中学3年生、春(5)

 小学生の頃、僕の誕生日が休日でかわいそうだと言ってきたクラスメイトがいた。

 ピアノが上手い女の子。ふんわりした、人当たりのいい子で、友達もたくさんいた。だから嫌味ではないと思う。休日は学校がなくて友達に祝ってもらえない僕のことを、本当にかわいそうだと思ったのだ。

「土日になったらどうせ一緒だよ」

「でも、毎年休みなのと時々休みなのは違うでしょ」

 どれだけ否定しても、女の子はしつこく食い下がってきた。めんどくさくなった僕は「誕生日が休みでかわいそうな自分」を認めて、それで話は終わった。だけど僕は僕のことをかわいそうだとは思っていなかった。休日でも平日でも関係ない。むしろあまり仲良くないやつに祝われても困るから、休日の方が都合がいい。それぐらいに考えていた。

 だけど、今は思う。

 平日が良かった。

 平日なら昼間は学校だから、誕生日のプレゼントとケーキを買いに、親とデパートに出かけるなんてことはなかったのに。

「どれがいい?」

 デパ地下にあるケーキ屋のショーケースの前で、母さんがにこにこと笑う。父さんは我関せずといった風に仏頂面。僕はあまり飾り気のない、粉砂糖のかかったガトーショコラを指さした。

「これ」

「分かった。すいませーん」

 母さんが店員を呼び、自分と父さんの分を合わせてケーキを買い始めた。「誕生日なのでロウソクをお願いします」と声を弾ませる母さんの顔色は明るくて、今日という日を楽しんでいるのが分かる。父さんは何を考えているか分からないけど、少なくともついてきてはいるし、誕生日プレゼントも買ってくれた。二人とも、僕の誕生日を祝う気があって、僕を大事に想っている。

 なのに、僕のことを認めようとしない。

 自分の望むように育つ子しか愛さない親は、親として子を愛していると言えるのだろうか。僕は愛されていると言えるのだろうか。確かなのは、祝われているのに喜べない僕は、父さんも母さんも愛していないということだけだ。愛せないのに愛されている後ろめたさが、僕の中に充満している。

「はい」

 ケーキの箱が入ったファンシー柄のビニール袋を、母さんが僕に渡した。そして目尻に小さなしわを作って笑う。

「お誕生日おめでとう」

 ありがとう。俯きながらビニール袋を握りしめる。箱にはたった三つしかケーキが入っていないのに、ビニールが指に食い込んで、やたらと重たかった。


    ◆


 夕食は、母さんが家でステーキを焼いてくれた。

 料理が豪華な以外はいつも通りの食卓だった。僕も父さんもほとんど話さず、母さんが一人で場を回す。あえて言うなら、いつもより母さんの口数が多かった。やたらと話を振られるので、食べ終わるのが遅くなってしまった。

 食後は、火のついたロウソクの刺さったガトーショコラが出てきた。父さんはモンブランで母さんはショートケーキ。ロウソクは赤青黄の信号機カラーが一本ずつ。一本が五歳分なのだろう。十四歳の時はどういう構成だったっけ。思い出せない。

 息を吸って、強く吐く。ふっと火がかき消え、うっすらと漂っていた蝋の燃える臭いが消えた。テーブルの向こうで、母さんが大きく手を叩き合わせる。

「お誕生日おめでとう」

 昼間も聞いた言葉。僕はガトーショコラからロウソクを抜き、フォークで切り取って口に運んだ。チョークを黒板にこすりつけるみたいに、チョコレートの濃い甘みがべたべたと舌の上に広がる。

「お前ももう、十五歳か」

 母さんの隣で、父さんがモンブランを食べながら話し始めた。

「お前、『元服』って知ってるか?」

「……知らない」

「昔の成人式みたいなものだ。江戸時代ぐらいまでは十五歳で大人だったんだよ。お前もそういう歳になったってことだ」

 父さんがちらりと横目で母さんを見た。合図めいた動き。何が来るのだろうと身構える僕の前で、父さんが背筋を伸ばす。

「それでな、いい節目だから、提案なんだが――」

 一目で作りものだと分かる、ぎこちない笑顔が、父さんの顔に貼りついた。

「今日から、普通に女の子を好きになってみないか?」

 ごくん。

 口の中に残っていたチョコを飲み込む。押し潰された個体が喉を下っていく。不思議と、味は全く感じない。

「この前、一緒に遊びに行った子はどうなんだ? あれから上手くいったのか?」

「……興味ない」

「付き合ってみないと分からないだろう、そんなの」

「そうねえ。良くも悪くも、付き合ってみないと分からないよねえ」

 どうして、この人たちはこうなのだろう。

 何度も、何度も、僕たちは似たようなやり取りを交わして来た。僕はずっと粗雑な受け答えしかしていないのに、父さんも母さんも一向に諦める気配が無かった。お前のためだ。お前はそうするべきだ。そう言って、僕じゃない僕を僕に押し付けようとしてきた。

 僕だって、最初からあなたたちのことが嫌いだったわけじゃない。あなたたちが僕を嫌うから、僕はあなたたちが嫌いになったんだ。先に僕を否定したのは、あなたたちだ。

 愛してるフリをするな。生まれてきたことに感謝するフリをするな。

 僕は――しない。

「僕の人生最大の悲劇は」テーブルに、言葉を吐き捨てる。「お前たちから生まれたことだ」

 目を細め、敵意を剥き出しにする。父さんと母さんから笑みが消えた。

「同性を好きになったことじゃない。好きになった人がHIVに感染していたことでも、それが僕に伝染したことでもない。お前たちだ!お前たちから生まれたことだ!お前たちさえまともなら、僕は――」

 視界が、真っ暗になった。

 テーブルに身を乗り出した父さんが、握りこぶしを僕の眉間に突き立てる。頭蓋骨が飛んで行きそうなほどの衝撃が駆け抜け、僕は椅子ごと後ろに倒れた。床板に後頭部をぶつけ、前後から加わった力が脳で弾けて、目の奥に火花を生む。

「親に向かってその口の利き方はなんだ!」

 テーブルから離れた父さんが、倒れた僕を見下ろして叫んだ。うるさい。だったら子どもをグーで殴るお前は何なんだ。自分ばっかり棚に上げやがって。元はと言えば、お前が――

「私だって……」

 か細い声が、僕の思考を止めた。ゆっくりと顔を動かすと、思った通り、母さんが父さんの傍で泣いている。ポロポロと涙をこぼす目を両手で覆い隠し、母さんが絞り出すように言葉を吐いた。

「私だって、『普通』の子が良かった……!」

 熱が引く。

 頭のてっぺんから氷水をかぶったみたいに、怒りと苛立ちが消えてなくなる。消えた後には空白が残った。「何もない」がある、白い絵の具で塗り潰された画用紙のイメージが、僕の頭を覆いつくす。

 よく言えました。エライね。僕は失望しているよ。あなたたちが、本当にイヤになるぐらい、「普通」の親で。

 床に手をついて立ち上がる。泣きじゃくる母さんを父さんが慰める姿を尻目に、僕はリビングを出た。部屋のベッドにうつ伏せに飛び込み、枕に顔を埋め、まぶたの裏に湿り気を感じて自分が泣いていることに気づく。

 どうして泣いているんだろう。

 僕が望んだことなのに。

 愛してるフリを止めろって、僕が、そう思ってたはずなのに。

「……うー」

 唸り声を上げる。兄ちゃんに会いたい。僕が本当に愛している、僕を本当に愛してくれている人に会いたい。もう僕の生きる理由は、あそこにしかない。

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