中学3年生、春(3)
記念日が憂鬱ではない以上に恵まれていることはないと、いつか読んだ本に書いてあった。
クリスマスとか、お正月とか、何かがあって当たり前の日は何もないだけで惨めな気分になる。だから何かある人や、何もなくてもスルーできるぐらい心に余裕のある人は恵まれている。そういう理屈だったと思う。少し雑な気もするけれど、分からなくもない。
じゃあ、予定があったけど消えてしまった人は、どういう扱いになるのだろう。
『入院?』
二日ほどメッセンジャーに現れなかったから、イヤな予感はしていた。もう一日動きがなかったら、父さんの監視なんか無視して会いに行くところだった。とりあえず連絡が取れて安心したけれど、入院ということは――
『ああ』
『いつごろ退院するの?』
『分からない。身体の調子次第』
モニター右下の日付表示を見やる。誕生日まであとわずか。これは諦めた方が良さそうだなと思っていたところに、新しいメッセージが届いた。
『悪いな。誕生日をお祝いするのは難しそうだ』
『仕方ないよ。残念だけど、気にしないで』
分かりのいいところを見せる。それから、とびきりのわがまま。
『これからも、何回だってチャンスはあるし』
キーボードから手を離し、両手を腿の上に置く。1秒、2秒、3秒。こういう時にすぐ返事をできないのが、兄ちゃんのいいところでもあり悪いところでもある。即座に適当なことを言ってごまかしてくれれば、こっちもモヤモヤしないで済むのに。でもそんな兄ちゃんだったら、僕は好きになっていないかもしれない。
『そうだな』
15秒。送ったメッセージに比べてかかりすぎ。指摘するかどうか考え、止めて別のメッセージを送る。兄ちゃんは敵に崖際まで追い詰められたら、敵に向かって突進するのではなく崖下に飛び降りる人だ。逃げ道を奪う真似はしない方がいい。
やがて、会話が終わった。ジュンはオンラインだけど、今はあまり人と楽しく話す気分じゃない。ジュンには誕生日のことを言ってしまったから話題になると気まずいし、それにジュンはジュンでクラスメイトの女の子に惚れられたりして大変そうだった。しばらく、こっちから話しかけるのはよしておこう。
インターネットで兄ちゃんが入院している病院の場所を調べる。監視アプリの入っているスマホを家に置き、こっそりお見舞いに行って戻って来れそうな距離ではない。かといって、父さんや母さんにお見舞いに行かせてくれなんて頼んでも通るわけがない。下手したら今度はパソコンを没収される。
いっそスマホをトイレにでも落としてしまおうか。いや、ダメだ。すぐに代替機が来る。そもそもスマホをどうにかするだけなら家に置いて行けばいいのだ。それだけでは足りないからこうなっている。
出かける許可を取って、スマホを持って外に出て、こっそり兄ちゃんのところに行って、それが監視アプリではバレない。そういう状況を作らなくてはならない。でもそんな状況、どうやって作ればいいのだろう。まず出かける許可を取るところから無理難題だ。父さんも母さんも僕の友達が少ないのは知っている。いきなりどこかに行くなんて、怪しまれるに決まって――
――待てよ。
一つ、手がある。上手くやればたぶん怪しまれない。監視アプリもどうにかできる。実現性は高いだろう。あとは僕の決心次第だ。やるか、やらないか。
机に頬杖をつき、チカチカ光るディスプレイを眺める。問題がないわけではない。他人に迷惑をかけてしまうし、何より、自分勝手だ。僕が第三者だったらそう思う。こいつ、どこまでも自分のことしか考えてないなと、そういう感想を抱く。
でも。
それでも僕は、兄ちゃんに会いたい。
メッセンジャーを立ち上げる。いつの間にか、ジュンもオフラインになっている。ジュンは自分に惚れているという女の子に、これからどういう対応をしていくのだろう。そんなことが、無性に気になった。
◆
土曜日は、父さんも母さんも朝から分かりやすく上機嫌だった。
父さんからは家を出る前におこづかいまでもらってしまい、さすがに気が引けた。兄ちゃんに会いに行くための電車賃に消えるなんて夢にも思っていないだろう。しっかり騙せているということだから、それはそれでいいんだけど、今日ばかりは心苦しさが勝つ。
尾行を警戒しながら歩き、通学路途中のコンビニに向かう。花火大会に行った時の待ち合わせた場所。あの時と違い、今度は細川さんの方が先に着いていた。ブラウンのカーディガンを纏った細川さんに近寄り、声をかける。
「ごめん。待った?」
「ううん、今来たとこ。そっちこそ大丈夫だった?」
「え?」
「お父さんとお母さん」
細川さんが悪戯っぽく笑った。どうやらこの状況を楽しんでいるようだ。予想外の神経の太さに驚きつつ、僕は声をひそめる。
「大丈夫だった。全く警戒されてない」
「良かった。気合入れてLINE捏造した甲斐があったね」
「ハートマークはやりすぎだと思ったけど」
「やりすぎなぐらいちょうどいいんだよ、こういうのは」
「そうかなあ」
入院している恋人のお見舞いに行きたいけれど、親に監視されていて行けないから協力してくれ。
僕のその頼みを、細川さんは快く受けてくれた。偽の遊ぶ予定を立て、偽のやりとりを作り、アリバイを完璧に整えてくれた。恋人との関係だとか、入院している理由だとか、そういうのを聞かれることも無かった。よく考えたら、相手の性別すら聞かれていない。もしかしたら、知りたくないというのもあるのかもしれない。
「じゃあ、行こうか」
細川さんが僕を先導するように歩き出した。これからバスに乗って、近くの駅まで行って、そこで僕が細川さんにスマホを渡して解散だ。細川さんは僕のスマホを持って適当に街をうろつき、僕は兄ちゃんのお見舞いに行く。後はお互いが知り合いに見られなければ、ミッションコンプリート。
バスに乗って、海に近い駅に着く。バスを降りてすぐスマホを渡して別れようとしたら、細川さんが「駅まで送るよ」と言って来た。二人で駅に入り、改札を目指す。
駅舎は二階建てになっていて、二階には海が見えるガラス張りの展望スペースがあった。立ち寄って、昼下がりの輝く太平洋を眺める。
「綺麗だね」
細川さんがうっとり呟いた。僕は「うん」と頷く。この駅を使うのも、こうやって海を見るのも初めてではない。だけどなぜだか、光にかすむ水平線がいつもより物悲しく、美しく見えた。
「なんかさ」細川さんが、三つ編みを撫でる。「本当にデートみたいだね」
僕は、答えない。
自分の恋人に会うために、自分を好きだと言ってくれた子を利用する。僕がやっているのはそういうことだ。だから迷った。結局は実行しているのだから、迷ったことなんて、何の言い訳にもならないけれど。
「……そうだね」
この間の兄ちゃんと同じように、十秒以上待ってから呟く。空白の意味が伝わり、細川さんが顔を伏せる。気まずい沈黙の中、ガラスの向こうに広がる海の大きさだけが、ただひたすらに救いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます