垂らすと、先端が地上から一メートルぐらいのところまで達した。そこまで行ければ、十分だ。
靴の代わりに、靴下を何枚か重ねて履く。ロープを握りながら壁に足をつけながら降りていくと、服の繊維がぶちぶちと切れる音が聞こえてきた。向かう先を見下ろし、自分の身長と同じぐらいの高さまで来ていることを確認して、ロープを手放して飛び降りる。
コンクリートの地面に着地した瞬間、足の裏から頭のてっぺんまで痺れが走った。手足を振って痺れを払い、そそくさと家を離れる。葬儀場は歩いていける距離ではないけれど、財布がないから電車やバスは使えない。取れる手は一つだ。日の落ちかけている街を走り、交通量の多い大通りに出る。
向かいから、空席表示のタクシーが向かってくるのが見えた。
道路に身を乗り出して手を挙げると、タクシーはちゃんと目の前で止まってくれた。後部座席に乗り込み、運転手のおじさんに葬儀場の名前を告げる。おじさんはすぐにタクシーを発進させ、僕はほっと一息ついてシートに背中を深く預けた。
「お葬式かい?」
「はい。親戚の、お葬式です」
「そうか、大変だね。親御さんは?」
「先に行ってます。事情があって僕だけ遅くなっちゃって」
「ふうん」
バックミラー越しに僕を見ながら、おじさんが意味深に鼻を鳴らした。
「靴を履いてないのは、どうしてかな」
土踏まずが、ずきりと痛んだ。
適切な答えを探して、脳が固まる。だけど固まってしまった時点で手遅れだ。答えられないような事情があるのだと自白したに等しい。
靴を履いていない理由。いじめられていて、隠されてしまった。いや、ダメだ。鞄を持っていないから、学校帰りでないことはすぐに分かる。なら――
「ごめん。いいよ」
ミラーに映るおじさんの頬が、柔らかく緩んだ。
「君には君の事情があるんだろう。話さなくていいよ。おじさんは君を、お客さんとして尊重する」
尊重。僕を子どもではなく、人間として扱ってくれている言葉が、全身の強張りをほぐす。今まで僕とそうやって向き合ってくれた大人はいない。父さんも、母さんも、先生も、兄ちゃんですら。
「――あの」
「いや、だからいいって」
「いえ、そうじゃなくて……実は僕、お金持ってないんです」
おじさんの眉が、ぴくりと動いた。
「それで、着いたら家族に払ってもらうつもりなんですけど……いいですか?」
ダメだと言われたら、事情を聞かれるかもしれない。下手したら葬儀場に辿り着けない。だからどう考えても黙っているのが正解で、それは僕も理解している。なのにわざわざ口にしてしまった。どうしてだろう。自分でも分からない。
赤信号にさしかかり、タクシーが止まった。僕は肩をすくめる。おじさんが首を回して僕の方を向き、ふっと力を抜いて笑った。
「いいよ」
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