中学3年生、春(6)
ジュンが女の子と付き合い始めた。
そうなるような気はしていた。ジュンは自分のことが好きではない。同性を好きな自分を認めていない。だから押されれば、流されるだろうと。思っていた通りになって驚きはしなかったけど、何だか寂しくはなった。
でも、僕は驚いたフリをした。「同じ立場なら同じ選択をした」と、実際は同じようなことがあって違う選択をしたのに嘘をついた。育児放棄されているお腹を空かせた子どもがコンビニからパンを万引きして、「犯罪は犯罪だ」と言い切れるような強さは僕にはなかったのだ。そんなもの、なくていいのかもしれないけれど。
『そういえば、誕生日はどうだった?』
そのメッセージを目にした時、心臓がほんの一瞬だけ止まった。
打ち明けるか、打ち明けないか。悩んだ末に、僕は打ち明けない方を選んだ。ジュンのためというよりも、僕のためだ。今の状況を文字にして外に出すことで、それが確かなものになってしまうことが怖かった。
『別に。何もなかったよ』
『そうなの? 彼とのお祝いは?』
『急な事情があって、無くなった』
間が空く。気軽に良くないことを聞いてしまったと後悔しているのだろう。ジュンのそういうところは好きだ。だけど、そんなんじゃ嘘ついて女の子と付き合うなんて無理だぞと、心配にもなってくる。
『ジュン』
呼びかけてから、何と言おうか考える。兄ちゃんと言葉を交わせない今、僕がこうやって接する相手はジュンだけだ。目的がないのに話しかける。話しかけることが目的となっている。そんな相手は、ジュン一人だけ
『じゃあね』
メッセンジャーを退席する。ユーザーリストにある兄ちゃんの名前にカーソルを合わせてクリック。当たり前だけど、何度マウスをカチカチと鳴らしても、兄ちゃんがオンラインになることはなかった。
◆
定期テストが近づくと、みんなが学校から帰る時間が早くなる。
いつも早く帰っている僕としては、道が混んで迷惑だ。だから逆に図書室で勉強してから学校を出たりする。下校時間を一時間も過ぎればもうほとんど人はいない。ゆうゆうと帰路に着くことが出来る。
校門を抜けて外に出る。しばらく道を歩いていると、歩きスマホをしている行儀の悪い男子生徒が前方に現れた。のろのろ歩きのそいつを通り過ぎようと、僕は歩調を速める。
足音に反応して、男子生徒が僕の方を向いた。
男性生徒の眉間にしわが寄った。僕の方も全く同じ。男子生徒――半田が口を尖らせて言葉を吐き捨てた。
「キモ」
「お前ほどじゃねえよ」
すぐに言い返す。相手をする必要はないけれど、黙ってやる義理もない。ただこれ以上は不毛だ。学生鞄を肩に担ぎ直し、半田に背を向けて立ち去ろうとする。
「なあ」
――なんだよ。僕は振り返り、雑に言葉を返した。
「なに」
「お前、本当にホモなの?」
半田の声色が、ほんの少し弱くなった。
「細川とデートしたらしいじゃん」
僕の眉間のしわが、さらに深くなった。
誰かに見られていたのか。あるいは、細川さんが口を滑らせたか。細川さんが自分からデートと言うことはないだろうけれど、広まるうちにそうなってしまうことはあるだろう。僕が同性愛者だなんて話は火を消し止める水にならないどころか、むしろ炎を煽る薪になる。「ゲイなのに女子とデートするのはおかしい」ではなく、「ゲイなのに女子とデートするなんてどういうことだ」と捉えられる。そういうものだ。
半田がじろりと僕をにらんできた。いつも通りの敵意全開。こいつ――
「まだ細川さんのこと好きなの?」
半田の肩がグッと上がった。横隔膜を上下させ、つばと罵倒を吐き散らす。
「うっせー、ホモ!」
ホモと言えば勝てると思っている。その程度の低さに辟易しつつ、意外な一途さに驚く。クラス替えをして一月もすれば綺麗さっぱり忘れてしまうような、それぐらいの気持ちだと思っていた。想いの深さを舐めていた。
でも思えば、細川さんもそうだった。偽装工作を頼んだ時の細川さんは明らかに僕に未練を残していた。僕は同性愛者だから、女の人は愛せないから、僕のことを愛しても全くの無駄なのに。
みんな、自分の「好き」に振り回されているのだ。
僕と同じように。
「ねえ」無意識に、口が開いた。「細川さんのどこが好きなの?」
知りたい。人を好きになるというのは、どういうことなのだろう。僕はどうして兄ちゃんが好きなのだろう。例えば兄ちゃんがまるっきり今のまま性別だけ女性だったとして、僕はその人を好きになれたのだろうか。
半田をじっと見つめる。からかっているわけではないと伝えるように。だけど半田は、僕の視線を受け止めずに目を逸らした。
「……お前には関係ねーだろ!」
半田がすぐ傍の脇道に向かって駆け出し、目の前から人がいなくなった。人混みがイヤだから下校時間をずらしたのに、望み通りの結果になったのに、言いようのない寂しさを覚える。矛盾した感情を抱えながら、僕は足を前に進めた。
最近の僕は、ちょっとおかしい。
僕は今まで、兄ちゃんというたった一本の柱で支えられていた。だからその柱がぐらつけば、当たり前のようにぐらつくしかないのだ。抑えたいなら別の柱を探すしかない。例えば――
――ジュン。
家の傍まで来た。駐車場の車を見て身体がこわばり、やっぱりこの場所を柱にするのは無理だなと苦笑する。思春期の男子中学生が父親を嫌うなんて珍しい話ではないのかもしれない、だけど僕のそれと一般的に言われているそれは、だいぶ意味が違うだろう。
僕は家の扉を開けた。「ただいま」と形だけ呟き、中に足を踏み入れる。
玄関口にいた父さんと母さんが、驚いたように僕を見やった。
「おかえり」
母さんがしどろもどろに言葉を返した。僕は無視して父さんの姿を凝視する。提げているビジネスバッグはいつも会社に行く時と同じだけれど、全体の服装は違う。上から下まで真っ黒なスーツ、同じ色のネクタイ。
喪服。
「……お葬式?」
探るように尋ねる。父さんは、答えない。
「誰の、お葬式に行くの?」
嘘だ。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。そんなこと、あるわけがない。だって、退院したら誕生日を祝ってくれると言っていた。生まれて来て良かったと思えるような誕生日をしてくれると。だから、嘘――
「お前は知らなくていい」
頭の中で、何かが大きく弾けた。
「誰の葬式だって聞いてんだよ!」
僕は父さんに勢いよく掴みかかった。父さんの身体がぐらりと後ろに傾き、二人まとめて倒れそうになる。だけどすぐに持ち直し、父さんが太い両腕を僕の肩に突き立てた。
「言えよ! 誰の葬式だ! 言え!」
「いい加減に……しろ!」
すごい力で、身体を後ろに押された。僕は尻もちをつき、父さんが僕を見下ろしながら喪服の襟を正す。感情のこもっていない、無機質な瞳。
「母さん。今日はこいつを、絶対に外に出すなよ」
冷ややかに言い放ち、父さんが僕から背けた。そして革靴を履き、こちらを一瞥もすることなく玄関から出て行く。
「絶対だぞ!」
バタン。派手な音を立てて扉が閉まる。僕は声にならない声を上げながら、床板を思い切り殴った。
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